マイラの願い
12月――日、深夜。俺は、飛行士のための宿泊小屋のベッドで眠りについていた……はずもなく、目はおそろしく冴えている。
外からの環境音は聞こえず、室内は静けさに包まれている。それが、耳に痛いほどだ。時間の感覚は薄まり、今何時なのかも分からない。21時過ぎに教授の別荘を後にして、イワンと別れた。それから数時間、彼は隣の小屋で眠っているのか。俺と同じくまだ眠れないのか。彼のみならず、この基地や、星の始発駅のみんなは、今、何をしているのかな……。
リーリヤ中佐、エヴァ、クルスク、候補生たちに見送られたのは昨日のことなのに、もう遥か昔のような気がする。彼、彼女たちの顔を思い浮かべると、自然に込み上げるものがある……。
――込み上げる? だめだ。もう二度と会えないわけじゃないんだ。辛気臭くなってどうする……?
今の悲観的な感情を振り切ろうと、頭を左に動かす。すると、
「まるす、眠れない?」
マイラの顔が目の前にあった。頭をちょこんとベッドに乗せている。
「……マイラ。君も、眠れないんだね」
左にあるもう一台のベッドにいたはずのマイラも、寝ていなかったのだ。
「うん。……ベッド、一緒にいい?」
「このベッドでは狭いかもしれないけれど……いいよ」
俺はその誘いを受けて、シーツを開けて彼女を招き入れた。
昨晩、俺とマイラは別々のベッドで眠った。二人で眠るには狭すぎたのと、タチアナから別々に眠るよう指示を受けていたからである。
何か意図があるのかもしれないが、今は気にしない。
「……んしょ。こうすると、あったかいね」
狭いベッドだから、俺とマイラの体が密着する。触れる肌から、温もりが伝わった。
「……」
マイラは俺の顔をじっと見つめる。ほおを赤く染めて。
「どうしたの?」
「胸が凄くどきどきしてる。明日のことがまだ、怖いのかな……?」
「俺も同じだよ。でも、今の気持ちは、怖いというより、期待、楽しみのほうが大きいんだ」
今の気持ちと似た感情を持った時を覚えている。
父さんが初めて俺を飛行機に乗せてくれる時と、飛行学校で初めて一人で飛行機を操縦する時に。どちらも、前日の夜は興奮してほとんど眠れなかった。
「うん。まるすと一緒なら、どこに行っても、何があっても、楽しい。だから、必ずみんなのところに戻る。それから……」
「それから?」
「……まるすは、地球に戻った後、何がしたい?」
「え――」
マイラの不意を突く質問に、一瞬、思考が停まる。
「……地球に戻った後か、あまり考えたことなかったな」
これまで、宇宙に行くことばかり考えていた。地球に戻った後、俺がどうなるかわからない。だから、あえて考えなかったのかもしれない……。
「私は、ある」
「言ってみて」
「まるすと、家族になりたい」
「家族……」
「まるすと一緒の家で暮らす。朝はおはようの挨拶をして、いってらっしゃいで見送る。おかえりなさいで迎えた後、わたしのつくったご飯を食べるの。一日の最後はおやすみなさい。それで……いつか、新しい家族が増えると、いいな」
「……」
マイラの願いに、俺は胸をうたれた。
少女として当たり前の幸せを、彼女は願っている。
その当たり前が俺たちにとって、一番難しいことに、俺は……。
「まるす? どうして泣いてるの? どこか痛いの?」
「違うんだ。君の言ってくれたことが嬉しくて……」
「そうなんだ。えへへ、私も、嬉しい――」
マイラの笑顔がまぶしくて、俺は彼女を抱き締めた。
「絶対に帰ろう。俺たちの故郷へ。宇宙に行くことが終わりじゃない。始まりなんだ。俺は君とともに過ごし、子をつくり、老いて、一生を終えたい」
「……うん」
マイラも俺の体を抱き締める。
瞳を閉じれば、とくん、とくん――と、互いの心臓の鼓動が重なり合った。
彼女の温もり、匂い、音だけがあった。世界からそれ以外全て去ったかのように。このままずっと刻が停まって欲しい――
けれども、永遠に停まった世界はない。
刻を進めなければ、何も変わらないのだ。
瞼を開けて、マイラの瞳を見る。その時に、とある場所が思い浮かんだ。
「マイラ、地球に帰ったら、あそこに行こう。俺はまだ行ったことがないんだ。君も、初めてだと思う」
「どこ?」
「それはね――」
12月25日。この日、俺はマイラとともに宇宙に行く。人類史上初の試み。なんて、大仰なことじゃない。彼女とならば、とても簡単なことに思える。
いってきますで行って、ただいまで戻ってこよう。
そして、明日からもいつもどおりの毎日が続く。
いつか、宇宙に行くのが当たり前になるまで――
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