舞踏会への準備

 エレーナさんは住人たちのために踊ると宣言した。

「エレーナさん、でも……」

 貴女は1年以上ものブランクがあるのに、大丈夫なのですか? と、俺は聞けなかった。

 それほどエレーナさんの目の力は強かったのだ。

「エレーナ、俺は君が踊るというのなら何も言わない。ただ、これだけは言わせて欲しい。1年前、君が踊れなくなった時、何も出来なかったことを謝る。言い訳にしかならないが、俺はその頃、自分のことで精一杯だったのだ。それに、任務で何かあれば、君を悲しませる。だから、もう関わらないほうが良いと思った……」

 クルスクはエレーナさんに疎遠になっていた理由を語る。

 1年前の1959年の秋といえば、政府が飛宙士候補生をスカウトしていた頃である。クルスクが自分の将来を左右する誘いに頭が一杯であっても仕方はない。

「……分かっていましたわ。あなたが、とてもお優しい方なのは。けれども、謝られる必要はありません。あの時に私が踊れなくなったのは、ひとえに自分の弱さゆえ。怪我のせいだと決めつけていたのです。本当なら、あの時、一生踊れなくても良いと覚悟して、演技しなければいけなかったのですから」

「エレーナ……」 

 クルスクはエレーナさんを驚いた目で見る。

 俺も同じだった。会ったばかりの時は、育ちの良いお嬢様との印象だったのに、今は違う。堂々とした大人の女性だ。この区域で体験したことが、彼女を成長させたのだ。

「エレーナさんが踊るというのならば、僕も出来る限りのことは手伝います。ただ、陽が傾いていますね。この辺りの街灯は壊れているものも多い、行動を開始するなら早めにしないと」

 先生が協力を申し出る。

「日暮れ……あ、今、何時だ?」

 俺は腕時計を見る。

 時刻は、既に午後4時を過ぎていた。

 騒動で忘れていたが、中佐に今日は6時までには帰れと言われていたのだ。その時間に間に合うためには、5時には街を出ないといけない。

 つまり、残り1時間もないのだ。

 時計を見ていた俺に、クルスクが話しかける。

「……マルス。良いのか? 中佐に6時が門限だと言われたんだろう。もし、」

「クルスク、それ以上言うなよ。俺がここで退けないのは、君も充分に分かっているだろ」

「……ふ、それもそうだな」

 クルスク、俺はともにほほえむ。

 良かった。俺たちの関係も元に戻ろうとしている。

「マルス兄ちゃん、俺も力になりたい。みんなに迷惑をかけたおわびをしたいんだ」

「おにいちゃん、ソーニャも。エレーナおねえちゃんのお手伝いをしたい」

 俺たちの元へ、ニカ、ソーニャも手伝いたいと言ってくれた。

「うんっ。じゃあ、みんなでえれーなの舞踏会をひらいて、踊りを見てもらおー!」

 マイラは元気よく掛け声を上げる。

 舞踏会。それは良い名称だ。

「おーっ!」

 その返事に、俺たちは腕を上げた。

「みなさん、ありがとうございます……」

 エレーナさんは涙ぐみながら頭を下げた。


 俺たちはエレーナさんの舞踏会の打ち合わせを始めた。

「では、場所はどこにする? この区域に劇場はあるのか?」

「そうだね……」

 クルスクの問いかけに、俺は考える。スタールィ地区に劇場はない。そうなると、代わりになるような場所は……。

「この場所で踊らせてください」

「え?」

 エレーナさんは今いる往来を指さす。

 先程までに、人が何十人と集まっていた広さだ。ここで踊っても問題は無いと思う。けれども、街灯の数は少なく、舗装されていない地面で、環境としては良くない。

「踊るのに、必要なのはこの身ひとつ。あとは、観てくれる方。それで充分ですわ」  

 俺の杞憂など関係ないように、エレーナさんははっきりと言う。

「……そうですね。ですが、あなたが良い環境で踊れるよう努力はします――あ、だったら、なおさらこの通りがぴったりですよ!」

 俺はあることを思い出す。

「どうした? 急に大きな声を出して」

「ここは、ユマシュワ通り。宇宙開発の父である彼は近くにあったアパートから、この道を歩み、図書館に通ったんだ。だから、前へ進もうとするエレーナさんにはふさわしいと思ってさ」

