修復
騒動は終わり、往来は元の静けさが戻っていた。
地域の住人たちは家に戻らず、道に立ち尽くつくしている。なかには、座り込んでいる者も。
彼らの顔には、寂しさ、虚しさがあった。
あれほど高まっていた革命への熱気が、一気に冷めてしまったから。
十数年の鬱積が晴らせなかった。これから先、何を希望にして生きていけばいいのか分からないのだ。社会の隅に追いやられた生活が、この先も続くのかという絶望も。
彼らは、過去に囚われ、未来に進むことが出来ない。
彼らに対して、俺は何が出来るのだろう。何を示せば、前を向いてくれるのか。
現状、何も出来ない自分がもどかしい。
「マルスさん」
悩む俺に、先生が呼びかける。
振り向くと、彼は顔を再び包帯で覆っていた。
「見たでしょう。僕は聖人などではありません。罪人です。今行っていることも、過去の罪滅ぼしなのですよ」
「いえ……俺は、立派だと思います。たとえ、過去に罪があったとしても、貴方はそれを悔やみ、償おうとしている。未来のために」
俺は、彼の正体に気づきつつあった。
今、ここで彼と出会ったのは、運命だ。全ての出会いに、意味があるのだから。「マルスさん、僕は……」
「今はよしましょう。それよりも、住人たち……あ、ソーニャにエレーナさん! 二人の元に行かないと。先生はニカを頼みます」
俺は先生と分かれ、二人の元へ走った。
「二人とも、大丈夫ですか? 怪我などは……」
「いえ。怪我はありません。でも、ソーニャちゃんは……」
「……」
ソーニャは泣き止んでいるが、まだ身を震わせていた。両腕でしっかりとエレーナさんの体にしがみ着いている。
二人とも、外傷は無い。けれども、精神面での衝撃は大きかっただろう。エレーナさんは身内を非難されたのだ。
「すみません。元はと言えば、俺がここに連れて来たから……。カティアさんに合わせる顔がないです。それに、クルスクにも」
俺のせいでエレーナさんを危険な目に合わせた。クルスク、カティアさんが知ったら、俺はきっと殴られるに違いない。
「そんなことはありませんわ。父の行為がこの地域の方たちにどれほどの迷惑をかけたか……身内ながら恥ずかしい思いです」
「……俺たちは彼らに何が出来るのでしょうか。今は落ち着いても、いずれ……という可能性も否定出来ません」
エレーナさんは決意を込めた目で、俺を見る。
「……マルスさん、私、」
「何ですか、エレーナさん」
――まるす!!
エレーナさんが何かを言いかけた時、俺の名が耳に入ってきた。
今の声は、マイラだ。
「えっ? あ……」
声のした方向を見れば、青い車が一台走って来た。
青い車は俺の近くに停まり、助手席からマイラ、運転席からクルスクが降りる。
「まるす、見つけた!」
マイラは俺の元へまっすぐ走り、胸に思い切り飛び込んだ。
「ぐほっ? ……っと、マイラ? よくこの場所が分かったね」
「うんっ。わたし、どこにいてもまるすを感じられるから! ひさびさのまるすのにおい~……」
マイラは俺の胸に鼻をすんすんとこすりつける。
「はは、大げささなあ。そんなに時間は経っていないのに」
そんなことを言いつつも、俺もマイラに会えて嬉しかった。
会うだけで気持ちが上向きになる。俺にとってマイラはそんな存在なのだ。
「百貨店で俺を引き留めていたマイラが、本屋から地図を持ち出した。それで頁を開いて、この場所を指したのだ。一緒についてきて……と俺は受け取った」
と、教えてくれたのは、クルスクだった。
「あ、クルスク……そうだったのか。ありがとう、俺のところへ連れてきてくれて」
「……いや。色々と大変だったようだな。この場所に向かう際、住人から停められたよ。あそこは今、近づいちゃいけないと」
「うん。この辺りの住人と警察官の間で揉めごとがあってね。俺の知り合いも関わっている。それに、俺のせいでエレーナさんを危険な目に合わせてしまった。何が起きたのか、説明するよ」
俺はクルスクに事情を説明すべきだと思った。
「……ということなんだ。すまない、俺が不甲斐ないばかりに、エレーナさんを……」
俺の話を黙って聞いていたクルスクは口を開く。
