第44話 花、雨
かつてアスカは父から、母の名前の由来は、母の父親がティス、母親がフルーで、合わせてティスフルーとつけられたものだと聞いた。
人々が知る限り、同じ名前の女の子はいなかったため、父親と母親は愛を込めて
〝唯一無二のティスフルー〝
と呼んでいたらしい。
「でも…母はボクが3歳の時に病気で亡くなったと聞いていたんです…!
そんな、そんな酷い殺され方をされたなんて思いたくない…!」
青ざめたアスカをウォルターは憐れんだ瞳で見た。
「石碑の女性がキミの母親だと決まったわけではないが、いずれにしろとてもお気の毒なことだ…。
しかしこうして今、キミの助けになろうとしているということは、本当に何かの運命なのかもしれない。
さあ、そろそろ人魚の木の所に行ってみよう。
薬は新月に芽生えたばかりの新芽をその場で調合しなければならないから、出来たらすぐに飲まなくてはいけないよ?躊躇している暇はほとんどない。
覚悟はいいかい?」
アスカは無言で頷いた。
全ての出来事は運命だったのかと、天を呪わずにはいられなかった。
ウォルターの小屋を出ると空は今にも降り出しそうな重い色をしていた。
あの虹の谷で吹いていた時の風に似ている。
「さ、急ごう。雨が降るとあの辺りは危険だ。」
ウォルターは早足になった。
「危険?」
アスカも足を早める。
「雨が降ると厄介な魔物が出てくるんだ。
キミも知っての通り、今大陸には得体の知れない恐ろしい魔物が次々に出現しているが、雨の魔物は大昔からいるヤツさ。
普段は無害な動物なんだが、雨が降ると途端に凶暴になるんだ。
と言っても、まあちょっと大きいトカゲみたいなもんだが。
まあ…とにかく急ごう」
人魚の木までは程なく着いた。
改めて見ると、まだ若い木なのだが不思議な迫力がある。
所々に赤い実と白い実をつけていた。
生い茂る丸い葉っぱは風に音を立てて揺れている。
カサカサ…カサカサ…
アスカには、それが憐れな母のささやかに聞こえた。
「よし、新芽だ!」
ウォルターは目線の高さの枝に柔らかな黄緑色の小さな葉を見つけた。
そして用意していた、他の材料を調合してあった壺にそっと入れる。
そしてその壺を地面の平たい石の上に置き、何か人の言葉ではない呪文を唱えた。
アスカはその不思議な様子を凝視する。
壺はうっすら中から煙を立てた。
ウォルターは壺の中を見て、アスカに差し向けた。
「飲むかい?アスカ」
アスカは迷いなく頷いた。
(レオン…)
どんな時も、優しく笑う赤い髪のレオンの笑顔がまぶたに浮かぶ。
(レオン…)
もしかしたら、共に2人でこの世界を旅する事が出来るかもしれない。
(オレが嫁にもらってやるよ!)
レオンのその言葉を打ち消すようにアスカは一気にその壺の中身を飲み干した。
ウォルターは心配そうに見守っている。
数分間は2人とも時が止まったように動かなかった。
「大丈夫かアスカ⁈」
アスカは、のどの奥にすこし熱いものを感じたが特に痛みや苦しみは感じなかったので
「はい」
と返事をした。
その時、小さな雨粒を頬に感じると同時に、
人魚の木に
ポッ、ポッ、と小さな花が咲いた。
「あ…花が…」
アスカは思わず手を伸ばす。
その花びらはアスカの指先に触れ、震えるように揺れた。
「え…?」
アスカはひどく驚いて、他の花も指先です触る。
どの花も小さく揺れるだけだった。
「アスカ、どうした?」
ただならないアスカの様子に声を掛けるウォルター。
アスカは青ざめながらウォルターの方を見た。
「ウォルターさん、この木は人魚の木ではありません!
少なくとも、人魚の村にあった人魚の木ではありません!」
ガサッ
その時、背後の草むらの中で音がした。
沢山の緑色の何かが、2人の方を見ている。
「まずい、奴らが出やがった…!」
ウォルターはアスカを庇う位置に移動して腰の細い剣を抜いた。
ジュルジュル…
不気味な音を立てて近づいてくる緑色の化け物は、まるでカエルが人になったような姿だった。背丈はアスカの倍ほどある。
手にはヌメヌメした、3メートルぐらいの緑色の縄のようなのを持っていた。
それをビュンビュン振り回すと、辺りの木や草は次々にスパッと切れて倒れていった。
「こいつら…何かいつもと違うぞ…!
ちょっと小さいワニってレベルじゃないな…
気を付けろアスカ!」
頷くアスカの体を冷たく激しい雨が打ち付け始めた。
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