108 火の鳥と白狼はソラで踊る

ひのきあす

序奏

一九六〇年―月―日

 赤毛のマルス・ベロウソフの訓練初日は、盛大に胃中のものを吐き出して終わった。

「うわ……」

 訓練場に汚物を吐き出した彼を見て、周辺の若い男女は嫌な顔をする。

 遠巻きにマルスを見ている集団のなか、一人の角刈りの青年が彼に寄った。

「ベロウソフ君、大丈夫かい? これを使うといいよ」

 青年は自分のタオルを差し出す。

「……俺に構わないでくれ」

 マルスは首を横に振り、手で払いのけた。

「マ――ベロウソフ候補生、失礼です! アニケーエフ中尉が差し出したものを!」

 彼の態度に、集団の中でも最も若い女性が抗議する。

「クズネフォワ君、いいんだ。出過ぎた真似をした僕が悪い」

 マルスはよろめきながら立ち上がり、集団の視線から離れようと足を動かす。

「ベロウソフ、下を向くな。顔を前に向け、頭を上げろ!」

 そんな彼に追い打ちをかけるよう、左目に眼帯を着けた女性が怒鳴った。

 マルスはそれに答えようと、必死に頭を上げようとする。

 しかし、やせ我慢で、明らかに無理をしているのが分かった。

「……やはり、こうなったな。ここは選ばれた飛行士が集うところ、あんな半端者、雛鳥にもなれない者がいてよい場所ではない。それなのに、なぜ」

 集団で一番背の高い青年がマルスに敵意を向けて言い放った。

「教授のお気に入り。昼は大層なことを言ったよな。たしか、俺が一番――」

 うぉん!

 と、青年の揶揄を遮るように大きな吠え声が響く。

 咆哮は青年たちの声を停めさせ、場は静まった。

 それの発声者は、四足の獣だった。頭に尖った耳、白色の体毛に覆われ、尻尾は長い。

 白狼だ。

 白狼は集団の中に歩く。青年たちは狼を避けるように道を開けた。

 白狼はマルスの側に寄り、顔をぺろぺろと舌でなめまわす。

「こ、こら、人前で恥ずかしいだろ……やめろって」

 嫌がっているふうに言っても、マルスの表情から棘は消えていた。

「……狼があんな人間になつくなんて」

「半端者に獣、ここは見世物小屋か? ここは、飛宙士を目指す者たちの訓練場のはずだ――」

 背の高い青年は天を仰いだ。


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