真実の愚者

 俺とマイラは、イワンを捜した。

 まず食堂に向かったが、彼の姿は見えない。

「まだ来ていないのか……あの、すみません。アニケーエフ中尉を見ませんでしたか?」

 配膳担当の女性に尋ねた。

「いいえ。私はここに1時間ほどおりますが、中尉は来られていませんよ」

「そうですか、ありがとうございます」

 答えは、期待に反するものだった。

 食事にはまだ来ていない。予定では13時まで昼食休憩で、その後は別の仕事が詰まっている。

 食事を摂らず、午後からの仕事場に直接向かったとも考えられるが……。

「まるすなら、こんな時、どこに行く?」

 思案していると、側のマイラが問いを投げかけた。

「自分の取った行動が、正しかったのか、そうでなかったか、分からなかったとき……分かった、あそこだ」

 イワンの心情を想えば、すぐに頭に浮かんだ。

 同じ飛行士の彼なら、きっと俺の思う場所に行くはずだ。


 俺たちは、チュラタヌール基地南部、ロケット搬出口に着いた。

 基地内で組み立てを終えたロケットを発射台へと運ぶ出入り口である。

 ロケットは巨大気動車に乗り、この搬出口から発射台へと向かった。

 その場所に、俺の予想通りイワンは立っていた。

「イワ……」

 彼の名を呼びかけようとしたが、言葉が詰まる。

 イワンは、苦渋に満ちた表情をしていたのだ。

 彼の初めて見る顔に、どう声をかければよいのか迷った。

 10秒も経った後、 

「……っ、マルス?」

 イワンは俺に気づき、表情を慌てて元に戻す。

「や、やあ」

 不意打ち気味であったため、俺も間の抜けた反応だった。

「どうしてここに……ああ、さっきの大臣閣下とのことを聞いたんだね」

「うん。だから、この場所にいるんだろうなって」

 俺はイワンから2メートルほど離れた場所に立ち、南に向いた。

 搬出口からまっすぐ続いた道の先に、ロケットが立つ。

 白色のロケットは、産まれたばかりの純粋無垢な赤子を思い立たせる。

 ならば、搬出口から発射台までの道は、胎児の産道ではないか。

 明日、ロケットは俺とマイラを乗せて、宇宙に飛び出す。

 それはすなわち、地球からの巣立ちを意味するのだ。

 この星に産まれた生命は、幼年期を終わらせようとしている……。

「娘が産まれたんだ」

 不意に、イワンは口にした。

「え? ――おめでとう!」

 さりげない報告に虚をつかれたが、イワンに顔を向けて、賛辞を送る。

「わあ~、ね、赤ちゃんの名前は?」

 マイラも嬉しそうな表情で聞いた。

「ありがとう。名前はいくつか案はあるけど、まだ決まっていないんだ。男の子だったら……ユーリと名付けるつもりだった」

「あ……」

「だめかな」

「い、いや、そんなことないよ。むしろ、嬉しいくらいさ」

「自分が知る最高の飛行士の名を、遺したかったんだ。いずれ息子が大きくなった時、自分の名の意味を教えるつもりだった」

「それは、つまり――」

 イワンは、自分とユーリ父さんの出来事を話すつもりなのか。

 俺の想像を肯定するかのように、イワンは頷く。

「子どもには、真実を伝えたい。けれども、僕に産まれた子を抱く資格はあるのかい? 君たちを犠牲にして、偽りの英雄となった僕に?」

 しかし、急に険しい顔つきになった。

「教授から真実を伝えられた時、君たちの覚悟を知って、納得したつもりだった。だが、心の奥底でくすぶっていたんだ。これで、いいのか? と。その疑問は、娘が産まれた報せを聞いた瞬間、抑えきれないほどの感情になってしまった」

 イワンが明日の飛行について思うことがあるのは、薄々気がついていた。俺がもし彼の立場であったら、言われたまま従っていただろうか。

「それに、クイビシェフ大臣の非人道的な発言に、僕はこの国への信頼が揺らいだ。正義、大義のためと君の祖父、両親、君たち、三代続けて命を奪おうとするこの国に、未来はあるのか? 明日の飛行は、この国に幸をもたらすのか? ひとつ疑惑が湧けば、次々と新しい疑惑が湧く。……いや、本当は戦争で弟が死んだ時から、思っていたんだ。この国は、どこかおかしい――と」

