英雄か愚者か
俺とマイラ、タチアナは医務室でスーツの女性の話を聞く。
「さきほど、アニケーエフ中尉とクイビシェフ国防工業相閣下の会談がありました」
クイビシェフはソフィエスの国防・工業大臣であり、宇宙開発計画の統括責任者だ。その権限は、教授よりも上。彼は計画の予算、人員の選定、飛行の決行日……と、全てを預かる。
俺は候補生として彼の名を知ってはいたが、会ったことは一度もない。
クイビシェフも、俺たちの名を書類上でしか知らないだろう。国防工業相にしてみれば、候補生は盤上の駒でしかないのだから。
女性は、クイビシェフの秘書を務めていた。
「共産党機関紙の記者、国営放送局員も集まり、後の政府広報に使うためです。はじめは和やかな雰囲気だったのですが……」
秘書は、イワンとクイビシェフの会談内容を詳しく説明する。
会談は、基地内の会議室で行われた。イワンとクイビシェフは横並びで座る。秘書はクイビシェフの傍に控えた。二人の周辺をペン、カメラ、マイクを構えた報道陣が囲んだ。
会談の筋書きはあらかじめ決まっていた。クイビシェフ、イワンはそれに沿って発言すれば良かったのだ。
はじめに、イワンの経歴が公表された。
「イワン・ヤコヴレヴィチ・アニケーエフ中尉はグジャルスク出身です。戦時中、敵国からの侵略に、幼いながらも勇敢に抵抗しました。国家奨励金制度を受け、空軍大学校を優良な成績で卒業。勤務基地でも上司、同僚からの評価は芳しく、テストパイロットとして軍飛行機の開発、発展に尽くしたのです。そうした彼の努力、勤勉なる姿勢が実り、有人飛行候補生に選出。20名に及ぶ候補生から、第1号飛行士の座を勝ち取るに至りました」
彼の堂々たる経歴に、ほぉ……と、報道陣は感嘆の声を出す。
「私は候補生選抜の時、同志アニケーエフの顔を見て、直感したよ。彼はいずれ祖国、いや、世界にその名と顔を知られる存在になるのではないかと。その感覚は的中し、今、君が第1号飛行士として私の目の前にいる。私の勘もまだにぶっていないと、安心したものだ」
クイビシェフはイワンの第一印象を語りつつ、己の自賛も交える。
「同志クイビシェフ閣下の記憶に留めていただき、感激しております。また、閣下の期待に応えることができた自分を誇らしく思います」
イワンは、感謝を述べた。
「アニケーエフ、君は明日、全同志の代表となり、人類初の偉業に挑む。今の気分はどうだね」
「はっ、このような任務に選ばれて大変光栄であります。私は明日、一人で飛ぶのではありません。全同志の想いを背負うつもりです。明日の成功は、世界に共産主義の勝利を宣言すると信じております」
「うむ、素晴らしい答えだ。国家奨励金認定者の君が人民の英雄となる。同志たちは君に憧れ、倣うだろう。すなわち、全員が英雄となれる資格があるのだ。アトラスのような環境、資産に恵まれた一部の者が成功者となる歪な社会。自由主義など打破してしまえ!」
クイビシェフは声を大きくして、机を叩く。
彼の語りに、報道陣は手を叩いた。
「……ええ」
イワンは少し遅れて、小さく返事をする。
「どうした? 何か心配ごとでもあるのかね」
その時に、秘書はクイビシェフへイワンの子どもが産まれることを告げる。
「ほお、それはめでたい。産まれてくる子は幸せであるな。自分の父が人類史に残る英雄であることに誇りを持つだろう。我々もそれに見合う恩賞を用意する。書記長殿は二階級特進を約束、最高名誉勲章もお与えになるだろう。それ以外、家族のための家、車、何でも言いたまえ。だが、私のよりも高い車はいかんぞ!」
クイビシェフの冗談に、周囲から笑い声が漏れた。
会談は終わり、イワンとクイビシェフは立ち上がり、固い握手を交わす。
「では、私は首都に戻る。明日、成功の連絡を楽しみにしているぞ」
会談終了後、クイビシェフはイワンに声をかけ、部屋から出て行こうとした。
「お待ちください、閣下」
彼を、イワンは呼び止めた。
「……何かね?」
「貴方は、私の代わりに飛ぶ二人のことを知っていますか?」
「アニケーエフ中尉? 閣下はお忙しい身です。会談は終わりましたので……」
秘書はイワンの質問を遮ろうとした。
部屋にいた報道陣は、おや? と、不思議そうな顔を浮かべる。
