幼女
天神大河
幼女
ついに、待ちに待ったこの日がやってきた。
年に一度の一大イベント、夏祭り。この日は、大量のカップルやリア充どもが一斉に会する。奴らがなぜこの祭りへノコノコやって来るのか俺の知ったことではないが、屋台や花火など、連中が密集する場所は騒がしいことこの上ない。恋人つなぎをしたアツアツカップルがデートしたり、見るからに不良と思しき男女がギャーギャー喚いたり、方々から祭り独特の不協和音が響く。このように俺の住んでいる地域の夏祭りは、さながら日本全国の神様が集まった十月の出雲大社のごとき盛況ぶりを見せる。おお、何と神々しいことか。
ではそんな神様たちとは違う、俺をはじめとするただの凡人、つまりぼっちはどうすればいいのか。そもそもこんな祭りに参加しない、と答える奴もいるだろう。またある人間は、こういう場だからこそ千載一遇のパートナーを掴むチャンスだと意気込んでいるかもしれない。
だが、俺の場合は違う。恋人がほしいとは思わないし、かといって何もしないままでは得られぬものが、この祭りにはある。だから俺は、人混みから伝わってくる熱気と、神様連中が発する化粧や香水などのフェロモンなど不快極まりない臭いに耐えながら、夏祭りの中一人雑踏をうろうろしていた。
そして、居た。彼女だ。俺がこの祭りにやって来た最大の目的にして人生の頂点、幼女だ!
ょぅι〝ょ。それはまさしく天が与え給うた究極の
それにしても、俺の眼前に現れたこの幼女。ウーム、年齢にして四歳ぐらいといったところか。この年頃だとまだ頭でっかちではあるが、なかなか顔立ちがいい。長い黒髪もお団子結びにしているのはさりげなくグッドポイントだ。将来はきっと美人な幼女になること間違いない。俺は心の内で確信する。
幼女は、屋台が立ち並ぶ中一人きょろきょろと辺りを見回している。どうやら誰かとはぐれてしまったようだ。目元には涙が溜まり、顔も俄かに紅潮している。ぶっちゃけ、可愛い。可愛すぎる。金魚を象った黄色の浴衣も相まって、見事な画だ。素晴らしい。ニヤニヤが止まらないぜ。
……おっと、いつまでも幼女を観察している場合ではないな。ここは一人の紳士として、幼女に「どうしたの? キミ、迷子? 良かったら、お兄ちゃんが一緒に探してあげるよ」そう言えばいい。これだけで四歳の幼女は俺にメロメロ、間違いない。今にも泣きだしそうなこの状況なら、絶対いける!
あの幼女は俺のものだ!!
と、その時。ハアハアと息を荒げながら幼女へ近づこうとした俺の身体に、何かが勢い良くぶつかった。俺が反射的に足元へ目を向けると、小学生と思しきオスガキが二匹、俺のメタボ腹に密着しているではないか。ガキの片割れはチョコレートのクレープを持っていたが、気付けばその先端は俺のシャツと甘い接吻を繰り広げていた。すぐさま俺が後ずさるも時既に遅く、俺の腹は濃厚な茶色に染まっていた。
「あっ、すみません」
「ふぇっ。あ、あ。だ、だいじょぶ、だお」
「おい、いいからあっち行こうぜ」
何だあのオッサン、喋り方キモッ。ちぇっ、ボクのクレープが台無しだ。そう口々に吐き捨てながらも、ガキ二匹は俺の前から平然と走り去り……
……って、こらああああ! クソガキども、何しやがる!!
人にクレープぶつけておいて、一回さらっと謝っただけで許されると思うなよ、くそがああああ!
シャツ汚したって言ったら、ママがぶち切れるだろうがああ!!
俺の今月の小遣い減らされたら、お前らただじゃおかねえからな!! 覚悟しろよ、おかねだけに!!
ついでに俺はまだ二十代だ、オッサン呼ばわりされる筋合いなんかねええええええっっ!!!!
……ああっ、周囲の目線が気になる。親子連れやジジババ連中が俺を一瞥して、すぐに目を逸らすのがいやでも目に入る。このままでは、明日から俺のあだ名はクレープマンだ。いいや、チョコレートマンか? あるいはチョコレートクレープマン……。
……いやいやいや、違う違う。そういう問題じゃあないんだ。そんな些末なことより、俺には幼女だ。何を差し置いても、まずは幼女だ。幼女は何処へ行った?
