第3話 「あなたは、私のものだから」

「……ダメだ」


 出てきた言葉は、否定だった。


「あなたが、仮に血法師であったなら、考えたでしょう。……けれど、あなたは、ただの一般人だ。……任せられる、はずがない」


 血法師……?

 それが、彼らのことを指す言葉なのだろうか。


 微かな疑問が過ぎる。


 しかし、それを気にするより前に、何か言わなくてはいけないと思った。

 彼の言葉は、この状況にあってひどく落ち着いているように見えた。


「……でもっ!」


 だから、思わず言い募る。


 ……何が「でも」なのかすら、わからずに。


「……やっぱり、一條はお堅いわね」


 しかし、意外なことに、口を開いたのは継莉だった。


「私、気に入ったわ。……あなたのこと」


 視線が、合う。


 彼女の瞳には、嗜虐的な光が揺らめいていた。

 ——ゾクッ

 背筋に、悪寒とは違う、震えが走った。


「ねぇ、一條」

「……なんだ」

「私、戦う気、失せちゃった」

「…………なに?」

「だから……引いてくれない?」


 戦う気が失せた、という継莉に対して、あくまで一條は臨戦態勢を崩す気配はない。


「無理だ。……お前を殺すまで、俺の任務は終わらない」


「はぁ~……。これだから」


 その言葉に、また一條がピクリと眉を動かす。


「……でも、私はこの提案は、一條にとっても悪くないと思うんだけどなぁ」

「……何?」


 しかし、継莉にそんな一條を気に掛けるそぶりはない。

 むしろ、より一層自分のペースで一條に語り掛けているように見えた。


「だってそうでしょう? この私を相手に、一般人を守りながら戦わなくてはならない……。果たして、この状況で任務を果たせるの?」


 継莉の言葉は、冷静にこの状況を分析している言葉に聞こえた。


「……それは……」


 きっと、それは一條も薄々感づいていた事実だったのだろう。

 その事実を言われ、どう返答するか、悩んでいる。

 そんな風に見えた。


「…………焦れったいな」


 ボソッと呟いた、言葉。

 一條には、聞こえなかったかもしれない。

 けれど、六には確かに聞こえた。

 ……これが、彼女の本性だとでもいうのだろうか。

 けれど、不思議なことに、その言葉への嫌悪感は生まれなかった。

 それは、六自身、自らと同じく課せられた軛から逃れられない一條のことをじれったいと思っていたからかもしれない。


「私は逃げる、あんたは、一般人を人質に取られ、手を出せなかったと報告する。……それで十分でしょう?」

「それは……」


 一條は、未だに決めかねるというように煮え切らない返事を繰り返す。


「また、再戦の機会ぐらい、いくらでも作ってあげるわよ。だから、今日はここまで。……それじゃ」

「ッ待!」

「——もう十分、待ったわよ」


 この期に及んで、まだ継莉を足止めしようとする一條。

 そんな彼に継莉がかけたのは、打って変わって、冷たいひと言だった。


 そして、それと同時に。

 継莉の、右の手から、一筋の赤い液体が流れ落ちる。


 赤くて、紅い、その液体。

 継莉を染める、それ。

 ――血。


 そして、その液体が、地面に触れた、その瞬間。


「莉流血法、三の赤滴――紅霞」


 あたりを、紅の霧が包んで。


 ハッとした、その瞬間。六の目の前には、継莉が立っていた。


「あなたは、私のものだから」


 そして、自分よりも小さな少女に抱えられる。


「ちょ!?」


 思わず抵抗しようとしたけれど、なぜだか体に力が入らなかった。

 ……人生初めての王子様抱っこが、年下? の女の子相手だなんて。

 こんな状況だったけれど、少し頬が赤くなった。


「舌、噛まないでね」


 そんなことを考えている間に、気付けば六は、中空に浮いていた。


「え?」


 あの稲荷山の山頂付近から、継莉が一気に飛んだのだと、わかった。

 それは飛行ではなく、ただのジャンプからの自由落下のように思えたけれど、宙にいることに違いはなかった。


 うわああああああ! と声を出そうとしたけれど、それすら口からは出てこなくて。

 ただただ六は、ギュッと目をつぶった。


 けれど、想定していた着地の衝撃はやってこなかった。


「いつまで目、瞑ってるの?」

「あ……れ……?」


 恐る恐る開けた瞼から見えたのは、相変わらずの可憐な顔。


「事情が、変わっちゃった。……駅からは、帰れる?」


 その言葉に、辺りを見渡すと、そこは伏見稲荷の駅だった。

 気付けば空の端は明るみはじめ、朝日の到来を告げている。

 六が継莉の言葉にうなずくと、継莉は抱きかかえていた六を降ろした。


「しばらく、動けないかもしれないけど、大丈夫だから」

「それ、は……」


 その言葉の意味は、すぐに分かった。

 山の上を出る頃から体を支配していた甘い気怠さ。

 それが、急激に強まってくる。


 瞼がまるで鉄のように重くなって、視界もぼやけてたまらない。


「……あ、そうだ。名前、聞いてないじゃん」


 立ち去ろうとしていた継莉だったけれど、そう言って踵を返してやってくる。


「へぇ……高原六、ね」


 そして、六の財布の中の学生証を見るだけ見て、手を振った。


「その名前、覚えたわ。……それじゃあまた、ね。六」


 頭の片隅の残ったその言葉。

 遠ざかっていく継莉に、「待って」とすら口にすることができず、六の意識は暗闇に落ちていく。

 颯爽と去っていく彼女の姿に抱いた感情は、一体なんだったのだろう。

 ……感じたことがないそれに、六は名前をつけられなかった。


 ——これが、六と継莉の、出会いだった。

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