6
私は月虹の部屋に戻った。
やや薄暗い中、壁の星座図が光って見える。夜光塗料が塗ってあるのだ。足元に何か光る物が落ちていて、私はそれを拾い上げた。
なぜ、今頃になって見つかったのだろう? なくしていたパズルのワンピースだった。私の手の中で、かすかに赤く星が光る。
——火星。
このパズルには、黄道上に沿って適当に惑星が散りばめられていた。みずがめ座には、火星があったのだ。
私は壁に歩み寄り、そっとパズルに火星をはめ込んだ。
「見つけたの?」
背後で月虹の声がした。
振り返ると、彼はにっこりうれしそうに微笑んでいた。
「うん、見つけたよ」
私も微笑んだ。
壁のパズルは完成した。そして、私の月虹探しの旅は終わった。
「私、やっとあなたを見つけた。あなたは火星人なのよ」
長年の夢が叶う瞬間——私は感激のあまり、声が震えた。しかし、月虹は軽く微笑んだまま。
「違うよ、優子……」
月虹の口から最後に漏れた言葉だった。
「え?」
私の笑顔は凍りついた。
白くて薄い月虹の影が、サラリと音を立てた。
——え?
私の見ている目の前で、違うよ……という言葉とともに、サラサラと砂が舞う。
何が起こっている? いったい何が?
月虹は砂で作られた人形と化していた。
笑顔を留め、風に吹かれて崩れ去る恋人。
そして部屋も……。
壁もパズルも観葉植物も、すべては砂となっていた。触れれば簡単に崩れ去る砂の居城。
あまりに静かな音を立てて、すべてが消え去っていく。
——サラサラサラ……
やがてあたりは何もない宇宙空間。
それでも私は何が起こったのか、まったくわからない。
なぜ? 何?
せっかく月虹を見つけたのに!
頭の中が真っ白になる。その白い世界に、朝日が昇った。
「嫌だ! 夢から覚めないで!」
世界が崩壊したのにやっと気がついて、私は絶叫した。
「おねぼうさんね、月虹は……」
声?
声がする。
女の人の声だ。月虹?
月虹がいるのか?
私は声の向かう方向に意識を定めた。
ベッドから飛び起きた子どもは、まだ五歳くらいの幼子だった。
白い髪、手でこすられて開いた大きな目は赤。
そして大きなあくびをする。
「だってママ。僕、すごい夢見ていたんだよ。地球の女の子と遊ぶ夢なんだ!」
私は信じられない勢いで地球の引力に引かれていた。
朝が近い。
目覚めの時間だ。
私は思わず顔を覆った。
夢はもちろん、いつかは覚めるもの。でも、私が見つづける限り、この夢は消えないと思い込んでいた。
でも違う。
月虹が実在の人間ならば、彼の夢だって覚めるのだ。
私は絶叫とともに飛び起きた。
汗はびっしょりだが、朝日は最後の火星の夢みたいに、白く明るい。鳥の声すら聞こえるさわやかな朝だ。
私は夢を何千回も見ていた。
でも、おそらく月虹は、たったひとつの長い夢を見ていたのだろう。夢の中、目覚めるたびに私は砂になって、月虹の目の前から消えていた。
そのたびに彼は悲しい思いをしたにちがいない。
私が二度と夢を見ないのでは? という恐怖におびえたに違いない。
今の私がそうだから。
火星という言葉は、月虹を夢から目覚めさせるキーワードだった。
私の不安は当たった。
火星人の月虹は、二度と地球の少女の夢を見なかったのだ。
いや、見たのかもしれないが、私はすでに大人になっていたから……。
乾いて荒れた大地に木々はない。
かわりに巨大な電波望遠鏡が、宇宙からの情報をすべて受けようと、枝葉のようにアンテナを伸ばしている。
小高くなったこの位置はその様子がよく見えて、赤い丘の下にあった巨大ドームを思い出させる。
私は乾いた土を握りしめる。そっと手を開いた。砂が散った。
夢はすべて消え去った。
地球外生物探査プロジェクトは解散し、私は他部署に異動するか、日本へ帰るかの選択で迷っていた。
そのような中、ジェフがドライブに誘ってくれ、ここに連れてきてくれたのだ。
「火星の丘は、ここに似ているんだぜ」
ジェフは言った。
今回ばかりはジェフの言葉が真実に聞こえた。
「俺が火星の夢を見なくなったのは、火星に行くことを決めたからなんだと思う。たぶん。ユウコがそいつの夢を見なくなったのは、火星に行って実際に会うためだ、きっと」
「私の夢……? あんな嘘みたいな夢の話、本当に信じていたの?」
私は驚いてジェフの顔を見た。ジェフは照れくさそうに笑ってみせた。
「あたりまえさ。夢の中で俺も誰かに呼ばれたような気がしたし。でも、会うなら本当に会ったほうがいいと思って、丘の上で誓ったんだ。火星で会おうってな」
はじめて応えた人は、友達じゃなかった。次に来てくれた子は、何度かこの丘に立ってくれたけれど、いつか会おうと言ったきりだった……と、月虹は言っていたような?
すっかり枯れてしまっていた私の心に、何かがめまぐるしく走った。
月虹の想いを受け取ったのは、私一人ではないのかもしれない。
ありえなさそうな夢を追っているのは、私一人ではないのかもしれない。
ジェフは三回咳払いをした。
「だから、ユウコは俺と一緒に火星にいかなきゃならないんだ」
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