途切れる道
時雨ハル
前編
「この女の命が惜しかったら、とっとと武器を捨てろ!」
盗賊の頭領らしい男が声を張り上げた。その手に握られたナイフは、私の首へと突きつけられている。
「くそっ……」
ウォルトは後ろの二人に視線で合図して、剣をゆっくりと地面に置いた。フォグとエレナもそれぞれの武器を手放す。盗賊はにやつきながらその様子を眺めていた。
私のせいだ。私が油断していたから、こんなことになった。皆を窮地に追い込んでしまった。唇をきつく噛むと、かすかな血の味がする。
「さて、どうするかな……。とりあえず、金目の物を置いていってもらおうか」
三人が顔を見合わせる。エレナがこくりと頷いて、懐から革の袋を取り出した。前に立ち寄った村で、魔物退治をしたときにもらったお金だ。重そうな袋を見ていた盗賊は、地面に置かれた剣へと視線を移す。
「ついでにその剣もいただくぜ。売れば良い値がつきそうだ」
「なっ……!」
ウォルトが目を見開く。
「渡せねえっていうのか?」
盗賊の声に苛立ちが混ざる。ナイフの刃が私の皮膚に食い込んだ。痛い。血も出ているかもしれない。でも、そんなことには構っていられなかった。
「ウォルト、駄目!」
あの剣は、国王陛下からいただいた聖なる剣。魔王を倒す唯一の希望。それを、私なんかのために奪われてはいけない。
それなのに、ウォルトは苦しそうな表情で、けれどまっすぐに盗賊を見据えた。
「ミーナを、返してくれるんだな」
「ウォルト……!」
駄目なのに。あの剣がなくなったら、魔王を倒すこともできなくなってしまう。私なんかのために、こんな。
「もちろんだ。約束は守るぜ」
「……分かった」
ウォルトが低い声で答えると、盗賊の一人が剣へと歩み寄る。剣を拾う様子を見ながら、ウォルトはきつく拳を握りしめていた。
どうしよう、私のせいだ。私のせいで、聖剣が――
「何をしているんだ?」
やけに場違いな、緊張感のない声がその場に響いた。全員の視線が一斉に声の主へ集まる。
この場には、あまり似つかわしくない人だった。長い黒髪を一つにまとめ、紺色のコートを身にまとっている。整った顔立ちに、高そうな服。貴族の人、なのだろうか。
皆がぽかんとしている中で、最初に声を上げたのは盗賊の一人だった。
「何だテメエ。お取り込み中なのが見てわかんねえのか?」
盗賊にすごまれてもその人は大きな反応は見せなかった。ちょっと困ったような表情で首をかしげて――何故か、私を見た。
「もしかして、襲われているんですか?」
「は、はい」
反射的に返事をする。その人は少し考えるようなそぶりを見せてから、右手をこちらへ突き出した。手のひらを向けて、また私に尋ねる。
「助けた方がいいですか? 何だか、理由もなく襲われているように見えるんですが」
「えっと、はい。いきなり襲われてしまって……できれば助けて欲しいです」
なんて場違いな会話なんだろう、と答えながら思ってしまう。それは盗賊達も同じのようで、幾人かが笑い声を上げた。
「ははははっ! 馬鹿じゃねえの、この状況で――」
「分かりました」
何の前触れもなく、魔法陣が広がった。
風を切るような音と、爆音と、衝撃。ぎゅっと目を閉じると、倒れかけた私の体を誰かが支えてくれた。
「大丈夫か、ミーナ?」
ウォルトの優しい声が降ってくる。支えてくれる腕に無意識にしがみついて、おそるおそる目を開けた。一番最初に目に入ったのは、心配そうなウォルトの顔。ちょっと泣きそうな顔に、つい笑みを浮かべてしまう。
「大丈夫だよ」
私が答えると、ウォルトもつられて笑みを浮かべる。そのときになってようやく、自分の手が震えていることに気付いた。
「……でも、ちょっと、怖かった」
小さな声で弱音を漏らすと、ウォルトが頭を撫でてくれた。温かい手。少しだけ、彼に体重を預ける。
「熱いねー、お二人さん」
「ち、違います!」
エレナさんの楽しそうな冷やかしに、反射的に返事をしてあわてて体を離す。ウォルトの顔を伺うと、頬が少し赤くなっていた。多分、私の方が赤いだろうけど。熱い頬に手を当てると、大きな手が差し出された。
「不安だったのは分かるが、礼を言うのが先だろうな」
「は、はい」
フォグさんの手を借りながら立ち上がって、改めて助けてくれたお兄さんに向き直る。彼は曖昧な苦笑を浮かべていた。
「助けてくださってありがとうございました」
「いや、そんな、私は……」
私が頭を下げると、彼は困ったような顔で手を振った。
「俺からもお礼を言わせてください」
ウォルトが私の肩に手を置く。
「ミーナを助けてくれてありがとうございます。俺たちだけじゃどうにもできませんでした」
「いや、本当に大したことは……」
私の肩の、ウォルトの手が乗っているのとは反対側にエレナさんの肘が乗る。
「お兄さんすごいよねー、詠唱もなしであんな魔術が使えちゃうなんて。あたしにちょっと教えてよ」
ますます困った顔になるお兄さんに、フォグさんが言葉を重ねた。
「向こうから来たということは、リーオンの街に行かれるんですよね? 助けていただいたお礼に、食事をご馳走させてもらえませんか」
「え、あ、ええと……」
お兄さんはしばらくためらって、たっぷり悩んでから、「それでは、お言葉に甘えて」と微笑んだ。
*
魔王様が、かれこれ半日お帰りにならない。