「いや、まだ余裕はあるだろう。……君たち、これから私はアニケーエフと個人的な話をしたい。その時間をいただけるかな」
クイビシェフは、報道陣に穏やかな声で提案した。
その案を受けて、取材陣は急いで機材を片付け、足早に部屋から去った。
室内はイワン、クイビシェフ、秘書の3人のみが残る。
「君の代わり……ああ、当て馬と実験動物だったか? それがどうかしたかね」
「明日の飛行、マルスとマイラ、二人の命が喪われる可能性もあるのです。彼と彼女に、何の言葉もないのですか?」
「どうして私がそんな者たちに言葉を? 実験動物の一体を失うのは惜しいが……。ああ、安心したまえ。その者たちは、明日、飛行した時点で存在自体が抹消される。つまり、記録上、君が飛んだことはゆるぎないのだ。征歴1960年12月25日。ソフィエス空軍中尉イワン・ヤコヴレヴィチ・アニケーエフは、人類史上初の大気圏外有人飛行に成功する。君以外の者はロケットに乗らない、結果は成功のみ。それが、ソフィエス宇宙開発有人飛行計画第一期の成果である」
「な――」
「君も納得したうえで命令を受諾したのだろう。以前にあったという実験機事故の件と同じだよ。君は我々の令に従えば良い。そうすれば、これから先も……」
「僕は、イヤだ」
「……ん?」
「こんなことは、間違っている!!」
イワンは、持っていた軍帽子を床に叩きつけた。
「これは、どういうことかな?」
「もう止めにしましょう。誰かを犠牲にした栄光に何の価値がありますか? 僕たちの子、孫にも同じことを繰り返させるのですか?」
「……」
イワンの訴えに、クイビシェフの表情から感情が消えた。
数秒ほどの後、彼は口を開く。
「どうやら、アニケーエフは出発を前に頭が混乱しているようだ。少し冷静になりたまえ」
「閣下、私は充分に……」
「君、首都行きの列車は何時出発だったか」
クイビシェフは顔を秘書に向けて、聞いた。
「あ、えっと……1時間後でございます」
「……1時間も?」
「さ、30分後には出発してもらいます!」
「よろしい」
秘書の答えを聞くやいなや、クイビシェフは部屋のドアに向かう。
ドアから出る寸前、
「私は些細なことは記憶に留めない。が、英雄というのは、愚者の側面をも併せ持つということが良く分かったよ。妻と子にとっては、どちらが良いのだろうね」
と、小さく言い残した。
「以上がアニケーエフ中尉とクイビシェフ閣下の会談、その後のあらましです。現在、閣下は貴賓室で列車の発車準備が整うのをお待ちになっておりますが……」
説明を終えた秘書は、言い淀んだ。
「ははあ、ずっと黙ったままでいるわけだね。大臣殿、本当に怒った時は無表情になっちゃうからなあ。分かったよ、ボクが彼の機嫌をなだめてあげよう」
タチアナは、クイビシェフの怒りを子どものかんしゃくをあやすような感覚で扱う。
「……存在を、抹消か」
俺は、自分の未来を口に出していた。
そのような扱いになるのは、分かっていた。
徹底的な秘密主義が、ソフィエスの当たり前なのだから。
「まるす、みんなを信じよ」
マイラは俺の手をきゅっと握る。
「うん、分かってるよ」
それでも、怖くはない。俺にはマイラ、みんなとの絆がある。
国が俺たちをどう扱っても、宇宙に行く。固く決心したのだ。
「あの、イワンは今、どこに?」
秘書にイワンの居所を尋ねた。彼とは今、話をすべきだと思った。
「私が部屋を出た後は分かりかねます」
「そうですね。ありがとう。タチアナ、俺たちは出ていくよ」
「うん。じゃ、ボクは大臣のご機嫌取りに行きますか。彼が怒ったままだと、まわりの子たちも仕事がしにくいだろうし」
「……先生、言葉をお選びになってください」
はっきりと物言うタチアナに、秘書は難色を示した。
俺とマイラは医務室を出る。
腕時計を見れば、今、時刻は午前12時を過ぎていた。
今日の予定では、12時から昼食の時間となっている。
だとしたら、イワンは食堂にいるのだろうか?
まずは食堂に向かい、彼を見つけて、話す。
彼がクイビシェフに取った行動の真意を確かめるために。
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