神の山

 アルスリア地方を南北に二分するロアの山脈は、その幽邃ゆうすいたる様をかつてはアレスに見立てられ、神山として祀られていた時期もあった。しかし、そのけわしい山肌は踏み入る者を容易に死に至らしめ、これが昨今にまで続く不入いらずの風潮を形作った。


 但し、これはアレス教に根差した感性であり、アレスに反目する彼らは知った事では無しと、ロアの天地に唾吐いた。


 ロア山脈の開発を見張る『監視』たちの目を金に晦ませ、山脈の東西を貫通する様に作った隧道トンネルが“ジャンミー教・アルスリア支部”である。祭壇の簡易的な作りとは違い、蟻の巣の如く張り巡る通路の一角にて、今日も神秘的な会合が執り行われようとしていた。


 部屋に続々と大司祭クァロムの面々が入室するが、何やら敬虔と言うより畏まり態度で、日頃のそれとは程遠い。その所為だろうか、部屋には幾つもの蝋燭が灯されているのだが、何処か薄暗い印象を拭えない。着席した大司祭クァロム構成の内訳は人族が最も多いが、これが神子フラミー全体の内訳を反映した結果では無い事を、予め述べておく。


 全員が着席し終え、会合を始めようといった所で、最もかみに近い高級な椅子に座する男がにわかに声を漏らした。


「ああ……」

御祖師様フィクシィーマ! どうなさいましたか!?」


 その吐息に一番乗りで反応を示したのはこの場において二番目に高位な最高司祭ロイ・クァロム――ロベリアと呼ばれる女神子フラミーだった。そして、今、御祖師様フィクシィーマと呼ばれた男こそ、大司祭クァロム連中の身を縮こまらせている原因である。


「……今、帝都にて……しもべが没しました……」


 男は厳かな口調でそう語った。大司祭クァロム達から口々に落胆の声が漏れる。男は静かに目を伏せた。


「――私がここに居る意味はもうないでしょう。今日中にカルーニアへ発ちます。出立の準備を」

「そんな、御祖師様フィクシィーマ!」


 ロベリアが甲高い金切り声で、感情を爆発させた。しかし、自分がこの場で最もくらいが高く、アルスリア地方の神子フラミーを纏めている立場にある事を思い出し、すぐに落ち着きを取り戻す。


「……いえ、これも偉大なる神々へ報いる為なのですね……! 御祖師様フィクシィーマにはカルーニアに未だ遣らねばならぬ事が……!」

「……」


 男は無言でうなずいた。ロベリアを含めた大司祭クァロムたちは崩れ落ちるように跪く。男は手を翳しながら大きく息を吸い込んだ。


「励みなさい……神子フラミーたちよ……。天上に御座おわす神々は常に我らを見守っておられます……」

「――はい!」


 男の言葉に大司祭クァロムの面々は感極まった様子で答える。それを見た男は先程までの厳粛な雰囲気を引っ込めて、おずおずと切り出した。


「それで、その、皆さん。準備を任せ、少し……一人きりにして頂きたいのですが」

「一人、ですか?」

「えぇ……神々のつかわす精霊たちとの交信を……」

「交信!?」


 “交信”なる概念はロベリアたちに初耳である。されど、驚いて見上げた面々の目に映ったのは御祖師様フィクシィーマのごく自然体であり、落ち着いた表情だった。

 なんということだ。きっと、あるのだろう。彼らは皆、おのれの無知を恥じた。


「ご、ごゆるりと……」


 ロベリアは胸に抱いた恥を外に漏れ出さぬよう、厳かにそう発して退室する。最高司祭ロイ・クァロムであるロベリアがそう振る舞ったのに倣い、大司祭クァロムたちもそれに続いた。ロベリアが畏まって静かに扉を閉めると、大司祭クァロムたちもほっ、と息を吐く。万が一にも失礼があってはいけないと、気が気ではなかったのだ。


 儀式について御祖師様フィクシィーマともう少し話したかったが、仕方ない。ここで話していても交信の邪魔になるだろうと大司祭クァロムたちは示し合わせたように一人、一人と歩き出す。

