6-3. ツリーハウスの下の会談

「そんなはずがないわ!」

 寝台の上にいるのも忘れて、リアナは立ちあがりそうになった。「〈くろがねの妖精王〉が、反逆者マリウスですって!?」

 かしゃんと音を立てたカップをあわててつかむ。


「……落ちついて」フィルがそのカップを受けとり、トレイのうえに戻した。


「オンブリアの自治領内の王が、王を殺そうとした反逆者? そんなこと、どうやったら起こり得るっていうの?」

「政治上のことはおれにはわかりませんが、たぶん、オンブリアでは知られていないんでしょう」

「知られていないって……」

 フィルがその方面にあまり興味がないことは知っているが、それにしても。「イティージエンで妖精王に会ったとき、エサル公もほかの竜騎手たちもそばにいたのよ。そんな反逆者がいて、彼らが傍観しているはずがないわ」


「そのことは……」フィルはまた煮えきらない顔をした。「おれからは説明しづらいです。直接会って、本人に聞いてみては?」


   ♢♦♢


 わかったわよ、本人に聞いてやるわよ、フィルのバカ。秘密主義。どきどきさせてごまかそうとするの、ほんとうに嫌い。


 リアナはぶつぶつとつぶやき、怒りをみなぎらせながら服を着替えはじめた。女官がいなくてはとうてい脱ぎ着できなさそうなドレスに、また怒りがわきあがる。白いレース地のような布が重なって層を作り、ボタンやフックはなくリボンで留めるようになっていて、まるで女児がシーツで作ったお姫さまのドレスのようだった。


(しかもまた、肩と首が開いてるし)


 デコルテや腕が露出しているのがイーゼンテルレのドレスにも似ているが、豪奢な装飾品はなく、小ぶりの宝石がちりばめられた華奢なリボンで首と腕とが飾られていた。かろうじて金の簡易冠があるから王とわかるが、それがなければ仮装のように見えそうでリアナは不満だった。


 あきれるほど長い着付けが終わると、布の衝立のむこうからフィルが顔を出した。緑がかった灰色の目が彼女にそそがれる。

「……きれいだ。泡から生まれたばかりの女神みたいですね」


 お世辞はいいわよ、と言わなかったのは、彼がどうにも困惑しているような表情だったからだ。妖精の国の衣装にとまどっているのが自分だけではないと知って、いくらか溜飲が下がった。

 彼が腕を差しだし、二人はツリーハウスから足を踏みだした。


 螺旋階段を降りながら、そっと隣の男を見あげる。フィルは目の覚めるようなブルーのジャケット、白いウールのズボン、黒革のブーツと、こちらも典礼服か王子様の仮装かという服だった。ふだんは無造作な砂色の短髪もきちんとくしけずられて、秀でた額があらわになっている。竜族の男の正装である長衣ルクヴァこそないが、王族のような美々しい装いは意外にも彼によく似合っていた。いつもは地味で簡素な服ばかり着ているが、フィルだって、世が世なら王子様と呼ばれてもおかしくない。〈ハートレス〉でさえなければ、いまごろデイミオンと同じように正装して、掬星きくせい城で女性の視線を集めるはずだったのだ。


 フィルがこうやって美装して五公会に出席する姿を想像すると、胸がきゅっと痛くなった。


「男ぶりがあがったわよ、フィル」

 フィルは口もとだけ微笑んで返したが、目は油断なくあたりを観察している。季節はもう冬にさしかかろうとしているが、オークやポプラが紅葉する森はにぎやかしく、タマリスよりも心なしか暖かかった。


 落ち葉の絨毯のうえに、革張りの簡易椅子が何脚かならぶ。それ以外には宮廷をしめすなんの飾りもなく、野掛けピクニックにでも来ているかのようだ。男はリアナを座らせると、白貂の毛皮を彼女に巻きつけ、自分はその背後に立った。


「あなたも、かけて休んだら? ここはオンブリアじゃないのよ」

 彼女が目ざめたことでフィルもいくらか肩の力が抜けたようだが、決死の雪山越えで、本来なら彼女以上に消耗していておかしくない。それなのに、いつでも飄々として辛さを見せないのが心配になる。


「〈鉄の王〉は味方だけど、あなどれない人です。つけ入る隙を見せたくない。あなたも、会談中はちゃんと俺を臣下として扱ってください、陛下」

(アエディクラに亡命なんかしたくせに、今ごろになって、臣下づらするわけ?)

 一度言いだすと、兄のデイミオンよりもよほど頑固な男だ。リアナは嘆息して、説得をあきらめた。


 リアナたちは、客人の礼儀としてツリーハウスの下の庭で王を迎えた。女官たちはふわふわと漂うように動き、楽しげに笑いさざめきながら庭を飾りつけてまわった。森は色とりどりの幔幕まんまくやランタンで飾りつけられ、丸い小さなハチミツケーキの山をはじめとした茶菓子が並べられた。先ぶれが来てからかなり長く待たされたが、やがて森の中からにぎやかな一団があらわれた。


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