死地への伴

 アレス教に残された文献、その写しを睨むグリューの顔は、まるで干した果実の如き皺に覆われていた。


 それとは対照的に、王子はいまから女をこますんだとばかりに血気盛んな雰囲気である。


「ご覧の通り、奴に打つ手はありません」


 グリューの諦観混じりのぼやきにはマイトも同意見だった。


 矢は刺さらず、火矢も効果は薄い。水責めも毒も効果はない。物理的な攻撃は効くとは言え、不用意に近付けば回復させてしまう。


 火器は小口径では効果が薄く、大砲は山間に持ち込み辛いし取り回しも悪い。使うとすれば奴が山を降りて帝国側に出てからになる。


 だが、王子は「それがどうした」と余裕綽々だ。


「情けのない事を言うな。お前はそれでもおれの縁者か?」

「いや、しかし……」

「心配無用! おれを誰だと思っている」

「……」


 文献を床に投げ捨てる王子は何処と無く愉しげでさえある。


 王子は多くの縁に恵まれながらも、今迄に一人として縁者に巡り合わなかった。そんな折、偶然にも討伐に行った先で縁者であるグリューと出会う。


 率直に言って、マイトはこれに懐疑的だった。


 その場にはディアも居合わせて確認していたので、グリューが縁者なのは間違いない。


 だが、グリューが王都に行ったことは一度や二度ではないし、王子との謁見の場だって設けられている。


 その間に誰も気付かなかったなど有り得るのだろうか。王子は多縁というのは、王国国民なら、誰もが知る事。


 そんな王子には、必ずお付きの高位聖職者が必ず居るはずだ。


 毎回のように『偶然』離席や体調不良だったとでもいうのか? いくら「会遇は定めでは無い」とは言っても、「多縁寄らば引く」とも言う……。


 マイトは瞳の奥で王子を見据えた。


 王子は椅子にふんぞり返ると、グリューに向かって作戦を伝える。


しかし、かつての敗北者共の意見も全くの無駄ではない。討伐は少数精鋭で行う事とする。雑兵で圧し潰す戦術が使えんのなら、唯一手傷を与えたアステラの如き豪傑のみを選抜して赴くべきだ」

「……」

「グリューよ。何か不満でもあるか?」

「……いえ、それがよろしいかと」


 グリューが同意を示したのは、応じの作戦が理には適っていたからである。それに、少数精鋭ならば大量の人命を徒に消費する事態は避けられようと謂うもの。


 選ばれた勇猛果敢な戦士たちが散るのは大きな損失だが、背に腹は変えられない。


「早速選抜に赴こうぞ!」

「お待ち下さい殿下」

「……お前は――マイトだったか?」


 マイトが意を決して割り込んだ。


「はい。ハイケス様へのご報告が残っていまして……」


 そう言ってグリューへ目配せする。報告などなかったのだが、グリューは意を汲んでか頷いた。


「あ、ああ、そうだった。まだ領地運営に関する報告が……。殿下、申し訳ありませんが選抜は報告を受け取ってからでも、宜しいですか?」


 王子が露骨に嫌悪を顕にするが、これは割り込まれた事に対する嫌悪ではなく、事務業務に対するものだ。


 王子は王城にいた頃から、こういった話になると席を外すのが常だった。


「ふん、まあよい。おれはディアの奴に縁を視させている。終わったら来い」


 王子は部屋の外に待機させていた専属の護衛に呼びかけ、それらを引き連れて部屋を出た。マイトはそれを横目で見送ると、グリューに向き直る。


「それで、何の話だ」

「……生き残りの兵士たちが妙な話を始めたのです」

「妙な話?」


 手傷を負いながら生き残った兵士たちに話を聞くと、彼らは口を揃えてこう言った「戦っていた時に縁が視えた」と。


「戦闘で縁が視える様になった例は聞いたことがないぞ。視える奴は生まれ付き視えるものだろう? それに文献にはかなり詳しく戦いの描写がされていたが、そんな描写は一切なかったぞ」

「文献からは意図的に消したものと」

「……否定はできんな」


 『縁覚』は神の祝福によるもの。その常識の上に今のアレス教はある。


 それが悪魔の使いに一時的とはいえ与えられたとなれば、盤石な地位にも綻びが生まれよう。


 300年前に王国はなかったとはいえ、今の今まで存在は悪魔の使いの存在そのものを秘匿していたのだ。


「口止めはしましたが……。何れ噂として出回るでしょう」

「はぁ……。次から次へと……」


 グリューは嘆息を残して立ち上がった。


「まぁ、出来ることをやるしかないだろう……まずは、『監視』への通達をしておかねばなるまいな」

「……はい」


 踏み出した足取りに、マイトは水中を歩く時の様な視えない抵抗を感じていた。

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