7. 〝イーグル・アイ〟

 ヘルメットを被った作業員数名に囲まれ、それが断層の前をゆっくり歩いていく。遺跡発掘の調査員たちが手を停めて見守る中、それは立ち止まり、断層にチョークでバツ印を書く。それからもう一度戻ってくると、作業員の一人に言った。

「機器で測定できる限界値を下回っていますが、こことあの印の間で異常が発生しています」

「そうか。助かったよ。工事中に見つかった遺跡の発掘作業中だし、大型の重機は入れられないからね」

「とんでもないです。我々にできることなら、いつでもご発注ください。私が把握している限り、この地域なら、鉄などに磁性を持たせることのできるガウス、対象が非生命であれば原子レベルに分解できるネクローシス、自身にダメージのない範囲で物質の温度を上下できるファーレンハイト、自身の体温より低い物質の温度を、対象次第では絶対零度まで下げることのできるケルビン、通称K、そして、主に半導体の電子の動きを制御できるオームとしての私。それから、任意の範囲で気体を圧縮できるパスカル。これらなら比較的短時間で納品可能です」

「率直に訊くけど、危険はないの?このあたりのオオカミだって、今のところシカ害対策になってるみたいだけど、いつ人間を襲うかわからないし」

「監督さん、ヤマイヌです」と傍らの麦わら帽子の女が言った。

「国の見解としては、あくまでヤマイヌです」

「それ、学芸員さんには重要なとこかもしんないけど、我々からすればヤマイヌでも何でもいいし。とにかく、北の方の森は結構な数が住んでるんだよね?」

「ええ。この北側、小諸と東御の境はヤマトトモモソヒメのパックの縄張りです」

「だよね?姿は見たことないが、作業員が時々気配を感じるって言ってたし」

「いわゆる送り犬ですね。東信地方にはたくさんのヤマイヌ伝説があります。例えばあのあたり」と、学芸員が眼下に広がる佐久平の南の方を、それから東の方を指さしながら続ける。「岸野や猿久保あたりには、オオカミの巣に赤飯を備えるという『産見舞い』の話がありました。上田の舞田峠にも、やはり出産直後の母子が送り犬に守ってもらったという民話がありますが、この場合は、守るのも襲おうとするのも、両方ともオオカミです。とにかく、日本の伝承は、西洋に比べると好意的なものが多いです。田畑を荒らすシカやイノシシの天敵ですから、人間からすれば『敵の敵は友』的なイメージもあったのでしょう。農作物の被害を防ぐために、神としての狼の力を借りたい、という申し出や、それに対するお礼の記録が残る神社もあります。さきほど言った猿久保の伝説など、『赤ちゃんを忘れて来たらオオカミが届けてくれた』なんて呑気なものです」

「でも、シカを襲う動物が人間を襲わないなんて保証はないよね」

「おっしゃる通りです。事実としては、食い殺された、というだけでなく、明らかに人が狂犬病をうつされた、と思われるものも多々あります。小県郡の記録でも、母子が送り犬に守られたという話のすぐ次に、子供を食われた父親がヤマイヌを退治する話があったりして、オオカミに対する姿勢もいろいろとあったようです」

「使い方の問題です」とオームが言う。

「包丁、ロープ、ハンマー、のこぎり、ドリル、大型重機など、たいていの道具は凶器になり得ます。もっとわかりやすいのは、銃です。このあたりの農業従事者には、野生動物から身を守るという建前のもと、一定の条件下で銃の携帯が認められています。でも、銃は同程度に人命を害する可能性も内包します」

「それだけ聞くと、やはり危険だと思っちゃうよね」

「ただ、実際の我々は、ニホンオオカミや銃に比べてはるかに無力です。まず、一度に感染させることができるのは自分自身の肉体が扱える質量までです。その限界が三十キログラムなら、感染対象も三十キログラムまで。だからガウスは、一メートルの鉄筋を一、二本飛ばすことはできても、同じ長さの鉄骨は無理です。ネクローシスはビルを一瞬で破壊するようなことなどできないし、ファーレンハイトもKも、家庭用浴槽程度の水でさえ瞬時には凍らせることはできません。私に至っては、感染対象はあくまで電子部品程度です。例えば」とオームが道路の先の信号を指さした。「現在青のあの信号を赤に変えることはできますが、停電していたら何もできません。当然電気を起こしたり物質を通して人を感電させることなどもできません。今回の調査も、スイッチのオンオフができるかを細かく調べて行っただけです」

「そんな弱点になるような事を喋っていいのか?」

「我々はあくまで道具です。道路の向こうにあるパワーショベルと同じ、何ができて何ができないかを取扱者に知っていただくことが最優先です」

「危険はない、と?」

「確かに武器としての発注もありますが、七割以上の要請は医療、研究機関や、今回のような建築、建設、土木関係ですし、時には人命救助のための要請もあります。発注、受領、もちろん解錠、施錠にも一定以上の資格、条件が必要ですし、それらの情報は全て専用のサーバーに記録されます。施錠の手続きがなされなくても、一定時間が経てば自動的に鍵がかかり、ウイルスの放出量は大幅に制限されます。そして何より、オルヴズが人間に感染したと確認されたことは、記録のある限り一度もありません」

「それにしても、君はよく喋るよね。他のウルヴズと違って」

「我々が喋らないのは、あくまで皆さんの保護のためですから。我々の声は携帯電話と同じ、いわゆるハイブリッド符号化を経て皆さんに届いていますので、本来の我々の音声ではありません。しかし、声の調子、喋り方などは我々を特定するヒントを相手に与えてしまいます。これは望ましくはないですから、なるべく喋らないようにしているのです。私の場合、符号化を常時操作できますから、特定される可能性は他のウルヴズより更に低くなります。それに何より、我々が使える、役に立つ、ということを皆さんに知っていただきたいからです」

 監督が礼を言い、会釈をした学芸員と打ち合わせを始めた。オームが彼らに背を向け、呟く。

「監督は正しい。無知こそ恐怖の根源だ。だから僕は、取扱説明書を明示する。僕自身が生きるために」


【2018年4月6日11時15分 ヤマトトモモソヒメ、ヒコイサセリビコ、ヤマトトビハヤワカヤヒメ、ヒコサメマ、ヤシマジヌミ、カカセオ】

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