もっと上手くならなくちゃ(ジャンル:ホラー)
もっと上手くならなくちゃ
昔、「自分とそっくりの人間を目撃した者は、数日以内に死ぬ」なんていう、怖い話を聞いたことがある。
その、自分とそっくりの人間のことを「ドッペルゲンガー」と呼ぶらしい。「ドッペルゲンガー」は、ハッキリ見えるけれども会話も交わせないし触れもしない、半ば幻のような存在なんだとか。
有名なところでは、芥川龍之介やリンカーン大統領が自分のドッペルゲンガー出会った、なんて話も。
その話を聞いた時は、よくある都市伝説や怪談の類として「怖いなぁ」くらいにしか思わなかった。
けど、まさかその私が「自分そっくりの人間と出会う」ことになるだなんて――。
***
――十一月に入って、寒さが厳しくなってきた。
ただでさえ乾いている都会の空気は、冬に入ってますますその乾きを増しているように思える。……いや、乾いているのは私の心、か。
北海道から親元を飛び出すように東京へ出てきて早七年。そこそこの職にありつき、そこそこの生活を維持しているけれども……私は孤独だった。
元々、人付き合いが得意な方じゃない。会社にもよく話す人はいるけれども、一緒に遊びに行ったりはしない。
自業自得といえばそうなんだろうけど、そもそも私のように陰気な女を遊びに誘ってくれる、奇特な人がいないのも事実だった。故郷に置いてきた友人たちの優しさが身にしみる。
――等と現状を憂いつつも、なんとかしようとは思わない。故郷の友人たちとも、もう何年も連絡を取っていない。
そんな達観あるいは諦観こそが、私こと「芹沢ありす」の本質なのだと思う。
だから、私は今日もお気に入りのカフェで、お気に入りの恋愛小説にうつつを抜かす、冷めた独りの休日を送る――はずだった。
「――きゃっ!?」
始まりは、誰かのそんな悲鳴。私が座っていたテラス席の横で、女性が派手にすっ転んだのだ。
いつもなら我関せずを貫くところだけど、運の悪いことに、彼女が持っていたスマホが私の足元に滑り込んでいた。流石にこれを拾わないのは無関心にすぎるだろう。
そう思い、スマホを拾って「大丈夫ですか?」等と白々しい声を彼女にかけた、その時――思わず言葉を失った。
そこには、鏡があった――そうとしか思えない人物が、目の前にいた。
強かに打ち付けたお尻をさすりながら顔を上げた彼女は、私と瓜二つだったのだ。たぶん、背格好もほぼ同じだろう。
――「ドッペルゲンガー」、瞬時にその言葉が脳裏に浮かんだけれども、目の前にいる彼女は、どう見ても実体だった。確か、ドッペルゲンガーは触ったり言葉をかわしたりは出来ないはずだ。
ましてやスマホを落としたりなんかしないはず……。
「あっ――」
彼女の方も、私の顔を見て言葉を失っている。
そして、私たち二人が固まっている内に、店員が「大丈夫ですか、お客様!」と血相を変えて飛んできた。そこでようやく、私たちは正気に戻る。
「ああ、大丈夫です大丈夫です! お騒がせしました!」
途端、小動物のようにペコペコしながら、平謝りに謝り始める彼女。……なんだか、自分がペコペコしているみたいで複雑な気分だ。
……等と思っていると。
「あ、あの……スマホ拾ってくださって、ありがとうございました!」
今度は、私に向かってペコペコと頭を下げ始めた。
……自分が自分に頭を下げているみたいで、やっぱり複雑な気分だ。
「……別に、足もとに滑ってきたから、拾っただけです。そんなにかしこまらなくても大丈夫です」
そんな気分も手伝ってか、私は少々冷たい言葉で返事をしてしまう。
けれども彼女は――。
「あ、あの! せ、せっかくなんで、ご相席してもいいですか!?」
なんて、照れたように頬をポリポリとかきながら、人懐っこい犬のような笑顔を浮かべ、こちらへ一歩踏み込んできた――。
***
彼女の名前は
――もし、彼女の生まれが北海道だったら、「生き別れの双子」という可能性もあったかもしれないけど、どうやらそれはなさそうだった。
けど、それにしたって私たちは似過ぎている。道行く人に尋ねても、十人中十人が「一卵性の双子でしょ?」と答えることだろう。
「でも、本当にびっくりしました! 顔を上げたら私そっくりの人がいるんですもん!」
「……それはこっちも同じよ。ドッペルゲンガーかと思ったわ」
「どっぺるげんがぁ? なんです、それ?」
「……ただの都市伝説よ。忘れて」
――この通り、顔は瓜二つだけど、私たちは生まれだけでなく、知識の範囲や趣味、喋り方なんかも随分と違っていた。
紛れもない他人なのだと、少し安心する……一方で、少しだけ寂しい思いもある。何故だろう?
