アミル
炬燵猫
第1話
どこまでも鮮やかな紅い花が、鈴なりに咲いている。
その艶やかな葉も美しい椿の前に、一頭の猪がいた。身体中に矢を生やし、肩口には槍が刺さっている。血にまみれこちらを睨む猪。
足元には犬が2匹倒れていた。
どうして······
草をを掻き分け走ってくる足音がする。
「アミル、どうした。何だこいつは?」
カイだ。山守の先輩で真面目で面倒見が良く、僕も良く世話になっていた。だから、休みの日の突然の呼び出しに応じたのだ。
犬達は猪を唸り声を上げて猪を取り囲んで居るが、尻尾は情けなく垂れている。
「知るかよ!こっちが聞きたいよ。死にかけの猪が居たから、罠から抜けてきたのかと思って止めを指してやろうと近づいたら、これだよ。こいつハリルとシスを……。弓は全然効かないし、槍も持っていかれて一体どうすればいいんだよ!」
カイが悪いわけじゃないのは分かっている。だが、思ってしまうのだ。こいつに呼ばれなければ、二匹も犬を失うことは無かったと。
「落ち着けアミル。ラムジとジークはすぐ来る。俺たちは待てばいいんだ」
カイはそう言うと槍を構えた。
「アミル、少し下がって笛を吹いてこい。こう静かでは場所が分からぬかもしれぬ」
唇を噛む。
分かっている、槍を失い矢も効かない以上俺に出来ることは少ない。犬も猪の異様な様子に気圧されたのか、吠えるのをやめて僅かに唸るばかりだ。
静かに下がり、笛を吹く。
「ピーーーー」
猪が急に震えだしドゥと膝をつくのが見えた。体から真っ黒い瘴気が勢いよく吹き出し猪の周りの空間が、揺れる。
何だあれは?
吹き出していた瘴気の渦が、猪に吸い込まれていく。その瞬間世界が変質した気がした。空気の粘度が増し、色鮮やかな花も別の世界にあるように歪んで見える。猪はゆっくりと立ち上がった。
猪がググっと喉を鳴らすと、体から湧き出た瘴気が矢となってカイに向かって飛んだ。カイは横に飛びながら避けると、素早く起き上がり叫ぶ。
「アミル!」
構えていた矢を放つ。矢は猪の横っ面に突き刺さるが、相変わらず効いている気配はない。
猪がゆっくりと向きを変えてこっちを見た。ボコっと瘴気が湧き上がり矢を作る。
「アミル避けろ!」
放たれる瞬間、横の木の影に入る。さっきカイに放つのを見ていたから、落ち着いて避けれた。カイが弓を射った後、槍に持ち替え地面を叩く。
もう一度弓を射た。槍はないが、援護ぐらいは出来るはずだ。
「アミル、もう打つな! 毒矢を射ってある」
カイが叫ぶ。猪がこっちに向かって来た。
「アミル木の影に入れ!キリ、クフ行け!」
カイが猪に追いすがるが、猪は止まらない。噛み付いた犬も吹き飛ばされ、黒い炎の様な瘴気に乗り移られて悶え苦しんでいる。
カイに何度も槍を突き立てられながらも猪は足を進める。その目は俺だけを見据えていた。
「アミル、何をしている!逃げろ!」
速度を上げた猪が突っ込んでくる。
「どけ!!」
3匹の犬と共に現れたラムジに思いっきり蹴飛ばされた。草むらを転がり我に返る。
ラムジが槍を鼻ズラに叩きつけた。痛覚が無さそうに思えた猪が、頭を振って唸っている。
「ラムジ離れろ、そいつ
「何でこんな奴が……」
うねり迫ってくる瘴気を躱しながら、ラムジが下がる。
「毒は入れたが倒れない、どうする?」
「お前はこれを焼けるか?」
ラムジの問にカイが首を振って答える。
「分からない」
「どちらかが止めて焼き祓わねば」
ラムジが器用に猪を捌きながら言うと、カイが答えた。
「俺が止める」
「止めきれなくとも、直ぐに退け」
槍を構え、牽制しながらラムジが言った。
ぼーっと立っていて助けて貰った僕が言うのも可笑しいが、我慢出来なかった。
「ちょっと待って、明らかにあいつは僕を狙ってるんだから僕がやる」
「分かった、二人でやれ」
ラムジの言葉を受けて、ため息をつくとカイが言った。
「アミルは矢を射ろ。俺が地に止める。動き出したら唱えてくれ」
「分かったよ」
槍がないのでしょうがない、本当は責任をとって止める役をしたかったけれど渋々頷いた。
「後ろへ下がってからカイの所へ行け」ラムジの言葉に頷くと、ラムジは素早く左右に振れながら猪に駆け寄り顔に礫を打った。そのまま軸をズラし槍を構え、今や触手の様に蠢く瘴気をいなす。
ラムジの勇姿を見ながら後ずさりしてカイの元へ行く。カイが肩を叩いて合図をした。
弓を構える「よしっ」カイが呟くのを受けて矢を射た。猪の横尻に矢が刺さる。「おーい、こっちだぞ」っと言いながら更に矢を射る。
のそりと猪が動いた。頭を巡らせてこっちを向く。
「矢が来たら木に隠れろ」
「分かった。カイこそ潰されるなよ」
猪はのしのしと歩きながら頭上に瘴気を練ると、矢をうちだした。打った瞬間に横に飛ぶ。直ぐに起き上がり矢を番える。猪が駆け足になった。
放った矢が眉間に突き刺さるが、なんの問題も無いと言うように走ってくる。「アミル引け」カイはそう言うと脚を開いて腰を落とし、槍を持つ手をぐっと握った。
並足から駆け足になった猪が突っ込んでくる。カイは猪の喉元に矢を差し込み、
猪の身体に槍が沈んで行き、前足が持ち上がった。槍がしなる。ダメだ、カイが潰れる。
飛び出した僕は横から勢いよく山刀を突いた。上手いこと傾いだ、倒す! 蠢く瘴気が体を這った、なんだこれは。
「くそぉぉぉっ」叫びながら禍祇を倒したカイが僕に飛びつき転がる。馬鹿だな、折角助けたのに。
思考は、気味の悪いささやき声と全身を巡る痛みによって打ち消された。
◆◇◆
ずっと悪夢を見ていた気がする。頬を舐めるざらついた舌の感触と、暖かな毛玉のくすぐったさに目を開ける。
手をやると、両側に確かな毛玉の感触がある。目覚めて、ボーっと天井を見ていたら、視線を感じた。下を見ると、今町でうわさの天狗の子……異邦人が立っていた。
母と山守仲間のカイによると悪い奴では無いらしいが、突然山狩り中の
身動ぎするとおかっぱ頭の異邦人が慌てて待てと言うように手のひらを突き出す。待てということだろう、異邦人は慌てた様子で外に出ていった。
強ばっていた体の力を抜き、枕に頭を落とし横をむくと、不思議な生き物がいた。橙色をしたつるつるした毛並み。小さい頭に柔らかそうな体、長い尻尾はツンと上を向いている。舐めていたのは此奴か?
そう言えば異邦人が猫と言う生き物を連れていたと聞いた。お前がそうなのか?
首筋を温かいものにくすぐられて反対側を見ると、うり坊がいた。まだ生まれて数日しか経ってなさそうな小さなうり坊だ。目が合うと嬉しそうに短い尻尾を振りながら顔に体を擦りつけてくる。
俺は飛び起きた。
異邦人が面妖な術で大史様の使い魔を蘇らせた事が守り人の中で大きな話題となっていたのを思い出す。まさか此奴は······。
あの女、禍祇を生き返らせたのか?!
アミル 炬燵猫 @cotatuneko
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