 その波に紛れていたロベリアは一人でそっと抜け出し、扉に耳を当てた。


「――――」

「――」

「――――――」


 二人、居る。話し声から判断するならば、確実に以上の男女が中で会話していた。詳しい内容を聞き取ることは叶わなかったが、ただ微かに漏れる声に耳を傾けるだけで、ロベリアの心には充足感が満ちていった。

 このままでは怪しまれてしまう。ロベリアは名残惜しそうに扉から離れた。


 少し先の部屋、先程の部屋よりは幾らか生活感のある場に、ロベリアは堂々と遅参する。彼女が最も位が高い最高司祭ロイ・クァロムである為、誰も突っ込むこんで聞く事はない。


「ロベリア様、出立の準備は小司祭ヴィズロムたちへ申し付けました」

「それは結構」


 そして、流れるように生活感のある机に着席し、大司祭クァロムたちと顔を突き合わせ、繰り広げられていた議論に途中参加した。

 大司祭クァロムの一人が言う。


「長く生き残っていたダリ側のしもべも没し、試験的に目標と定めた『御眼球おんがんきゅう』の回収は終ぞ叶いませんでしたな……」

「問題ない。御祖師様フィクシィーマはこれもまた『ラィトリー』だと仰った」


 残念そうな大司祭クァロムの発言に、ロベリアはそう答えた。『ラィトリー』とは“宿命”、“運命”、“天命”、或いはそれら全てを包括したようなジャンミー教特有の用語で、専ら矛盾を叩き潰す為に濫用される。

 過ぎた事をぐちぐちと言い募る性分は彼らに無く、誰もが目新しい成果を求めて、議題は『次』の儀式へと移っていく。


「次の実験だが……素体を変えるのはどうだろう」

「確かに、リザードマンを素体にする理由……『聖碑せいひ』からは読み取れなかった、と聞く。良いかもしれんな」


 その言葉に獣人の大司祭クァロムが噛み付く。


「いや……。リザードマンが素体というのは、かつての神子フラミーたちの試行錯誤の結果かも知れんぞ。『再発見』という事態もあり得る!」


 こと議論となると、熱くなりがちな獣人の大司祭クァロムをロベリアは慣れた様子で諌める。


「待て待て、理由は聖碑に合ったかも知れんが、それも今は失われている。我々がするべきはひとまず『復元』。後世の神子フラミーたちによる再発見を防ぐ為に、我々でやっておくというのも、して無駄ではないだろう」


 議論時にこうして熱くなる者を抑えるのが、彼女の役回りでも合った。その言葉に、獣人の大司祭クァロムは気勢を引っ込める。

 ロベリアはそれを満足そうに見届けてから続けた。


「資金は私が用意する。やってみよう」

「おお、さすがロベリア様……!」


 大司祭クァロムが口々にロベリア称え、彼女はそれを片手で制する。


「次の種族は……そうだな、エルフにしよう。あれはアレス教にちかしくもある。目的は――“教皇区の襲撃”だ」

「教皇区を!?」


 教皇区といえばアレス教の総本山。そこへ殴り込ませる、など……。一歩間違えればジャンミー教の拠点が割れ、ややもすれば叩き潰されてしまう可能性もある。

 ロベリアも当然その可能性には至っており、場のざわめきを片手で制した。十分に静まった所で激昂にも近い宣言を叫ぶ。


御祖師様フィクシィーマは『励め』と仰られた! 手柄を上げねば顔向けできないではないか! 神に!」


 ロベリアは天を指す。無論、この支部はロア山脈をくり抜いたつくりである為に、指先にあるのは唯の『土』だが、彼らはそこに天上の神々を見た。

 すぐさま跪いて拝む大司祭クァロムたちを見回し、ロベリアは満足そうに頷いたが、今後の展望を練る中で欠かせない人物の所在が気がかりだった。


「所で“レイテ”……イーテ持ちのアイツは何処に待機させていたかな……」


 その呟きに大司祭クァロムの一人が答える。


「丁度、帝都へ向かう途中、『教皇区』辺りです。ロベリア様」

「なんと! これも神々の導きか……!」


 恐らく偶然であろうそれも、彼らには神の御業に思えて仕方がなかった。跪く輪にロベリアも加わり、彼らは暫くの間土に祈り、拝み続けていた。

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