 ユマシュワが住んでいたのは80年以上も前のことだ。だから、今でもこの通りの名を覚えている者は少ないだろう。俺も前に住んでいた時は知らなかった。候補生講義でユマシュワの名を知り、興味を持って調べたら分かったのである。

「さすがマルスさんですね。もしかすれば、ユマシュワがあなた方を導いた……のかもしれません」

 先生は俺、クルスク、エレーナさんを見る。

「兄ちゃん、ここで踊るなら、明かりが必要なんだろ? だったら、俺とソーニャがみんなのところを回って、ロウソクを集めてくるよ。それを地面に置けば良いと思うんだ」

「うん。みんなローソクくらいならくれると思うの。ちょっとずつでも、集めれば明るくなるはずだよね」

 ニカとソーニャは、明かり集めに手を上げる。

「そうか、二人とも、頼んだよ。じゃあ、俺は人を集めよう。少しでも多くの人に舞踏会を見てもらうんだ」

「マルス、俺も人集めに参加する。協力したいのもあるが、もっとこの区域のことを知りたいのだ」

「マルスさん、音楽も無しに踊るのはいささか寂しい気はします。なので、僕は楽器が弾ける方を探しましょう」 

「まるす、わたしはえれーなの側にいるね。言葉は分からなくても、伝えたいことがあるの」

 クルスク、先生、マイラが次々と舞踏会の準備を提案する。

「よし。いったん解散して、この場に5時に集合しよう」

 5時。本来ならばその時間に街を出る必要がある。それでも構わなかった。今は、エレーナさんの舞踏会を成功させるのが一番重要なのだから。

 ニカ、ソ-ニャ、先生はそれぞれの目的のため、この場を発つ。俺も行動を開始しようと思った。

「マルス、少し待ってくれないか。エレーナに渡すものがある」

「ああ、いいよ」

 クルスクは自分の車へ走る。その中から小箱を持ち出し、エレーナさんの元へ行った。

「エレーナ、これを受け取って欲しい。開けてみてくれ」

「ええ。……これは」

 小箱の中身は、薄いピンク色のバレエシューズだった。

「君はまたいつか踊る時が来る。そう思って、買ったんだ」

「クルスク様、ありがとうございます。私、これで精一杯踊りますわ」

「クルスク……」

 エレーナさんの側にいたマイラが俺ににこりとほほえむ。それを見て、彼女がクルスクをチアーラに連れて行ったのだと理解した。

「待たせた……何だ、にやにやして」

「いや。君も隅に置けないなと思ってさ」

「茶化すな。これでもお前より年上だ。女性の扱いは飛行機の操縦よりも繊細であれ。と教訓は得ている」

「あ、それ、俺の通っていた飛行学校で聞いた覚えがあるよ。何でも、過去、他校にいた伝説のモテ男が遺した教訓だとか。その人、在学中、何十人もの女性徒……どころか、女性教官にも告白されたけど、全部ふった。だから、同性愛嗜好者との噂もあったなあ……」

「モテ男? 同性愛? な、何だそれは……」

 クルスクは目をぎょっとさせている。

「うん? どうした、クルスク?」

「もういい。さっさと行くぞ」

 クルスクは俺に先立ち、駆け出した。

 俺も彼の後を追い、走り出す。

 時間は限られている。成功する保証は無い。不安は多いが、協力するみんなの顔を思い浮かべれば、きっと何とかなると思えた。  


 


 


   

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