第26話  濁流

降り始めた雨は容赦なく激しさを増す。


前を向いても、後ろを向いても視界を遮る雨粒が騎士団を取り囲んだ。


足元にはみるみるうちに泥水が溜まっていく。


「皆!一旦、戻れ!」

ジェイドが支持した第1隊長が大声を上げるが、雨音が激しすぎて全く伝わらない。


行こうとするもの、戻ろうとするものがぶつかり合って隊はパニックになった。


「戻れー!戻れ戻れー!!」


若き騎士クラウスも必死に叫ぶ。

しかし騎士たちは前後に、左右に行きつ戻りつしている間に、進行方向すらも分からなくなっていた。


「いけない…今のままではみんな流されてしまう…」


アスカは騎士たちの怒号と馬のいななきと、それらを打ち消す雨の音の中、馬車の上に立ち上がった。


手には、クラウスにもらったロウソクを持っていた。


ひたすら暗い谷の中、アスカだけがボンヤリと、しかし救いのように光る。


「みんな!聞いて!」


美しい声が谷に響く。

決して大きい声ではないのにスッと耳に飛び込んでくる不思議な響き。


「みんな!谷の入り口は、この馬車の前方です!

ボクがランプを指し示す方向へ向かって下さい!


急いで…でも、慌てないで!


大丈夫です!」


打ち付ける雨音が消し去られたかのようなその声に、皆は思わず歓声をあげた。


その姿に目を奪われていたクラウスも、皆を誘導し始める。


ジェイドはランプに照らされるアスカの、どうしようもなく美しい姿を見た。


「谷の入り口に急げ!!」


ジェイドの号令を皮切りに、落ち着きを取り戻した騎士団は


ザッザッ


と列になり入り口に向かう。


すでに足元には膝下ほどの水が溜まっていたが、彼らが再び慌てることはなかった。


神経質な馬でさえも、まるでアスカの魔法にかかったように冷静に行進している。


アスカはジェイドの青いマントを羽織り、全身ずぶ濡れになりながらも騎士たちをそのランプで優しく照らした。


栗色の髪の小さな少女だが、どんな女神よりも美しく神々しいと、そこにいる誰もが思ったであろう。


アスカは、まだそばにいるクラウスに話しかけた。

「クラウスさん、この馬車の馬たちを谷の入り口に連れて行ってもらえませんか?

早くしないと水に足を取られてしまうので」


「ただちに!お任せ下さい!この場所もすでに危険です。アスカ様もご一緒に参りましょう!」

クラウスは言葉をかけてもらえた嬉しさに、頬を赤らめて答える。


「ありがとう、でもまだこの馬車の後に騎士さんたちが残っています。

ボクはその人たちを見届けてから行きますね。」


「しかしっ…」


「ジェイドさんもいますから、大丈夫ですよ」


アスカの少し先にはジェイドが見えた。

クラウスは無言で頭を下げ、馬車につないである馬を外して連れて行く。


しかし彼は何を思ったのか、前を歩いていた騎士に馬を託し、くるりと踵を返してアスカの元へ急いだ。


ただ、この豪雨の中、


アスカと離れたくない



そう思った。


クラウスがもう少しでアスカの馬車にたどり着くという時、


突然、


ゴゴゴーーー


という地鳴りのような音が谷に響き渡ったかと思うと、


荒れ狂うドラゴンのような水の塊が騎士団に突進してきた。



「うわああ!」

「逃げろ!」


まだ谷に残る騎士たちは叫びながら必死で出口を目指す。


「アスカ!」

ジェイドが振り向くと、アスカはすでに馬車ごと濁流に飲み込まれていた。


木や岩、草などが水に混ざり合い激しく体を打ち付ける。


ジェイドはアスカを探すことが出来なかった。


「くそっ…アスカ…!!」

ジェイドは谷の岩に捕まり、氷の剣を手に取る。


グンッ


剣で濁流を激しく切り刻むと、その周りから水がみるみるうちに凍っていった。


さらにジェイドが力を込める。


谷は氷の冷気に覆われる。


白い煙が夜の谷に立ち込めた。


逃げ惑っていた騎士たちの足元が氷に包まれる。


…一瞬の静寂。


「アスカはいないか!!」


「アスカは!!」


ジェイドの叫びは虚しく響き、その問いに答えるものはいなかった。



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