「……そうか、急激な都市開発、戦争後遺症に悩む人々。首都、いや、共和国全体が抱える問題だな。それらを解決しなければ、戦争は真の意味で終わらず、この国は未来に進めない。親父たちは机上で議論を交わし、権力の座に執着する。大事ばかりに目が向き、現状を何も分かっていないんだ。……エレーナのことは俺にも責任がある。お前だけが悪いわけじゃない」
自分の父への批判を述べて、俺への非難はしなかった。
「クルスク……」
「……私も現実を目の当たりにして、実感いたしました。今まで見ていたものは、共和国の光の当たる部分だけなのだと」
俺たちの会話に、エレーナさんが加わる。
「エレーナ……先程はすまなかった」
クルスクは頭を下げ、エレーナさんに謝罪した。
「君の気持も考えずに、一方的過ぎたよ。俺は卑怯者だ。君が足を痛めてバレエを断念した時、どうして何も出来なかったのか……」
「クルスク様……」
百貨店の時は
この調子でいけば、エレーナさんとの関係も元に戻るのでは? と期待した。
「……エレーナお姉ちゃん。この人と、大きな……犬は?」
ソーニャが小声で質問する。
「クルスクさんに、マイラちゃんよ。ふたりとも私のお友だちなの、ソーニャちゃん」
「かわいいお嬢さん、よろしく。僕はクルスク。パイロットなんだ」
クルスクはソーニャに笑顔を向けて、紳士的に紹介した。
マイラは俺から離れて、ソーニャに近づく。ほっぺたを舌でぺろっとなめた。
「きゃっ?」
「そーにゃ、初めまして。わたし、まいらっていうの」
「……あは、くすぐったい。マルスおにいちゃん、この子、とってもかわいいね」
一瞬、目をきょとんとさせていたソーニャであったが、マイラの愛くるしさに心を許したようだ。
二人はすぐに打ち解けあい、ソーニャはマイラの髪をよしよしとなでている。
……マイラ、ソーニャの涙をすくいとってくれたんだな。それが計算でなくて、自然に出来るのが彼女の凄いところだ。
「……」
背後に気配がして、俺は振り返る。
そこには、先生と一緒に、ニカがいた。
「ニカ、怪我は? それに、怖くなかったかい?」
「ううん、それは大丈夫だよ……」
強がりではなく、本当に怪我はしていない。けれども、何か言いたいことがありそうだ。
そんなニカに、マイラは接近する。
「わ? まっしろな……犬?」
「にか、まるすは怒ってなんかないよ。自分の気持ちをちゃんと伝えなきゃ」
マイラはニカに教える。
「……マルス兄ちゃん、教会ではごめん。俺、いなくなった兄ちゃんが急に現れたから、びっくりしたんだ。だから……」
その言葉が伝わったのか、ニカは俺に頭を下げた。
「ニカ、いいんだよ。俺も君に詳しい理由を伝えられず、町を出て行ってしまった。お母さんが亡くなって、辛かったんだよね」
足を屈み、ニカと視線を合わせる。頭をなで、半年分の謝罪をした。
「兄ちゃん……」
ニカの顔と、幼い頃の自分の顔が重なる。
父さんと初めて出会った時、きっと俺も同じ顔をしていたのだろう。
同時に、分かった気がする。
父さんがあの時、どんな気持ちで俺に声をかけたのかを。
「どのような場所、状況であっても、子どもたちには未来を見てもらいたいものです」
俺たちへ先生が声をかける。
「はい。……彼らも、です」
俺は片足の男、ヴァレンチンを見た。彼は道に座り込み、ずっとうつむいている。
「まるす、みんなを元気にするには、おどりだよ」
「え?」
マイラは提案する。
「わたし、知ってる。昔、世界中を旅してばれえでみんなを元気にした人がいるって」
「……もしや、リディア・ポリャコフことなのか?」
リディア・ポリャコフ。今世紀初頭、共和国出身のバレエダンサーである。彼女は20年以上、世界を公演で巡った。
「うんっ」
「マルスさん、マイラちゃんは私と同じことを言ったのですね」
「同じこと。じゃあ、エレーナさんも」
「私、踊りますわ。みなさんのために!」
エレーナさんは強く、はっきりと宣言する。
その声と彼女の瞳に、何の迷いは無かった。
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