普段なら何も言わずに出かけたとしても、その辺を散歩するだけで数時間もすればお戻りになる。なのに今日は、日が暮れるまで待っても連絡の一つも無いのだ。お強いのだから身の危険を心配する必要は無いのだろうが、遊び歩くことなどしなかった魔王様が、一体どこへお出かけになったのだろう。
いっそ探しに行くべきか、しかし殊更仕事が溜まっている訳でもないのに連れ戻すのはいかがなものか。主のいない執務室で、一向に答えの出る気配が無い疑問を転がしながら、重要性の低い書類を処理していく。
「これが片付いたら、だな」
書類の山が片付く頃には、人間も外を出歩かないような時間になっているだろう。一通り目を通して、魔王様に処理していただかねばならない書類を選定してから探しに出れば良い。心の中でそう決めて、書類にサインをする。
処理済みの箱へ書類を放り込んだのと、微かな気配を感知したのはほぼ同時だった。並の魔族ならまず気付かない気配。
「……何をやっているのだか」
独りごちて、踵を返し退室する。閉ざした扉の前でそのまま数秒待ち、再び扉を開いた。執務室の机には、引きつった笑顔の魔王様が何事も無かったかのように座っていた。
「や、やあ、シエニ」
入室して扉を閉め、ぎこちない手を挙げて挨拶する魔王様に礼をする。
「お帰りなさいませ、魔王様」
「ああ、うん。ただいま」
「書類はいくらか目を通しておきました。私で処理できるものは処理しましたが、こちらの物は魔王様の判断をお願いいたします」
「ああ、悪かったね。手間をかけた」
「いえ」
魔王様は選り分けておいた山から一枚取り、目を通し始める。私も先程のように書類の選定作業へ戻った。
しばらくは紙の擦れる音と、ペンの走る音だけが響く。時折私を見る魔王様の視線に気付いてはいたが、こちらからは何も言わずに書類を処理していった。
最後の書類が処理済みの箱へと入れられる。
「シエニ、私がどこへ言っていたか聞かないのか?」
「お聞きしてもよろしいので?」
質問に質問を返すと、魔王様は叱られた子供のような表情を浮かべた。そういった圧力をかけたつもりは微塵も無かったのだが。
「その、できれば話したくないんだが、後から話したら怒られそうな気がして」
「何故私が魔王様をお叱りするのでしょうか」
「じゃあ怒らない?」
「今まで私があなたをお叱りしたことがありましたか?」
「無い、けど」
普段から子供らしい所がある方だと思ってはいたが、今日はそれに輪をかけて子供らしい。それに加えて、妙に歯切れが悪い。余程呆れるようなことをなさったか、それとも余程重大なことをなさったのか。どちらにせよ、あまり聞きたくない気はするが。
「ではお話し下さい。魔王様が話したいのであれば、ですが」
机の前に立って、真っ直ぐに魔王様を見つめる。魔王様は指を組むと、視線を逸らしたまま話し始めた。
「――今日は、少しだけ遠出しようと思ったんだ」
つまり、こういうことだ。
いつもの散歩をしていて、ふと気が向いて遠くまで足を伸ばしてみた。すると偶然勇者と出会った。しかも勇者は窮地に陥っていた。勇者とは知らずについ助けてしまった。当然感謝され、食事に誘われた。断り切れずについて行って、何故か仲良くなってしまった。その時になってようやく彼らが勇者御一行だと気付いて、適当な理由を付けてここへ戻ってきた。
「つまり、自分の命を狙っている者達と顔見知りになってしまったと」
「まあ、そんな感じ」
魔王様は私が淹れたお茶を一口飲み、気まずい表情のままカップを置いた。
「特に問題は無いと思いますが」
「え」
気の抜けた顔が私を見上げる。
「何が問題なのでしょう」
「えーっと……」
左を見て、右を見て、魔王様はちらりと私を見た。
「勇者ってことは、その内私を倒しに来るんだろう?」
「そうでしょうね」
「何かさ、こう……色々、言われるかもしれないじゃないか」
「――ああ、そういうことでしたか」
人間というのは勝手なものだ。自分に敵対しないように見える物は全て味方の枠に押し込めて、見なかっただけの事実を知った途端に裏切り者だと罵り始める。始めから味方などいなくとも、だ。
「情でも移ってしまったかと思いました」
「いや、そんなことは……まあ、無いとは言えないが」
「殺す気が失せましたか?」
「殺すよ」
何の迷いも無い言葉が返される。それに微かな満足を覚えて、私は口を開いた。
「ならば、何も心配なさることはありません」
カップへ伸ばされていた手が、僅かに震えて止まった。
「人間達があなたを詰ろうと、罵ろうと、例えあなたが情に流され、彼らを殺せなかったとしても」
カップを取らず指を組んで、魔王様は私へ視線を向ける。血の色をした瞳から目を離せずに、半ば無意識の内に言葉を紡ぐ。
「あなたに刃を向ける者は許さない。あなたに恨まれることになろうとも、勇者などというふざけた者は排除します」
「……シエニ」
一瞬感じた威圧が嘘だったかのように、緊張感のない声が私を呼んだ。
「その気持ちはありがたいけど、私はそこまで弱くないよ」
「申し訳ありません」
魔王様は苦笑しながら、手に取ったカップに口を付ける。赤い目を細めて、液面を見つめながら薄い唇を開いた。
「全て私が殺すよ。――君に余計なことはさせられない」
空になったカップが机に置かれる。それを下げながら、私は深く腰を折った。
「御意のままに」
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