月光の下で
ロア山脈に月光が降り注ぐ。
ジャンミー教・アルスリア支部の中を一人の
会合部屋の中に居たロベリアを含めた数人の
場は一時、浮き足立ったが、ロベリアはすぐさまざわめきを抑え、報告に耳を傾けさせた。
「現地
それを聞いた
「端的が過ぎるぞ。
失敗の理由が分かれば、それは決して無駄にはならない。今後の糧となって我々の中で生き続けるのだ、という前向きな研究思想からの言葉である。
しかし、無情にも
「いえ、それだけしか……」
「何という事だ……」
これには到頭、ロベリアも頭を抱えてしまう。ここ最近の儀式が成功続きであった為に、その落差から生まれる落胆の念は大きい。
「皆、聞け!」
「ロベリア様……」
意気消沈の視線たちが、力無くロベリアを捉える。だが、その視線は確りとは定まらず、ふらふら、と会合部屋を彷徨っていた。
ロベリアは肺腑の底より込み上げて来た怒りにも似た何かを発露させ、机を強く叩いた。
「失敗はこれが初めてではないだろう!
会議の場がシンと静まり返った。だが、これは先程から漂っていた嫌な沈黙では無い。それらが完全に払拭された気配を、ロベリアは敏感に感じ取る。彼女は見る見るうちに紅潮していく
火の付いた炉の様な熱気が、静かに立ち込め始める。
「今後調査が進めば、何れ、アレス教内部の者が新たな情報を伝えるであろう!」
「そうだ!」
「今、我々がすべきは消沈ではない! 来たるべき次を思量する事である! 我々には輝かしい明日があるのだ!」
「そうだ!」
「明日なんて無い」
「――ッ! いま発言したのは誰だ!」
同意の声に混じり、悲観的な声が場に響いた。瞬時に激昂に達したロベリアは面々を見渡すが、響いたのは鈴の鳴る様な幼い少女の声だ。
「貴方達に、明日なんて無い」
「レイテ! どういう了見だ! 例えお前とて、神秘を追求する精神を――」
一歩、レイテに向かって踏み出したロベリアの脚が、ガクッ、と折れ曲がる。反射的に堪らえようと踏ん張るも、力が入り切らずに転倒。尚も、ロベリアは立ち上がろうと四肢を動かすが、脱力の症状は脚だけで無く全身に広がっており、その試みは土に塗れるだけで終わった。
駆け寄ろうと立ち上がった
ちりん、と優しげな鈴が鳴る。
レイテは地を這っていた“フィリオ”に悪縁を通じて命令を伝えた。すぐさまレイテの元に集まったフィリオは脚を伝って衣服の中に消えて行く。
フィリオ、これは麻痺毒を持つ毒蜘蛛である。一匹の持つ毒は微弱で、酷くとも噛まれた付近の筋肉が一時的に麻痺する程度だが、彼らは複数箇所を複数回に渡って噛まれている。毒が全身に回り、呼吸器官への抑制が運悪く強まれば、藻掻く事も出来ぬ苦しみの中、徐々に死に至るだろう。
ロベリアは麻痺しつつある声帯を、途切れ途切れに震わせる。
「レ、レイテ……まさ、か……お前が! 裏切る、とは……」
ロベリアに取ってレイテがこの様な行動に出るとは予想外だった。行く当ても無く市街を彷徨っていた所を拾い上げ、重用してやった恩は、決して浅くないと思っていた。
恨みの中に困惑も多々混じる言葉を無視し、レイテは衣服の中で蠢いていたセッチリたちを彼らに差し向けた。屍肉だろうと構わず食らうセッチリの獰猛な雑食の面が剥き出しになり、力無く横たわる肉体を覆っていく。
彼らは叫ぶ事も出来ず、なけなしの力で視線を逸らし、眼を閉じた。レイテは
「ねぇ、知ってる?」
ちりん、ちりん、と衣服の下で鈴が揺れる。儚げでありながら、何処か悪魔じみている音色だ、とロベリアは感じた。
「アレス教の教えでは――死ぬと、神であるアレスの膝元に昇って行くんだって。そこでは生前と同じ様に縁者を探すとか、神の僕によって賞罰の裁きが下されるとか、まぁ、様々だけど。縁覚を司祭なんかが言うには、“生きとし生けるもの”が死んだ時、縁は身体から離れて天に漂うらしいから、『霊魂に結びついた縁が共に天へ昇って行く』って、そう捉えたのかもね」
「ぐっ……う……」
「私、この考え好きだなぁ……。だって、救いがあるじゃない」
「……ぐぅぅ……」
「ジャンミー教では死ぬとどうなるの?」
ロベリアの視線の先で、大量のセッチリが
「ねぇ、どうなるの?」
「呪、われろ……神、に背く、愚者……め」
「それが答え? ――結構、つまんないね」
ちりん。レイテは悪縁を通じて半分のセッチリに『食い尽くせ』と命じ、残り半分を自らに這わせた。会合部屋を抜け出し、自らが作り出した迷路の中を歩いてゆく。入り組んだ道、どう進めば良いか、なんて事は虫たちが教えてくれた。
ファート王国側に作られたドアを開くと、正面の東に朝日が登っており、うっかり直視してしまったレイテは眼がくらんだ。
暫く両眼の上に手を翳していると、段々と目も慣れ、感じる眩しさも減ってきた。眼下に広がる景色を眺めながら、レイテは深呼吸を繰り返し、大きく身体を伸ばした。
衣服の下で、鈴が鳴る。
セッチリも、ノウリュも、フィリオも、他の虫達も……彼らならロア山脈だろうと、何処だろうと、逞しく生きていける。レイテはそう直感していた。
彼らは、時に、想像もできない程の生命力を見せてくれたのだから。
思い残すことなど何一つなかった。全ての
ならば、きっと、死ぬ時もそうなのだ。
身も、心も、本当に……実に
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます