wO-LVes ~オオカミのいる日本~
海野遊路
序章 『"荷車の騎士"の中の民間伝承と神話』(A. L. FURTADO 、P. A. S. VELOSO)
0. 〝ランスロまたは荷車の騎士〟
この物語は第三者視点という体裁をとっているが、実は私は登場人物の一人だ。読者の皆様には、ぜひとも私が誰かを当てていただきたい。勘の良い方なら早い段階で気付くだろう。
「それなら少なくともあんたは最後まで生き残ったってことだよね?」
そう思われた方には、『キック・アス』(2010年)の主人公デイヴの言葉を返そう。
「そんなに利口ぶるのはよしなよ」
彼が上げている三作品以外でも、1953年の日本映画『雨月物語』や、2004年に制作されたハリウッドの『キング・アーサー』では、語り部が死者、宮木の霊やランスロットの魂だ。そもそも、頭が十ある魔物が登場したり猿が巨大化したりと、物語とは根本的に荒唐無稽なものと言える。死者が語らない、などと余計な制約をつけることもない。
一方物語は、時代背景や文化などの束縛を受ける。例えば、前述をはじめ様々な物語に登場するランスロットには、〝荷車の騎士〟という異名がある。当時荷車に乗るのは罪人扱いと同等とされ、騎士にとっては耐え難い汚辱だったらしい。現代の感覚からすると、その後の剣の橋や塔の幽閉などの方がはるかに大きな苦難に映るが、中世社会ではそれが題名や異名になるくらいの試練だったということか。
これから記すのも、現代版の荷車に乗った若いランスロットたちの物語だ。確かにこの荷車には覆いがあり、晒し台としての意味合いはないが、人が人としての尊厳を無視して積み込まれる点では中世とそう変わらない。いや、中世だけではない。2013年の『それでも夜は明ける』では、黒人奴隷が荷物のように積み込まれた荷車の描写があるが、これはクレチアン・ド・トロワから七世紀後、近代の出来事だ。そして更に21世紀の日本でも、若い、多くは幼い騎士たちは、それぞれの姫君を求めて荷車に乗り込む。名を隠し、不名誉な称号に甘んじ、不条理な扱いに耐えながら、重い石棺の蓋を開け、剣の橋を渡る。
そういえば、例示したもう一方、『雨月物語』も、荷車に商品を積み込む場面から始まる。もちろん、ここでの荷車に刑罰の意味はなく、むしろ源十郎と藤兵衛の希望の象徴に映る。しかしそれもまた、結局は破滅に向かうための渡し船でしかない。ランスロットの求める姫君が主君の妻という永遠に届かない相手であり、そして、冥府まで辿り着いたオルフェウスがエウリュディケ―を連れ戻せなかったように。
だから、この物語も荷車の中から始めよう。中世とは違い、御者は小人ではなく普通の人間で、駆動も馬力ではなくエンジンだ。そして、荷車に乗った騎士の武器は槍でも剣でもない特殊なウイルス、時折見つめるのは妖精から授かった指輪ではなく、どこにでもあるスマートフォンだが。
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