第34話  運命の音

人魚の木は、人魚の村の真ん中の小高い丘の上にあって、

かつては村の子供達の遊び場だった。


13歳までは性別が曖昧なこの村で、男の子でも女の子でもない、妖精のような子供達が木漏れ日の中で笑いながら遊ぶ。


人魚の木の葉っぱにも少し不思議な作用があるらしく、その香りを嗅ぐとフワフワして気分が良くなるのだ。


その香りは、桃とオレンジの中間のような、柔らかな匂い。


透き通る緑の、優しい香り、楽しげな笑い声…


その中で微笑むのは、レオン。



「ん…」

夢の狭間にいたアスカは、懐かしい香りの中で目覚めた。


低い天井に無数の枯れた草や花が括り付けられている様子が目に入る。


見覚えのない小さな部屋。


「ここは…」

顔のすぐ横に、見覚えがある木の葉っぱが数枚無造作に置かれていた。

「まさか・・・人魚の木の葉?」


アスカはまだ痛む腹の傷を押さえながら上半身を起こした。


「起きた?」

可愛らしい声がアスカに言った。


雑多に置かれた棚やテーブル、物の陰からピョコッとピンク色の何かが出てきた。


そして、その頭の高いところで2つに結んだピンクの髪の毛の小さな女の子が物をかき分けて近づいてくる。


年の頃は10歳くらいだろうか。

新緑のような綺麗な緑色の瞳が瞬きもせずアスカを見つめた。


「うん、峠は越したようだな。

お前運が良かったぞ。

あの日がたまたま月に一度の青の日だったから木の下に行ったんだ。

しかもあの木の葉には鎮痛剤と感覚麻痺の作用があるからな。

ゆっくり眠れたろうよ」


「あ、助けていただいたんですね…。ありがとうございます…。」

咄嗟にお礼を言いながらも、アスカは妙な違和感を感じていた。


目の前にいるのは可愛らしさ少女のはずなのに、喋り方や雰囲気が大人の男のようだ。


少女はアスカの戸惑いを無視して続けた。

「そうだ、お前が3日間眠っている間に荷物を見させてもらったよ。

ノアからのオレ宛の手紙が入ってるじゃないか。

事情はお前に詳しく聞いてくれと書いてある。

さ、一服したら話してくれ」


アスカは驚いた。

「え…じゃあ、キミが・・・あなたが、ノアさんが言っていた、薬草師のウォルターさん?

ごめんなさい、男の人かと思ってました」


少女は カッカッカ、と笑いながら答えた。

「そう、オレが辺境の薬草師ウォルターだ。

あ、一応、男だから。


片方は。」


その言葉にこれ以上ないほど目を丸くするアスカを見て、さらにカッカッカと笑う可愛い少女だった。





アスカを失ったクラウスは、しばらくの間狂ったように辺りを探し回っていたが、やがて屋敷に帰ってきた。


そしてイスに深く腰掛け、焦燥しきった顔で言った。

「兄上、私はどうしてもアスカ様が死んでしまったとは思えないのです。」


ノアは黙っている。否定も肯定もしない。

それはクラウスにとって、救いの沈黙だった。


「そうです。私には力が足りないのです。

アスカ様をお守りしきれなかったのは私が何もないからなのです。


いつか、再びアスカ様に跪くその時までに、心身を鍛えなおし、誰にも負けない力を得ようと思います。


しかし中央の騎士団にはもう戻れないでしょう。


私は、どんなことをしても狂狼の団に入ろうと思います。


兄上、弟はもう死んだものとお考え下さい。」


「狂狼の団・・・!」

ノアは絶句した。


狂狼の団とは、右の大陸のいわば裏の軍団。

どの国、どの領地にも属さないが、選りすぐりの戦士たちの集まりであるがために中央の国も一目置いている。


彼らの目的は制圧ではないため、誰かの土地を奪ったりすることはない。

しかしとんでもない大金で傭兵として雇われれば、女子供さえも皆殺しにする残虐な集団だった。


「お前に・・・兄弟の誰よりも優しいお前には無理だ、クラウス!

子ウサギですらも殺せないではないか・・・!」


「私の生きる意味はアスカ様なのです・・・」

クラウスは両手で顔を覆った。


「どんなに地獄の道を歩もうとも、その先にアスカ様がいるのならば這いつくばってでも進みましょう。

私の全身を血に染めることがあっても、もう二度とアスカ様の血を流させたくない・・・!

泣くのはこれで最後です、兄上、私は地獄の戦士になります・・・!」


ノアははっきりと聞いた気がした。


ギギギ・・・


クラウスの運命の歯車が歪んだ方向に動き出してしまった音を・・・。












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