俺がきょろきょろと辺りを見回していると、ターゲットの幼女は父親と思しき男の手を握って俺から少しずつ離れていた。彼女の表情は、これ以上ないぐらいに満面の笑みが広がっている。
幼女の無垢な笑顔が見られるのは嬉しいことだ。だが、あの小便臭いガキどもに邪魔されなければ今頃は……。
俺の中で言葉にならない喜びと怒りが交錯する。ええい、今回は仕方ない。諦めよう。あの父親、怖そうな顔つきに加えて筋骨隆々だ。正直喧嘩などしたところで勝てるわけがない。
こうして俺の幼女をめぐる初陣は、戦略的撤退を余儀なくされた。シャツに付着したチョコレートが、俺のメタボ腹を冷たく刺激するのが、何だかとても空しかった。
* * *
逃した幼女は小さけれども、その価値はプライスレス。いくら大金を積んだところで、決して幼女が幼女たりえていたその一瞬は帰って来ないのだ。かつて「時は未来永劫の幻影なり」と言ったプラトンの気持ちが、今なら分かる気がする。きっとプラトンも俺と同じような経験をしたからこそ、こんな名言を生み出せたのだろう。うん、間違いないな。
ぼんやりと哲学っぽいことを考えながら、俺はしばしお祭り会場で呆けていた。そこに、ババアの甲高いアナウンスが会場全体に響く。
「間もなく、道丁川で毎年恒例の花火大会を開催します。皆様、どうぞ川岸へご注目下さい!」
ニワトリよりも高く鳴くババアの声につられて、大衆は生まれたてのヒヨコのように川岸を注視する。幼女主義の俺もまた、ババアへ鞍替えするつもりこそなかったが連中と同様に道丁川の川岸へと目を向けた。
そうして、花火発射に向けたカウントダウンが始まった。
三、二、一。
発射、とババアのアナウンスが言うよりも早く、一本の細い閃光が夜空を切り裂いていった。そして、高層ビルよりも低い空中で、それは弾けた。黄色とオレンジ色に彩られた打ち上げ花火が、会場全体を鮮やかに照らし出す。たまや、かぎや、と中年の酔っ払いどもが大声で叫ぶ。うるせえな、社会のゴミに等しい老害風情が。俺が心の中でそう毒いていると、左隣に座っている人物の声が、俺の鼓膜を心地よく刺激する。
「わあ、きれーい!」
こ、この声は!?
……間違いない、幼女の声だ。
高く、それでいてどこか舌足らずで、極めつけに美声。間違いない。そう直感した俺は、すぐに左隣へと顔を動かした。
すると、どうだ!
そこには案の定、愛らしい顔つきをした幼女が、夏の夜空を前に目を輝かせているではないか!
年齢は恐らく十歳と言ったところだろう。幼女と言うよりは少女だが、俺にとっては十分ストライクゾーンだ。白地に朝顔を咲かせた浴衣を纏い、長い黒髪を揺らす彼女の顔の可愛らしさと言ったら……! とにもかくにも、幼女という枠組みでは収まりきらないほどの『美』が、そこにはあった。
おお、何ということだ。こんなすぐ側に、俺の求めていた幼女が居たとは。どうして気が付かなかったんだ。もし三十秒前の俺に会うことが出来たら、迷わず「貴様はすぐ隣の美しい幼女じゃなく、安っぽい花火にしか目がいかねえのかクソッタレー!」と叫んでぶん殴るだろう。
まあ、そんなちょっとした失敗はさておき。俺はすかさず、隣に立つ幼女へ向かって手を伸ばす。それとともに、俺の中の男が音も無く滾っていくのを感じた。いつもなら独り、暗い自室で空しく滾るだけであったそれは、すぐ隣のマーメイドを前に早くも臨界点を突破しつつあった。
俺は、そんな俺の中の男に向かって穏やかに言い聞かせる。
まて、あわてるな。だれよりもピュアでけがれをしらない、おれのなかのおとこよ。すぐにおまえがほんとうのおとこであることをしょうめいしてやるから。だから、いまは――
「よしよしケイコちゃん、ここなら花火もきれいに見えるんだねえ。どれ、ばあばにも見せておくれよ」
「うん、いいよ!」
俺の背後から何やら声が聞こえたかと思うと、小太りな体型をしたババアが幼女のすぐ右隣に――
って、ごらあああああ! ババアーーーーーーーーーーーーーーーーーーッ!!!!
幼女と俺との間に無理やり割り入ってくるんじゃねえーーーーーーーー!!
せっかくの幼女成分が台無しだろうが! ふざけるなーっ!!
俺が見たいのは幼女だっ、断じて老女じゃねええええええ!!!!
……ああ、俺の中の男が無惨にも散っていく。いや、厳密には散りこそしないが、それこそ一生心に傷を負う程のダメージを受けたことには違いない。その全ての元凶たる老女はというと、化粧と加齢臭とが入り混じった、クソよりもきつい臭いを辺りに撒き散らしながら『ケイコ』という名の幼女と談笑していた。対するケイコちゃんは、そんなばあばの臭いが気にならないのか、笑顔を浮かべていた。
くそう。ここは、ケイコちゃんの笑顔に免じて退散してやる。命拾いしたな、ババア。
俺は小声でそう漏らしながら、未だ花火が上がり続けているその場を後にした。正直、長いこと人混みにいたせいで心身ともに疲れが押し寄せてきた。
* * *
道丁川の花火を背に、俺は独り祭り会場を後にする。せっかく見目麗しい幼女と二人も出会ったというのに、そのどちらにもあらぬ邪魔が入った。くそっ、あのガキ二匹とデブババアめ。家に帰ったら真っ先に特定してやる、覚悟しろ。そう心の内で息巻きながら、俺は家路を急いでいた。よくよく考えれば、この祭りの中で良かったことなど全く無かった気がする。所詮俺みたいな凡人ぼっちには鼻から無理ゲーだったのだ。
俺の口から、大きな溜息が漏れる。ああ、もう。このどうしようもない気持ちは、某幼女大活躍アニメで癒すしかない。帰ったらさっさとブルーレイの録画を観て、お気に入りの抱き枕を引っ張り出して寝よう。
俺がこの後の計画を頭の中で練っていると、街灯も少ない夜道の中で、一人の幼女が佇んでいた。
こ、これはっ!?
