懐かしい歌

あの事件以来、やはりヒナタを家に一人にしておくのは不安だと思うようになった。

もうすぐ夏休みだったが、出席日数が足りないため、補習を受けるようにと言われていた。


ヒナタは、あの後病院にも警察にも行きたがらなかった。

別に何ともないと言い張った。何ともないワケはないが、好きにさせてやろうと思った。

無理やり連れていくのは、違う気がした。


「ヒナタ、何か勉強したいことってある?」


「勉強?」


「うん。例えば料理とか絵とか、何でもいいけど」


「じゃあピアノが弾きたい」


「ピアノかぁ。じゃあ、音楽の専門学校でも行く?」


「行けるの?」


「なんで行けないの?」


「ううん。行けるならいいの」


「習い事みたいなものだから、金さえ払えば誰でも入れるよ」


「そうなんだ」


「行く?」


「うん! 行きたい」


「じゃあ、インターネットで学校を調べて手続きしておいで」


「わかった」


ヒナタはさっそくパソコンに向かった。


学費は、俺の貯金を崩すことにすればいい。

何よりヒナタ自身が学校に行きたがっているんだから、行かせてあげたい。


学校では、ショウマとは口もきかなかった。周りは不思議がっているようだったが、誰にもどうしたのか聞かれはしなかった。

夏休みが始まり、俺は補習に通い、ヒナタは学校へ通った。


ヒナタがキーボードを欲しがったので、キーボードを買ってあげた。

ヒナタは新しいキーボードを開けて、ポロンポロンと鍵盤を叩いた。

鼻歌混じりで、何かを弾いていた。


俺は何の歌だろうと、ヒナタのそばで耳を澄ましていた。


あぁ、この曲はよく知っている。いつも母さんが歌ってくれた曲だ。


「エーデルワイスだろ?」


「そう。ケンちゃんよく知ってるね」


「この曲を習ってるの?」


「ううん。適当にこうかなって思って。何度も聞いたことあるから」


「へぇ、音感が良いんだな」


「お父さんがよく歌ってくれたの。学校の裏のタンポポ畑で」


「学校は行ってなかったんじゃないの?」


「お父さんが通ってたんだ。たまに、何か教えてるって言ってた。それで、その学校の裏にタンポポが沢山咲いてる丘みたいなところがあって、そこで夕方までお父さんを待ってたの。夕方になると、そこにお父さんがやってきて、二人で夕日を眺めてた」


「なんか似てるな。俺の子供の頃と。俺の母さんも、よく川沿いの土手を歩きながら歌ってくれたよ。不思議だな。こんな気持ちで思い出すなんて」


夕日の中を俺と母さんの影が伸びて、母さんの澄みきった声が響いている。


そうか、俺は幸せだったな、あの時。


ヒナタの下手くそなピアノを聴いていると、なんだか涙が出てきた。


憎くて憎くて、大嫌いだった母さん。

俺はいつも一人ぼっちだった。


なのに、こんなにも懐かしい。


「ケンちゃん、どうして泣いてるの?」


「俺は、俺の今の両親は、俺の本当の両親じゃないんだ」

思い切って告げた。


「俺の、俺の本当の母さんは、本当の母さんは、俺が小さい時に死んだんだ」

苦しかった。胸が張り裂けそうだった。

誰かに母さんの話をするのは、初めてだった。


もう思い出せなくなったおぼろげな母さんの横顔。


「そっか、ケンちゃんもお母さんが恋しいんだね」


ヒナタは窓の外を見つめて、またエーデルワイスを口ずさんだ。


ヒナタの声はなんだか母さんに似ていて、涙が止まらなかった。

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