チャーチフからの挑戦 ―チャーチフ три―

 翌朝、俺はいつもの時間に目が覚めた。いつもの時間というのは、規定の六時ではなく、マイラと起き、湖に行く五時だ。

「マイラ、君が俺を起こさないなんて珍しいな。今日はお寝坊か……ん?」

 起き上がり、隣のベッドを見ると、マイラがいなかった。

 シーツをめくって、部屋中を確認しても。

「あいつ、どこ行ったんだよ?」

 俺は焦り、部屋を出て、宿舎を捜す。男部屋がある三階、二階は女部屋なので遠慮して、一階のシャワー室、地下の食堂と、行ける範囲は全て。

 中にいなければ、多分、湖だ。俺に遠慮して、今日は一人で行ったのかもしれない。

 そう判断した俺は宿舎を飛び出て、湖まで全力で走った。

 が、その予測は外れる。湖にもマイラの姿は無かったのだ。

「まいったな……後はこの町全部か? 今日も訓練はあるし――って、ためらっている場合じゃない。あの子の今の保護者は俺なんだ!」

 決意を固め、まずは移動車を確保しようと俺は行動する。

 借用した車で俺は町をあらかた見回った。それでも、マイラは見つからない。座学の時間も迫り、どうしようかと頭を抱えた時、意外な場所でマイラを発見した。居住区、教会の前で。

 しかも、エヴァと共に。

 車を二人の前に着け、俺は運転席から降りる。

「マイラ! どこに行っていたんだ。心配したんだぞ。朝起きても部屋にいなかったし……」

「まるす?」

 俺の心配とは裏腹に、マイラはきょとんとしている。

「まるす? じゃないよ。出て行くなら俺に一言言ってくれないと……。ともかく、宿舎に戻ろう」

「ベロウソフ候補生、あなたこそマイラさんをほおっておいて、何をしていたんですか? この子はさっき、教会の前で寂しそうにしていたんですよ」

 エヴァは俺に厳しい目を向けて非難した。

「……それは、すまないと思ってる。でも、俺だって」

「ともかく、マイラさんの世話を仰せつかっているのに、それを放棄して、惰眠を貪っていたのは許せません。そんな緩い気持ちだから、昨日の訓練も途中で……」

「俺は、いつだって本気だ!」

 エヴァの行き過ぎた指摘に、俺は思わず怒鳴ってしまった。

「――」

 その声にエヴァ、マイラ共に目をぱちくりとさせている。

「……あ、すまない」

 謝っても二人は黙ったままで、朝の教会前は気まずい空気に。

 しかも、タイミングの悪いことに、今、最も顔を合わせたくない人物が走って来た。

「お前たち、何をしている? もうじき座学が始まるぞ。そちらはともかく、クズネフォワ候補生が珍しいな」

 棘のある言い方をして、チャーチフは停まる。

「はっ、エヴァ・クズネフォワ、直ぐに移動します。チャーチフ中尉、お気遣い、ありがとうございました」

 エヴァはすぐに敬礼した。

「……は、はい」

 対して俺は、複雑な感情を彼に持ち合わせていたため、素直に返事が出来ない。

 何ですか、その返事は? と、言いたそうにエヴァは俺を睨む。

「まあいい。遅刻しようが俺には関係ない……」

 チャーチフは興味なさそうに再び走り出そうとするが、一旦停まり、俺を見た。

「ベロウソフ、俺と勝負しろ」

「は?」「え?」

 突拍子も無い奴の発言に、俺だけでなくエヴァもすっとんきょうな声を上げる。

「……言っている意味が分からない。勝負? 何の?」

「そのままの意味だ。冗談ではない。このまま俺とお前がここにいても、良い結果になるとは思えん。俺たちは混じらない水と油だ。だったら、早々にはっきりさせたほうが良い。勝負は、無音響低圧室でどちらが長く耐えられるか。三週間後、その時の自己最高記録で決める。負けたほうがここを出ていく。本気になれ、俺はまだ記録を伸ばすつもりだ」