俺の幼女センサーが荒々しく鳴り響く。白い街灯の明かりに照らされた彼女は、ざっと見て七歳ぐらいだろう。彼女は、大きな黒い瞳がとても印象的だった。さらに人形のごとき白い肌に、見るからに柔らかそうなピンク色の唇。肩まで伸びた黒髪に、肩を露出させたシャツと短パン。ボーイッシュな雰囲気に反して、二次元から飛び出してきたかのような容姿を誇る幼女に、俺はたちまちメロメロになった。それに合わせて、俺の中の男も完全復活する。
今度こそ、三度目の正直だ。もう誰の邪魔も受けんぞ。
そう呟きながら、俺は眼前の幼女目指して猛スピードで駆け寄った。そんな俺の現在の顔は、当然満面の微笑だ。多少これまでの疲れも顔に出ているかもしれないが、幼女を前にした俺は紳士である。手荒な真似はしない。
しかし、俺の思惑に反して幼女は俺の顔を見るや否や一目散に逃げだした。
「た、たすけてーっ!」
「ま、待ってお。お、俺は、紳士だから。だ、だからあ、あん、安心して。グフフフフフッ」
俺は必死の思いで、幼女の背中を追い掛ける。なんて照れ屋な女の子だろう。だが、そこがいい。手が掛かる幼女も良いが、控えめな幼女はことさら萌える。属性的にはもはや隙が無い。ここまで完璧な七歳とは、さぞ罪な幼女だ。それ故に、今ここで逃す手はない。
俺は、身体中に溜まった脂肪を揺らしながら幼女の後を走った。必死で走った。そしてついに、俺は幼女の肩を掴んだ。その瞬間、彼女は大声で泣き出してしまった。
「うえーん! たすけて、ママ、パパーッ!!」
「だ、だいじょぶだお。悪いようには、し、しないからさ。ねえ、チミ何歳? 学校どこ?」
俺は、幼女を落ち着かせるべく冷静に努めた。様々な質問を投げかけながらも、俺は幼女の身体のあちこちをまさぐる。プニプニしたほっぺに、平らな胸板。そして、触れるとモッコリした股間。なるほど――
……ん?? 『触れるとモッコリした股間』……????
…………。
…………。
「う、うわあああぁぁぁぁあああぁぁぁぁぁっぁっ、あっ、あああああああああっ、あああああああああぁぁぁぁぁぁぁぁぁっぁっぁぁぁぁああ、あああぁぁぁぁぉぁおあっぁっぁぁっぁぁぁぁぁあああああああああああ!!!!?!?!?」
俺は思わず周囲一帯に響く程の悲鳴を上げた。
な、何ということだ!
こんな、こんな非現実的なことが、起こり得ていいというのか、神よ!!
あまりにも非情過ぎる現実を前に、俺はその場で腰を抜かしてしまった。顔いっぱいに冷たい汗が流れるのをよそに、男の野太い声が聞こえてきた。
「タロウ? おーい、どこだ? タロウーッ!」
どこからか響く男の声を聞いた
……何だろう、このえも言われぬ喪失感は。
これから俺はどうなるんだろうか。幼女を手に出来なかったばかりか、あまつさえ男の娘に手を出そうとしてしまうとは。
俺の頭の中でありとあらゆる事実が渦を巻く中、背後に二つの人影が立つのが目に入った。おそるおそる振り返ると、そこにはガタイの良い男が二人。一人は三十代と思しき、スキンヘッドの男。もう一人は五十代かそこらの、横綱と見紛いそうなオッサン。彼らは無様に地面にへたり込む俺を見て、口々に告げる。
「アラアラ、いくら飢えてるからって。小さい男の子に手を出そうだなんて、イケナイ子ね」
「まったくね。こうなったら、アタシたち二人でとことんオシオキする必要がありそうね」
「そうね。よく見れば、この子アタシ好みだし。いっそアタシの手でオトナにしてあげるのも、悪くはないわね」
「そうと決まれば、善は急げね。今すぐアタシたちの車に乗せちゃいましょう」
男たちのオネエ言葉が、俺の耳朶をいびつに刺激する。やがて、男二人は俺の肩を強く押さえると、ゆっくりと歩き出した。
待て、どこへ連れて行くんだ。やめろ。やめてくれーっ!!
こうして、熱気を孕んだ危険な夏の夜は、ゆっくりと更けていった……。
幼女/完
幼女 天神大河 @tenjin_taiga
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