ソラで、待っていた者
宇宙に到達した俺は、謎の光に視界をふさがれ、目を閉じた。
……それから、数分か、数時間後か、時の感覚が曖昧になったころ、瞼をそっと開ける。
「……え?」
目の前に広がっていたのは、青空と、緑の草原だった。
俺の両足はしっかりと大地に着いている。吹く風はほおをなでて、草のにおいは、鼻をくすぐる。宇宙服は着ておらず、代わりは、茶色のフライトジャケットだった。
「なんで……? 俺は、宇宙に行ったんじゃないのか!? それとも、ここは……」
最悪の場所を思い浮かべる。マイラはおらず、独りでいるのもよけいに不安を増した。
「……いや、冷静になれ。何があっても周囲の状況を観察、自分の体調を把握して、行動すること。今までの訓練を思い出すんだ」
無音響低圧室にはじまる様々な過酷な訓練を、俺は乗り越えた。全ては、未知の領域である宇宙に備えるために。
なので、俺はまず息を大きく吸って、吐いた。脳に新鮮な酸素が巡ると、気は落ち着いた。
「よし。ちゃんと空気はある。それに、五感も働いている。生きているのはたしかだ。だから、マイラを捜さないと」
ここがどこだとしても、まずはマイラを捜す。そのために俺は、周囲をもっとよく観察しようとした。
「うん? あれは……」
右の空から、小さな物体が飛んで来る。それは俺の元へ近づき、足元にゆっくりと着陸した。
プロペラ飛行機のおもちゃだった。赤い両翼に、青色の胴体。モデルは、戦前、数々の長距離飛行記録を打ち立てた共和国製の機体だ。
「おーい、おにいちゃーん、僕の飛行機、とってえ!」
とつぜん、少年の声が俺に届く。
飛行機から目を離して顔を向けば、同じ方向から少年が走って来る。
俺は言われるがまま飛行機を拾った。
「……ふぅ、ふぅ、あ、ありがとぅ」
俺の元に寄った少年は息を切らして礼を言った。
「大切な物なんだね。はい」
その一生懸命さに警戒をするのも忘れて、飛行機を渡す。
「うーん……おもったより飛ばなかったなぁ。次はもっと翼を……」
受け取るとすぐに翼をいじり、ぶつぶつと独り言を始めた。
俺はその姿にどこか懐かしいものを感じて、ほほえましく見つめる。
歳は、10くらいだろうか。ふつうに会話ができるということは、共和国人かもしれない。それに、茶金の髪色か……。
「貸してごらん。その型なら、俺も持ってたよ。遠くに飛ばしたいんだよね」
「……あっ、そのジャケット、もしかして、お兄ちゃんも飛行士なの!?」
話しかけた俺に、少年は瞳を輝かせて尋ねる。
「あ――」
彼の青い瞳に、あの人が重なる。
「そうだよ。俺の名前はマルス……ベロウソフ。君の、名は?」
「やっぱりそうなんだ! マルスお兄ちゃん、僕の父さんもだよ。僕の名前は、ボリス。僕もね、将来は飛行士になるんだ。飛行機で、誰も行ったことのない遠い場所に行く」
「俺も、同じだよ。だから、君に会えたんだ。……さん」
少年の正体を確信した俺は、最後に小さく敬って呼んだ。
「ねえ、話を聞かせて! どんな飛行機に乗ってるの? 初めて飛んだ時の感じは?」
ボリスは俺の体に接して、次々と質問を重ねた。
「ここに座って話をしよう。何でも答えてあげるから」
俺の誘いにボリスはうんうんと元気よくうなづき、ぺたりと座った。
俺は彼の左隣に並び、質問ひとつひとつに丁寧に答える。
「……お兄ちゃんは、マイラっていう子と一緒に来たんだ。僕も、会ってみたいな」
「君とも必ず仲良くなれるよ。そうだ、俺からも質問があるんだ。君のお母さんは、どんな人なのかな?」
「僕の母さん? とても優しくて、大好きだよ。父さんと同じくらい。母さんの作るボルシチは世界一なんだ! あ、ブリヌイは父さんのほうが美味しいかな。……母さんにはナイショだけど」
「そっか、俺も食べてみたいな」
料理の話題になると、くぅ……と、かわいくお腹の音が鳴る。
「あは、お腹すいちゃった。そろそろ、行くね。……この飛行機、お兄ちゃんにあげる」
ボリスは俺に飛行機を差し出した。
「いいのかい? 大切なものなのに」
「なんだか、お兄ちゃんにあげたほうがいいような気がするんだ。実はね、もうじき、弟か妹が生まれるんだよ。だから、僕もお兄ちゃん」
「――そう、なんだ。大切に……するよ」
受け取った飛行機を俺は愛おしく抱く。
俺とボリスはそろって立ち上がった。
「ボリス、今から飛行機を飛ばすよ。どこまで行くのか、走って追いかけよう」
「うんっ」
空へ飛行機を飛ばす。俺の手から離れた機体は、風に乗り、高く、遠くへ向かった。
「うわーっ! すごーい!」
ボリスは飛行機を追いかけて、夢中になって走った。
俺も、走る。
よけいなことは考えずに、ただ、純粋に飛行機の後を追った。
こんなにまっさらな気持ちで走るのは、いつ以来だろう?
幼きころ、誰もが同じだったはずだ。
道の向こう、太陽の沈む先、遥か彼方に、何かがあるにちがいない。
遠くへ、まだ、誰も行ったことのない場所に。
自分なら、辿り着ける。
そう信じて、走った。
今からでも、遅くはない。
上を向いて、前へ征く、魂と意思がある限り。
走り続けよう――
延々と走り続けて、ボリスはいなくなっていた。
代わりに、俺の走る先には、一人の人物が背を向けて立っていた。
彼は、俺とお揃いの茶色のジャケットを着ている。
髪の色は、ボリスと同じ、茶金だった。
彼に近づき、声を掛ける。
「あ、あの……」
喉が震える。この場所でなら、彼に会えると納得するのが半面、まさか、という驚きもあった。
「おお、マルス。ボリスの飛行機を拾ってくれてありがとな」
彼は振り返り、俺を見る。
少年のようにまっすぐな青い瞳、無邪気な笑顔で。
「――とお、さん」
俺を待っていたのは、ユーリ父さんだった。
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