 チャーチフは真剣な目で勝負を提案した。

 しかも、内容は三週間後までに彼の無音響低圧室耐久時間を越える。それは、今の俺にとって絶望的挑戦だった。

 なので、俺は簡単に返事が出来ない。口は固く閉じられていた。

「チャーチフ中尉! あまりにも不平等です! マルスせんぱ……さんは昨日訓練を受けたばかり。そんな彼が、たった三週間で……。それに、訓練を勝負の場にするのは、あまりにも不誠実ではありませんか? こんなこと、中佐がお知りになったら……」

 替わりのようにエヴァが抗議する。

「クズネフォワ、黙れ。これはベロウソフが決めること。他人がでしゃばることではない」

「……っ。はい」

 チャーチフの眼光に、エヴァは声をひっこめた。

 受けるか、否か。俺は迷う。ここで断っても、俺に損は無い。奴の記録を抜けなくとも、飛宙士に選ばれる可能性はあるのだ。

 だが、それでいいのか? ここで逃げたら、俺は奴に一生勝てない気がする。それでもし飛宙士に選ばれても……いや、目の前の障害を避けて通る者に、あそこに行く資格があるのか?

 俺がマイラの顔を見れば、彼女は、いつものように俺を信じて頷いてくれた。

 やっぱり、マイラは俺以上に俺の心を分かっているのだ。

「分かった。受けるよ。俺はあんたに勝つ」

 だから、俺はチャーチフの目をまっすぐに捉えて宣言した。

「……よし。忘れるなよ、その言葉」

 奴は頷き、走り去って行く。一瞬、笑ったように見えたのは気のせいか。

「マルスさん!? あなた、正気ですか? もし負けたら……」

 エヴァは声を荒げ、俺に詰め寄る。

「はじめから負けるつもりなんてないよ。あと、さっきはありがとう。かばってくれて」

「――わ、私は別に……」

「大丈夫だよ。まるすは負けないもん」

 マイラは何も疑っていないが、精神論だけで勝てるほど甘くはない。俺は、何をしてでも、あの環境に耐えなければならないのだ。

「エヴァは何日耐えられるんだい? コツ……なんてものはあるのかな」

 俺はエヴァに質問した。答えてくれるか分からないが、少しでも情報が欲しかったのだ。

「私は……三日間です。コツといっても、あんな環境は今まで経験もないので、慣れ……でしょうね。あと、やはり、他の候補生の方々は正飛行士。みなさん、飛行経験が豊富ですから。私たちのような――あ、す、すみません」

 彼女は素直に答えてくれて、頭を下げる。

「気にしないで。俺が飛行士でないのは事実だ。慣れ……経験か。それはどうしようもないな……でも、諦めるものか。絶対、何か方法はあるはずだから」

「……ふふ、マルスさん、何だか吹っ切れましたね。昔を、思い出します」

「うん? そうかな……はは」

「あ、二人とも、何だかぽかぽかしてる~。手、つないじゃう?」

 俺たちの今の雰囲気をマイラが言葉にする。

「な、何言ってるんだよ」「そうですよ。マイラさん、年上をからかうのは……」

 と、同時に彼女に突っ込みを入れる俺とエヴァ。

「あ、エヴァ、マイラの言葉が分かるのか?」

「え? いえ、何となくそんな気がしたんです。おかしいですよね。マイラちゃんは……」

「エヴァ、これから先、たまにマイラの遊び相手になってくれないかな」

「遊び相手? いいんですか?」

「教官には許可を取るよ。それに、エヴァにも遊んでもらったほうがこの子も喜ぶと思う。どうだい、マイラ」

「うん」と、マイラは即答する。

「よ、よろしくお願いしますね! マイラさ……ちゃん」

 エヴァは待ってましたと言わんばかりにマイラに抱き着き、毛を撫でまわした。

「ふ、ふにゅ? く、くすぐったいよぅ、えば~」

 マイラと戯れる今のエヴァは年相応の女の子に見える。

 俺と彼女の距離も、少しは昔の関係に近まったのだろうか。


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