第六章・よみがえる記憶と闇からの誘い

 達也と和也が落ちたのは、古井戸だった。広田と一緒にいた仲間の一人が、他の仲間たちを呼び、助け出されたのはそれから一時間後のことだった。


 達也と和也の二人は、山仲医師の診察の結果軽症と判断された。しかし和也だけは、古井戸に落ちたときに頭をぶつけたらしく、ずっと頭痛を訴えていたので、一応精密検査を受けることとなった。


 山仲医院には、山仲医師が元大学院の医師だからなのか、結構立派な設備が整っていて、精密検査の大半はここでもできた。


 最後の診察を終え、仲間たちと和也のいる待合室に達也が戻ってきた。待合室には、仲間たちと和也が長いすに座っていた。長いすが狭くて、無理に座っても一部の仲間と和也が座って限界だった。


 仲間たちに囲まれる状態で、頭に包帯を巻いた和也が座っていた。和也の表情はうつろで、無表情な顔で窓の外をじっと見つめていた。いつもの笑顔が全くなくなっていた。不気味なほどに無表情な顔だった。仲間たちのたわいない会話にも加わろうとしなかった。


 そばには、両親と和義もいた。三人は先ほど広田から事故のときの話を聞き終えたところのようだった。三人とも心配そうにしているが、なるべく平静を装っていた。


 和也がうつむいたまま口を開いた。


「僕、思い出した」


 達也と広田と両親が目を少し大きく見開いて和也を凝視した。仲間たちも和也を見た。ただ仲間たちと和義は、皆一様に不思議そうに眺めている状態であって、和也の言っている意味がわからないでいた。和也は相変わらず無表情なまま、小さくつぶやいた。


「六歳のときのこと、全部思い出した」


 仲間たちと和義だけは、相変わらず、なんのことかさっぱりわからず、和也と達也の両方を見比べていたが、広田と達也と両親の四人だけは、顔面がみるみる青ざめていった。


 特に達也の表情だけは誰よりも異常だった。顔面から生気がみるみる消えていき、その表情がみるみる恐怖にゆがんでいき、全身脂汗をかきだしていた。


 ゆっくりと顔を上げて達也の方を向こうとする和也の動きに合わせるように、達也が震えだし、両目を更に大きく見開きだした。大きく大きく。何かにおびえるように。


 そして和也が達也に顔を完全に向けてから、口を開き何かを発しようとしたとき、目を大きく見開いた達也が、


「うわー」


 と突然奇声を発して待合室を飛び出し、外へと出て行った。


「達也っ!」


 周囲の達也を呼ぶ声にも反応せずに達也は走った。医院を飛び出し無茶苦茶に走った。息も絶え絶えに目的もわからず走り続けた。何時間も走り続けた。


 真っ暗闇の中を走る、走る、走る。ひたすら走る。


――これはまたあの夢?


 達也は時折そう思いそうになった。しかし夢ではない証拠に時折車がそばを通った。民家が見えた。街灯が見えた。


 達也は夢の中ではなく、現実の世界の道路をひたすら走り続けていた。何時間走り続けているのだろう? 何度息も絶え絶えになったろう。何度か休憩しつつも、すぐに走り出していた。まるで何かに追われているような、何かから逃げているような、真剣な表情で。


 しかしいつしか睡魔におそわれ、達也はとある森の中へと入っていき、なるべく人の目にとまらないように奥へ奥へと入っていってから、地面の上に体を横たえた。


 落ち葉が地面にびっしり落ちているのか、妙に気持ちがよかった。少し水分を含んでいるのかもしれない。まだ秋とはいえ随分寒くなってきた。確実に風邪をひきそうだったが、睡魔には勝てなかった。何より、もうどうでもいいと思っていた。そしてそのまま睡魔に体をゆだね、眠りについた。深い深い闇の中へと落ちていくのを全身で感じていた。


 闇が広がる。目の前に闇がある。達也の目の前には、何も見えない漆黒の闇があった。


――ああ、またあの夢か、もうどうでもいいや。


 達也がそう思っていると、唐突に闇に何かが現れた。それは和也ではない別の和也。それは六歳のときの達也。


「どうして逃げるの? どこへ行くの」


「またお前か、どこでも良いだろ」


「逃げる必要なんてない。あんなやつのことなんて、どうだっていいじゃない。なんなら、またあのときのようにすればいいだけ。うううん、むしろ今回は簡単だよ。あのときとは違う」


 達也は表情をくもらせたまま黙っていた。何も返さないことを知るや、不気味な小さい頃の達也が再び話しかけた。


「約束まだ実行してないよね。今ならできるよ。身体も大きくなったし、あの汚い言葉を発する大人だって、傷つける大人だって、消すことができる。今こそできるんだよ。君は見てるだけでいい。また見てるだけでいい。もう一人の僕がするから。きっとまた気持ちよくなれるよ。あのときのように」


「俺はそんなこと思ったことないし、今は望んでない」


「いいの、それで本当にいいの?あの連中を消さないと、いつまでたっても偽の君のままだよ。ずっとそうやって偽るの? 自分を偽り続けるの?本当は嫌なくせに。本当は悲しいくせに」


 再び達也が沈黙したが、声は続けた。


「そもそも君は本当に、達也なのかな、本当の達也なのかな?実は君も僕たちと同じなんじゃない」


 達也が何かを言おうとして言葉をつまらせた。徐々に自分がわからなくなってきていた。


――本当の自分ってなんだろう?


 と思いだした。達也だと思っている自分は本当は違っていて、本当はもっと恐ろしい存在なのではないか? と思うようになっていた。


「それでも、そうだとしても俺は、お前たちの望みなんてかなえさせたくない」


「おかしいな、やっぱり、君違うんじゃない。だって、達也自身の望みだよ。確かに聞いたから」


「うるさいっ」


「本当にこのままでいいの。あんな連中、消してしまおうよ。でないといつまでもあの声は僕たちを襲うよ、ほら、あの悪魔の声が」


 その声が終わるとほぼ同時にいつもの声が聞こえてきた。あれから十二年以上、毎晩聞いている声。


「また逃げるの?」


「もう疲れた」


「そう疲れさせたのは、誰のせいかな、誰のせいかな。あんな悪魔たちいなくなればいい。君だってそう思ってるんだろ。僕たちはわかる。僕たちは君であり、君は僕たちなんだから」


 無表情だった口元が、うっすらと笑みを浮かべたが、目は不気味につり上がり、黒眼部分が金色に光っているように見えた。


「ああ、そうだな……」


 闇の奥からいつもの声が、いくつもの汚い声が響いてきた。


 達也の、最後の言葉の意味、それは、何かを確認し認めるものだった……

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