「イワン、君はそこまで……」

 彼の苦渋に満ちた表情の意味を理解する。

 彼は幼少時に思った疑問を、ずっと胸に押し込めてきたのだ。そのうえで、彼は最高の飛行士になるために、国の期待に応えた。

 そして、国はイワンを英雄に祭り上げる。

 たとえその称号が偽りだったとしても、正しいことなのだ。自分が英雄となることで、同志たちに夢を与えられるなら――と、イワンは言い聞かせてきたのだろう。

 しかし、自分の子が産まれて、心の抑制は壊れた。

「この先、僕はずっと娘に嘘を吐き続ければいけないのか? 僕は家族には、偽りの英雄よりも、真実の愚者でありたい……」

 イワンは頭を下げて、体を震わせていた。

「……」

 彼の心情の吐露が、胸に突き刺さる。

 俺は、自分が飛ぶことばかりに気を取られていた。

 飛んだ後、残るイワンの気持ちを考えられなかったのだ。

 偽の英雄として表に立つ彼の心の内側を。

 俺がもし同じ立場に立たされたら、きっと、罪悪感にさいなまされるだろう。

 親友を見捨てて、自分だけが称賛を浴びる。

 それは、どんな罵詈雑言よりも辛いはずだ。

 さらには、自分の娘から向けられる純粋な瞳。

 

 ――うちゅうにはじめて行ったの? お父さん、すごーい!


 俺も、きっと耐えられない。

 では、イワンに明日の飛行を譲るのか? いや、譲のか?

 イワンから視線を逃げるようにして、南、ロケットに向ける。その途中、ロケットとの間に立つマイラの瞳と、目が合った。

「……」

 マイラは、わらう。

 彼女の笑みを見て、俺は理解する。

 自分が誰と一緒に宇宙に行きたいのか。そのために、今まで、何をしてきたのか。

「それでも、俺は明日宇宙に行く。たとえ、君に生涯消えない苦しみを与えたとしても。俺は、どうしようもなくわがままなんだ。もし、帰れないとしても、マイラと一緒に行けなければ、地上で死ぬのと同意義なんだよ」

「……はは」

 俺の答えに、イワンは30秒ほどたった後、小さく笑った。

「やはり、君ならそう言うと思っていた」

 顔を上げれば、諦めたような寂しい表情だった。

 その瞬間に、南から北への突風が吹く。

 風は俺とイワンの間をすり抜けるように走っていった。

「話は、ここまでにしよう。昼休憩の時間もあとわずかだ。その後も忙しいからね。明日の発射を完璧にするためにも」

 俺はわざと、無機質に言った。

「分かった」

 イワンも、特に感情無く返事する。

 彼との間に、亀裂が入ったのは確実だった。

 もう一度マイラの顔を見る。

 さきほどの笑みは、天使ではなく、別の……だったかもしれない。そんな存在と、俺は契りを結んでいたのだ。いや、むしろ俺が既にこの世非ざる者なのだろう。

 地球生命史上、初めて宇宙に行く。その行為を成そうとするのだから。


 基地内部に俺とマイラ、イワンは戻ろうとした。

「ベロウソフ、アニケーエフ飛行士、ここにいましたか!」

 不意に、内部から俺とイワンに呼びかける人物がいた。

 白衣を着た技術者の男性は俺たちの元に走る。

「えっと……たしか、教授の下で働いている」

 近くに寄った人物には、見覚えがあった。

「ええ。そのとおりです。私、教授から言伝を預かって参りました」

「教授から?」

 俺、イワンは同時に驚く。

 教授は、このチュラタヌール基地に着いてから一度も見ていなかった。

「あの人は今、どこに? もしかして体調がまた……」

「今日の午後6時、私の別荘ダーチャに来なさい。夕食を招待しよう。とのことです」

 教授の部下は、体調に関しては答えなかった。

「夕食に……?」

 教授からの伝言に、俺、イワンは目をきょとんとさせた。

 マイラは「ごはん?」と、目を輝かせている。

 発射前日の夜に、俺たちを夕食を招く。教授にはどのような意図があるのだろうか……?





 



 

 





 

 

 

 


 

 

 

 

 

 


 


 

  

 


 


 

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