第65話 『トウキョウ』 その8

 それは、多くの人間でした。


 おそらくは、そうです。


 言葉が聞こえるからです。


 しかし、明かりが全くないのです。


 ごそごそと、うごめく音。


 悲鳴にもならない悲鳴。


 苦痛の声。


 そうして、かなり悪臭がひどいです。


 あたくしは、仕事柄、さまざまな状況にも、耐えうるように訓練されていますが、これはかなり劣悪な状況です。


 つまり、死人と、まだ死人ではない人が、おおぜいいるようです。


 連れの男の子は、大変に、気丈な子のようでした。


 一生懸命、そうしていた、のかもしれない。


 あるいは、慣れてたのかもしれませんが。


 彼は、大きな声で叫びました。


 『バッハ! バッハ! ブランデンブルク ブランデンブルク!』


 「ちょっと、あなた、どうしたの?」


 「アンゴウ。アンゴウ。」


 「『暗号』かな。誰かに呼び掛けてるの?」


 彼は、同じ言葉を、何度も叫びます。


 それから、歩き始めようとしました。


 「そりゃあ、無謀な。しかたがない。」


 あたくしは、スパイ道具をたくさん身につけております。


 高性能の、懐中電灯もあります。


 手の中に納まるほど小さいですが、おおよそ、500メートルの範囲は、明々と照らします。


 しかも連続で、10時間は持ちます。


 ただし、あまり、照らしたくはなかったのですが。


 誰が、想像可能な範囲でも、この壮絶な状況を、見たいなんて思うでしょうか。


 『ここは、トウキョウエキの地下です。先ほどから、数日あとです。歴史上の資料は、かなりが崩壊していましたが、まずは、首相官邸附近に、20キロトン程度の核弾頭が落ちたと考えられます。半径2キロ圏内の建造物は、99%が再利用不能になりました。


 2.2キロ以内は、全焼しました。


 4キロ以内では、88%の建造物は、再利用不能になりました。


 4~8キロ圏内では、38%が再利用不可になりましたが、初期の火災はほぼありませんでした。


 交通網は、2キロ以内の道路はマヒ状態になり、電車は1,4キロ以内は脱線して不通になりましたが、地下鉄はあまり被害を受けていなかったようです。


 でも、死者は、50万人に及び、数百万人の負傷者が出ました。


 国会議事堂は、骨格だけ残りましたが、多くの政府機関は壊滅でした。


 この国は、地下シェルターがあまり完備されていなかったのですが、都心部は地下鉄がそれなりに役には立ったのですが、なかなか救助が行えず、こうした状態に長く置かれたようです。まだ、最初のうちは、攻撃した側も、戦後の占領を考えていたようです。しかし、問題は・・・・・』


 「問題は?」


 『それじゃ、終わらなかったことです。地球上の指導者たちは、終わらせることができなかった。なぜなのか? それは、分かっていません。ただ、この状態が1週間あって、その後、こんどは、メガトン級の核弾頭が、使える分、すべて発射されました。』


 「まって、それは、今の前?それとも?」


 『放射線量などの計算上では、この後ですな。』


 「冗談じゃないわ。退避した方がよくない?」


 『ここは、深いクレーターになります。』


 「きみ、逃げるわよ。とにかく。」


 わたくしとしても、まことに、心苦しい、そう思いますが、もしかしたら、人間だったのではないか、と、思うような固まりを多数、超えて歩いていると、小さな声がしました。


 『お=。バッチ。ブランデンブルク!』


 男の子は、その声の方に、飛んでゆきました。


 明かりの中に浮かび上がったは、かなり重症のようでしたが、確かに生きている女性でした。


 男の子は、その人に抱き着きました。


 『サンキュー。ダンケ・シェーン。』


 彼女は、そう言いました。


 『まずいですよ。ミサイルが来ます。それと。。。』


 「それと?」


 『一つ下に、電車が来ます。少し次元がずれてますが、今なら間に合う。すぐに、あのエレベーターで、降りれば、ですが。』


 「・・・行こう。」


 わたくしは、もう、めちゃくちゃ走りました。


 誰かを、踏んづけたに違いないです。


 なんだか、釈然としません。


 うめき声や、叫び声の中を、その声たちに、むしろ押されるようにして、エレベーターに飛び乗りました。



  ************    





 ※ 参考書  『核爆発災害』(高田純 さま著:中公新書 2007年)




 




 


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