月光の下で

 ロア山脈に月光が降り注ぐ。


 かつて、人の崇める“アレス”が、また別の名で呼ばれていた頃、神代かみよの頃よりる月だ。ロアの東西を打ち抜く隧道では、まるで、神聖なる光から逃れるかの様に、今宵も、ジャンミーの教徒が蔓延っていた。


 ジャンミー教・アルスリア支部の中を一人の小司祭ヴィズロムが駆けていく。彼は無手である。だが、脳内に確かな情報を携えて会合中の部屋へ飛び込んだ。

 会合部屋の中に居たロベリアを含めた数人の大司祭クァロムは、驚いて乱入者を見詰める。数日程前に御祖師様フィクシーマが居た為と比べ、幾らか人数が減っている。以前は御祖師様フィクシーマへの対応の為に大所帯で留まっていたが、今はその必要も無く、数人の大司祭クァロムは家路に着き、アルスリア支部には暇のある者だけが待機していた。

 場は一時、浮き足立ったが、ロベリアはすぐさまざわめきを抑え、報告に耳を傾けさせた。


「現地神子フラミーより伝達! 『失敗』、だそうです!」


 それを聞いた大司祭クァロムの面々から落胆の溜息が漏れる。“やはり”駄目だったか、と。そんな中にあって、ロベリアは一抹の希望を失わず、小司祭ヴィズロムに尋ねた。


「端的が過ぎるぞ。何故なぜゆえの失敗かは聞き及んでいないのか?」


 失敗の理由が分かれば、それは決して無駄にはならない。今後の糧となって我々の中で生き続けるのだ、という前向きな研究思想からの言葉である。

 しかし、無情にも小司祭ヴィズロムは首を横に振った。


「いえ、それだけしか……」

「何という事だ……」


 これには到頭、ロベリアも頭を抱えてしまう。ここ最近の儀式が成功続きであった為に、その落差から生まれる落胆の念は大きい。大司祭クァロムの面々の気力は、一気に萎えんでしまった。

 最高司祭ロイ・クァロムであるロベリアは歯噛みする。何とか、この悪い流れを変えねばならない。彼女は持ち合わせた責任感と義務感から、乾坤一擲けんこんいってきの一手を試みる。


「皆、聞け!」

「ロベリア様……」


 意気消沈の視線たちが、力無くロベリアを捉える。だが、その視線は確りとは定まらず、ふらふら、と会合部屋を彷徨っていた。

 ロベリアは肺腑の底より込み上げて来た怒りにも似た何かを発露させ、机を強く叩いた。


「失敗はこれが初めてではないだろう! おごったか!? 矮小なる我々が“縁遠き神秘”に、そう易々と近付けるとでも、お思いか! 恥を知れ!」


 会議の場がシンと静まり返った。だが、これは先程から漂っていた嫌な沈黙では無い。それらが完全に払拭された気配を、ロベリアは敏感に感じ取る。彼女は見る見るうちに紅潮していく大司祭クァロムたちの顔を、何処か楽しげに見詰めた。

 火の付いた炉の様な熱気が、静かに立ち込め始める。


「今後調査が進めば、何れ、アレス教内部の者が新たな情報を伝えるであろう!」

「そうだ!」


 大司祭クァロムたちは口々に同意を示した。ロベリアは笑みを深め、高らかに宣言する。


「今、我々がすべきは消沈ではない! 来たるべき次を思量する事である! 我々には輝かしい明日があるのだ!」

「そうだ!」

「明日なんて無い」

「――ッ! いま発言したのは誰だ!」


 同意の声に混じり、悲観的な声が場に響いた。瞬時に激昂に達したロベリアは面々を見渡すが、響いたのは鈴の鳴る様な幼い少女の声だ。大司祭クァロム中にその様な者は居ない。目を血眼にして探す彼らの前に、声の主は会合部屋の暗がりから歩み出た。


「貴方達に、明日なんて無い」


 大司祭クァロムたちの神経を逆撫でする言葉を復唱しながら、悠々と姿を現したのは、彼らに取っても関わり深い人物――レイテであった。彼女は全身をゆったりと覆う衣服を揺らし歩き、天、或いは地をめ付けた。


「レイテ! どういう了見だ! 例えお前とて、神秘を追求する精神を――」


 一歩、レイテに向かって踏み出したロベリアの脚が、ガクッ、と折れ曲がる。反射的に堪らえようと踏ん張るも、力が入り切らずに転倒。尚も、ロベリアは立ち上がろうと四肢を動かすが、脱力の症状は脚だけで無く全身に広がっており、その試みは土に塗れるだけで終わった。