「……じゃあ、私はそろそろ行くわね」
心の中に生まれた謎の感情に背を向けるように、私は用もないのにカフェから立ち去ろうとした。
けれども彼女は――弥生は、意外なことを申し出てきた。
「あの、ありすさん! ケータイの番号、交換しませんか?」
癖なのか、ポリポリと頬を掻く彼女の顔は、真っ赤だった――。
***
――その日から、私は弥生の猛アプローチを受けることになった。
朝昼晩問わず、弥生はとりとめもないメッセージを私に送り付けてくるようになったのだ。
やれ、「美味しい店を見つけた」だの、「星が綺麗ですよ」だの、「またあのカフェでお茶しませんか?」だの。こちらが返信せずに既読スルーしていても、めげずに送り続けてきた。
私がそれに根負けするのは、時間の問題だった。
それから、私の生活は一変した。
会社の帰りや休日には、弥生と待ち合わせてお茶をしたり食事に行ったり。私の趣味に合わせて本屋巡りをすることもあれば、弥生の趣味に合わせて服を買いに行くこともあった。
「ありすさん、せっかく綺麗なんですから、もっとおシャレしましょうよ!」
「……あなた、それ暗に自分が美人だって言ってない?」
私たちが美人だなんてお世辞はともかくとして、弥生のファッションセンスは抜群だった。
今までファストファッションくらいにしか興味のなかった私も、どんどんと弥生の趣味に染められていって……会社でも「芹沢さん、最近着こなしがオシャレだよね。彼氏でも出来た?」なんて言われる始末。
……残念、出来たのは彼氏じゃなくて、同じ顔をしたナニカなのだ。
***
弥生と一緒の日々は目まぐるしくも楽しく過ぎていって、早くも一年が経とうとしていた。
もはや彼女は「親友」……いや、「血の繋がらない双子の姉妹」と言ってもいいくらいの、かけがえのない存在だ。
どこへ行くのも、何をするのも一緒だった。
そんなある日――。
「ねぇ、ありすさん。私たち、一緒に住みません?」
弥生が頬をポリポリ掻きながら、そんなことを言ってきた。
私は少し驚きながらも、彼女の心境を考えて、首を縦に振った。その時の彼女の喜びようと言ったら……。
――実は、弥生は天涯孤独の身だった。
福島を襲った数々の災害や悲劇によって、親兄弟や親類を失ってしまっていたのだ。だから、誰かと暮らすことが夢なんだと、いつかお酒の勢いで話してくれたことがある。
そんな彼女の申し出を断れるほど、私は非人間ではなかったらしい。
でも、一緒に暮らすとなると、流石に故郷の両親にくらいは、弥生のことを紹介しておいた方が良いだろう。家出同然で出てきた身としては、連絡するのも気がひけるのだけれども……。
父さん母さん、きっとびっくりするだろうなぁ――。
***
『――で、どうなんだい? 弥生さんとの同居は。あちらさんに迷惑をかけてないかい?』
「大丈夫よ、母さん。弥生も私も母さんが思ってるよりしっかりしてるから……ンンッ!」
『あら、変な咳して、風邪かい? 弥生さんにうつすんじゃないよ? 』
「……分かってるわよ。母さん、心配しすぎ。弥生と暮らし始めて、もう半年も経つのよ? 大丈夫だって」
『そう言うんなら、一度彼女を連れて帰ってきなさいな。いい加減お母さんも、弥生さんにお会いしたいわ。噂の美人さんに――』
その後も、ああだこうだと延々と話は続き、電話から開放されたのは十分後。過保護と言うか心配性というか……まあ、それだけ愛されているという証拠だろう。
「まったく、羨ましい限りだわ」
声音を戻して、一人呟く。
どうもまだ、油断すると地声に戻ってしまう。トレーニングが足りない証拠だ。地声を聞かれたら、いくら電話越しでも一発でバレてしまう。
私はスマホを操作すると、録音してあった膨大な音声の中から幾つかを見繕い、再生する。
『大丈夫ですか?』
「大丈夫ですか?」
『私はそろそろ行くわね』
「私はそろそろ行くわね」
『一度、うちの実家に顔を出してみない?』
「一度、うちの実家に顔を出してみない?」
――うん、短いフレーズの声真似なら完璧だ。でも、長くなるとボロが出そうになる。
やっぱりトレーニングあるのみだ。
『あなた、最近ちょっと様子が変よ?』
「あなた、最近ちょっと様子が変よ?」
『ちょっと! 顔をそんなにかきむしったら痕が残るわよ!』
「ちょっと! 顔をそんなにかきむしったら痕が残るわよ!」
『えっ……ちょっと、嘘でしょ!? いや、やめて! 来ないで!』
「えっ……ちょっと、嘘でしょ!? いや、やめて! 来ないで!」
スマホから流れる声を、ひたすらに真似続ける。もっと上手くならなくちゃ。
――ああ、それにしても最近ますます顔が痒くなってきた。手術してから二年近く経つから、そろそろアフターケアが必要なのかもしれない。
しばらくはこの顔で過ごすんだから、大事にしないと。ありすさんの分もね!
(了)
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます