16才の誕生日

読み終わっても、しばらくは呆然として何が何だかよくわからなかった。


つまり、ヒナタは人間じゃなくてアンドロイドで、それも未来から来たということか?

一体どうやって?


なんて、ふざけた話なんだ。


とても信じられた話じゃなかった。


目の前に座っているヒナタを、まじまじと観察していた。

確かにいつもより顔色は悪いが、とても作りモノには思えない。


しかし、よく瞳を見てみると、中に何か機械の部品らしいものが透けて見えて、驚いた。


これは嘘や冗談なんかじゃないということが、ようやく飲み込めてきた。


「ヒナタ、君は本当に……?」


人間じゃないの?と聞きたかったが、言葉にはならなかった。


まだヒナタがアンドロイドだなんて、信じられない。

ヒナタの頬に両手で触れた。ひんやりしてはいるが、ふっくらとした女性の顔の感触に間違いない。


ヒナタの目のあたりも指先でなぞったが、美しい曲線を描いていた。


「……うん。ごめんね。

騙すつもりとかそういうんじゃなかったんだけど……。

お父さんにケンちゃんには言わないでくれって言われてたから。ごめんね」


「ごめんねって、そんな簡単なことじゃないだろ」


涙が出ていた。


「どうしてもっと早く言ってくれなかったんだ……。ちくしょう……」


「じゃあ、ケンちゃん、言ってたら信用してた?」


「信用できるわけないだろ。

私は心を持った人形です。未来から来ました。

なんて言われて、そうですかって信じられるわけがない」


「人形だなんて言わないでよ……。

ケンちゃんには、人形だなんて思われたくない。私だって、私だって本当なら、人間でありたかった。ケンちゃんや他の人たちみたいに、生命を持ちたかった」

ヒナタは顔を手で抑えて、泣いた。


不思議だった。本当は、彼女は作りモノで、あの涙も人間のそれとは違うはずなのに、俺は彼女にひどいことを言ってしまった自分を呪いたくなった。


本当は、全て人に操作されているのかもしれないヒナタの言葉や態度なのに、なんだかすごく辛かった。


「行こう、ヒナタ。ここにいたら駄目だ。もう目の色素が薄くなってきてる」


「……うん。ケンちゃん、私あと何時間こうしてられるの?もう体がすごくだるいんだ」


「多分、24時間は切ってると思う……。でも、背中のエネルギー残量を見てみないと正確には分からないよ」


「ケンちゃん、私、エネルギーが無くなったらどうなるのかな」


潤んだ瞳の奥で、精密な仕掛けが動いているのが薄っすらと見え、それが光を反射してキラキラと光った。


「怖いの?」


「分からない。多分私には怖いとか、そういう感情ってないんだと思う。火事の時も、怪我した時も、なんとも思わなかったし……」


そうか、ヒナタは戦地用医療ヒューマノイドと書いてあったな。

恐怖心は恐らく自己防衛本能からくるものだから、自分の命を守る必要のないヒナタには必要がないんだ。


「エネルギーが無くなっても、ヒナタは死ぬわけじゃないから。またエネルギーを注入すれば動くはずだ」


「でも、液化マンモナイドは今はないんだよね?」


俺は返答できずに黙り込んだ。


成分さえわからない謎のエネルギーだ。


恐らくあと何十年とかかって開発されるエネルギーに違いない。

そして、それがあったとして、どうやってエネルギーを注入するのかすらわからない。

なんと答えてあげればいいのか、よくわからなかった。


「私、私が動かなくなったら、ケンちゃん、泣いてくれる?」

ヒナタが俺を透き通る目で見つめていた。


ヒナタが動かなくなるなんて、想像すらつかない。

しかし、それが俺たちの永遠の別れで、それはもうすぐそこまでやってきている。


「分からないよ。だって君は死ぬわけじゃない」


「どうして?生命じゃなくても、もう二度と目を開けられないってことは、死ぬことと同じじゃない。少なくとも、私はもっとケンちゃんと一緒に、ゲームをしたり、ご飯を作ったり、ピアノを弾いたりしていたかった。ずっとずっとそうしていたかった。ケンちゃんはそうじゃないの?寂しくないの?」


「寂しいに決まってるだろ。だけど、じゃあ一体俺は、何をすればいい!」

思わず叫んでいた。


ヒナタは顔を右側に背けて、どんぐりの木を眺めた。


「ケンちゃん、お願いがあるの」


ただ俺はヒナタの口から次に出てくる言葉を待った。


「ケンちゃん、私が動かなくなったら、あの木の下に埋めてくれる?」


ヒナタは真剣な顔をしていた。

言い終わると、また俺の顔に向き直り、じっと見つめてきた。


「……あぁ、わかった」

恐ろしく声が震え、聞き取れないほど小さな声で答えた。


ヒナタにとっては、これが死なのだ。ヒナタにとっては、今日が人生最後の日になるんだ。そう思った。


「ヒナタ、買い物に行こうか」

俺はヒナタに手を差し伸べた。


「うん」


俺はそのまま、その手を離さず、手を繋いだまま、通い慣れたスーパーへ向かった。


ヒナタは、いつもと変わらない様子で、今日のお買い得品を買っていく。


「部屋には戻れないから、ご飯は作れないよ」


「じゃ、料理が出来る部屋を探そう」


「料理が出来る部屋か……」


ケータイは、火事で置いて来てしまったし、どうしたものだろう。


「多分ウィークリーマンションなら、台所がついてるはずだな。でも、身分証が必要だ」


「そう。無理かなぁ」


「……母さんに頼んでみるよ」


俺は、ヒナタに財布を預けて、小銭だけ持って表の公衆電話へ急いだ。

まず、104に電話をして養父母の病院の番号を聞いた。


病院に電話すると、受付の人が出たので、母さんのケータイを聞いたが、大きな病院なだけに息子だと説明しても信用されず、たらい回しにされてしまった。


ケータイを持っていないと、こんなにも面倒くさいのか、と思った。

ようやく聞き出して、母さんに電話をすることができた。


「母さん、俺です」


『ケンジくん、どうしたの。病院を飛び出したって聞いてびっくりしたわよ』


「ちょっと、理由があって」


『体は、なんともないの?』


「はい。体はなんともないです。それより、お願いがあります」


『何、どうしたの?』


「明日は何の日か、知ってますか?」


『忘れたことなんてないわ。16才おめでとうケンジくん』


「プレゼントが欲しいんです」


『そんな風に言われたの、初めてね。買えるものかしら』


「お金では買えない時間を買おうと思ってるんです。俺のマンションの裏にあったウィークリーマンションを、一部屋、今日と明日借りたいんです」


『今日と明日だけでいいの?』


「はい」


『そう。分かったわ。電話しておくわね』


俺はちょっと驚いて聞き返した。


「理由は、理由は聞かないんですか?」


『もう聞いたわ。お金では買えない時間を買うんでしょ。好きにしなさい』


「母さん」


『なあに?』


「母さん……ありがとう」


『……どういたしまして。きっと生んでくれたお母さんも、そうしてたと思うわ』


「はい。俺も、そう思います」


この人がどうしてあんなにも俺を医学部に行かせたがっていたのか、ようやく理解することが出来た。


俺の本当の母さんは、俺を身ごもる前まで、医者を心から目指していたのではないか。病院を継がせるためじゃなく、若くして亡くなった妹の意志を、息子に継がせてやりたかったのかもしれない。


ごめんなさい、お母さん。

俺は本当に何もわかっちゃいない。


受話器を置いてスーパーの方を見ると、ヒナタが両手にいっぱいの荷物を持って立っていた。笑顔だった。


「お母さん、なんて?」


「電話しておいてくれるってさ。大丈夫そうだ」


「そう。良かった」


「いっぱい買ったな」


「だって調理器具も買ったから」


「はは。いつかも、こんなことあったな」


「うん。初めて渋谷に買い物に行った日」


「初めて2人してパスタを作ったんだよな」


「うん。リコッタチーズとフルーツトマトのパスタと、ルッコラとベーコンのピザ」


「そうそう。最初はどうなることかと思ったんだよな。でも、すごい美味かった。で、お嬢様今日のメニューは?」


「うん。リコッタチーズとフルーツトマトのパスタと、ルッコラとベーコンのピザ」


「え?」


「私にとって一番楽しかった1日だから」


「うん」


「あのゲームがしたいな」


「あのゲーム?」


「ほら、あの日、初めてやったでしょ?」


「あぁ、あれね」


「もう行かないと、駄目だよね」

ヒナタの瞳の奥にはもう、時計の内部のように複雑に絡み合う金属たちが、はっきりと透けて見え始めていた。


「……ゲームを買って行こうか。ヒナタ、欲しがってただろゲーム機」


「いいの?」


「いいよ。買っていこう」


俺たちは、いつも通っていたゲーム屋で、ヒナタの欲しがっていたゲーム機とソフトを山ほど買って、ウィークリーマンションに向かった。

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