 駆け寄ろうと立ち上がった大司祭クァロムたちも、また同様の症状に襲われた。気が付けば、情報を持ってきた小司祭ヴィズロムも地に倒れ伏しており、会合部屋は瞬く間に死屍累々の様相を呈していた。


 ちりん、と優しげな鈴が鳴る。


 レイテは地を這っていた“フィリオ”に悪縁を通じて命令を伝えた。すぐさまレイテの元に集まったフィリオは脚を伝って衣服の中に消えて行く。

 フィリオ、これは麻痺毒を持つ毒蜘蛛である。一匹の持つ毒は微弱で、酷くとも噛まれた付近の筋肉が一時的に麻痺する程度だが、彼らは複数箇所を複数回に渡って噛まれている。毒が全身に回り、呼吸器官への抑制が運悪く強まれば、藻掻く事も出来ぬ苦しみの中、徐々に死に至るだろう。

 ロベリアは麻痺しつつある声帯を、途切れ途切れに震わせる。


「レ、レイテ……まさ、か……お前が! 裏切る、とは……」


 ロベリアに取ってレイテがこの様な行動に出るとは予想外だった。行く当ても無く市街を彷徨っていた所を拾い上げ、重用してやった恩は、決して浅くないと思っていた。

 恨みの中に困惑も多々混じる言葉を無視し、レイテは衣服の中で蠢いていたセッチリたちを彼らに差し向けた。屍肉だろうと構わず食らうセッチリの獰猛な雑食の面が剥き出しになり、力無く横たわる肉体を覆っていく。

 彼らは叫ぶ事も出来ず、なけなしの力で視線を逸らし、眼を閉じた。レイテはおもむろにロベリアへと歩み寄り、その顔を覗き込んだ。


「ねぇ、知ってる?」


 ちりん、ちりん、と衣服の下で鈴が揺れる。儚げでありながら、何処か悪魔じみている音色だ、とロベリアは感じた。


「アレス教の教えでは――死ぬと、神であるアレスの膝元に昇って行くんだって。そこでは生前と同じ様に縁者を探すとか、神の僕によって賞罰の裁きが下されるとか、まぁ、様々だけど。縁覚を司祭なんかが言うには、“生きとし生けるもの”が死んだ時、縁は身体から離れて天に漂うらしいから、『霊魂に結びついた縁が共に天へ昇って行く』って、そう捉えたのかもね」

「ぐっ……う……」

「私、この考え好きだなぁ……。だって、救いがあるじゃない」

「……ぐぅぅ……」

「ジャンミー教では死ぬとどうなるの?」


 ロベリアの視線の先で、大量のセッチリが大司祭クァロムの腹をから食い破った。戦慄したロベリアが全身の僅かに残った感覚に神経を巡らすと、皮膚だけでなく、身体中を駆け回る感触を感じ取ってしまった。


「ねぇ、どうなるの?」

「呪、われろ……神、に背く、愚者……め」

「それが答え? ――結構、つまんないね」


 ちりん。レイテは悪縁を通じて半分のセッチリに『食い尽くせ』と命じ、残り半分を自らに這わせた。会合部屋を抜け出し、自らが作り出した迷路の中を歩いてゆく。入り組んだ道、どう進めば良いか、なんて事は虫たちが教えてくれた。

 ファート王国側に作られたドアを開くと、正面の東に朝日が登っており、うっかり直視してしまったレイテは眼がくらんだ。


 暫く両眼の上に手を翳していると、段々と目も慣れ、感じる眩しさも減ってきた。眼下に広がる景色を眺めながら、レイテは深呼吸を繰り返し、大きく身体を伸ばした。


 衣服の下で、鈴が鳴る。


 セッチリも、ノウリュも、フィリオも、他の虫達も……彼らならロア山脈だろうと、何処だろうと、逞しく生きていける。レイテはそう直感していた。


 彼らは、時に、想像もできない程の生命力を見せてくれたのだから。


 思い残すことなど何一つなかった。全ての整理を終えたレイテは、ゆっくりと歩き出す。軽くなって行く身体を寂しくも感じたが、生きとし生けるものは裸で生まれるものだ。


 ならば、きっと、死ぬ時もそうなのだ。


 身も、心も、本当に……実にかろやかで、晴れやかな気分だった。

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