5-5. 地下水道の調査

 一行は水道橋の足元から、遺構のなかに入った。

 なかはひんやりとして暗く、数歩先以上は見えない。テオがカンテラを持って先頭を進んだ。ファニーとベスはおそるおそるあとをついて行く。徐々に目が暗闇に慣れてくると、そこここに野営の跡があった。イティージエンの民が立ち去ったあと、行商人や盗賊たちの仮宿として使われているのだろう。しかしそれもしばらくすると消え、見えるのは自分の足だけになった。だんだんと聴覚が鋭くなってきて、砂利を踏む自分たちの足音や荒い息遣いに混じって、遠くで軽い水音が響くのも聞こえてくる。

 ベスの耳が、カサカサッとかすかな音をとらえた。足もと近くのようだ。

「きゃあああ」

 絹を裂くような悲鳴に、ベスは思わず自分の声かと錯覚しかけた。だが、自分は悲鳴などあげていない。

「サソリ! サソリが!」

 ……どうやらファニーの声だったようだ。さっと足が動く音がして、カサカサ音はやんだ。「サソリじゃない。ネズミですよ、閣下」こちらは、テオの声。


 通路は人目につかない場所とは思えないほど整然として、頑丈に作られていたが、長らく放置されていたせいでところどころが崩れ、危険な場所もないではなかった。そういうときにはテオが先にわたって安全を確認してから後続のふたりを呼ぶ。そうやって半刻ばかりか、しばらく歩きつづけ、ついに開けた貯水槽に行き当たった。


「……まあ……」

 足を踏み入れたとたん、ベスは感嘆の声をあげた。首を大きくめぐらして、信じられないように言った。「これほどの貯水槽が……」


 ベスはもちろん事前に調べてきたから、ここがどのように建てられた場所かを知っていたが、それでもなお驚かずにはいられなかった。大理石の円柱が整然と並ぶ貯水槽は、むしろ秘められた古代の神殿のようだ。水をたたえた貯水槽の存在は、暗く湿った安息所が必要だったデーグルモールたちにとってありがたいものだっただろう。


「わっ、魚がいる」先に通路を歩いていたファニーが言う。「鯉かな」

「柱が崩れかかってる。早く地上部に上がりましょう」テオがうながした。


「いえ、待って」ベスは胸ポケットから術具を取りだした。力の源である古竜をもたないライダーは、あらかじめ力を貯蔵してある術具に頼るしかないのだが、これは兄ロギオンのお手製による術具だ。


 青白く光るペン頭を地面に向ける。

「血液の反応……」つぶやくと、今度は柱のほうへ向ける。「ここにも。……リアナ陛下がここでデーグルモールの一人と戦ったんだわ」


「なぜ陛下とわかるんです?」

「デイミオンさまのケガから推測される戦闘の状況と、ここに残っている血痕や柱の崩壊跡が一致しないからです」説明しながら、ベスはきょろきょろとなにかを探した。「血の跡は何カ所かありますが、持ち主は大きく分けて二人分です。一人はリアナ陛下、そしてもう一人が、エサル卿が死亡を確認したというデーグルモールの頭領の息子でしょう。イオという名前の……」

 言いながら、片手でペンを持ち、もう片方の手をかざして黄竜の力を開放した。


「おわっ」

 テオが慌てて片足をあげた。その場にないはずの血だまりが、吸いあげられるように管状に伸びている。

「触らないで。分析中です」ベスが空中の一点を見つめながら警告した。どういうわけか髪が空中になびき、緑色の目が蛍光色に変化している。竜の力の発現なのか、ちかちかした青白い光が周囲に浮かんでいた。


「あの状態で? ……ライダーの力っつうのは、ほんと心臓に悪い冗談みたいだな」

 テオは独言した。そして、術具を持たずにうろうろしているファニーに向かって尋ねる。

「閣下もああいうの、やるんすか?」

「ううん」ファニーは即答した。「僕は自分のものじゃない知識は使わない」

「そうすか……言っちゃなんだけど、二人とも変わってますね」


「血だまりの跡は、どう見ても二人分以上ある」と、ファニーは誰にともなくつぶやく。「とすると、デーグルモールが臓器や血液を再生できるという、マリウス手稿の記述は正しいのかもしれない……でも、? 血液を作り出すのは、ヒトの心臓じゃないのか?」


 なにやら自分の作業に没頭している黄竜のライダー二人を横目に、テオは雨の様子でも見るように首をあげて建物を観察した。

「思ったより崩落が進んでいる」ぱらぱらと落ちてくる欠片を、手のひらで受けとめる。「ライダーたちが派手にやりあったんだ、これくらい予想しておくべきだった。のんびりとはしていられませんよ」


「デーグルモールの残党たちがどこへ行ったのか突き止めないと」ファニーが言う。「彼らと交渉して、もっとたくさんの情報を得られれば、その分リアナの治療に活かせるはずだ」

「頭領や幹部たちの住まいがどこかにあったはずです。そこに手がかりがあるといいんですが」

「むしろ、彼らの生活拠点がもっと見たい。負傷兵がどれくらいいるかがわかれば、どういうルートを使うかの参考になるかも」

「わかりました。でも、長居はしたくない。なるべく手っ取り早い方法でお願いしますよ」

 テオは出口に向けて二人を案内しようとした。さっさと向かうファニーに対し、ベスのほうは空中の一点を見つめたまま動こうとしない。まだ「分析中」とやらなのだろうか。


「お嬢……ベス!」テオは呼びかけた。「そろそろ移動しないと――」

 言いかけるのと、柱の一本が音を立てて崩れ落ちるのは、ほぼ同時だった。

「――どけっ!」

 そう命令したが、自分の身体が動くほうが早かった。テオはベスの服の首もとをひっつかんで、ともに倒れこむ。まさに間一髪というべきか、轟音とともに床にめりこんだ柱は、二人の足もとから拳一個ぶんしか離れていなかった。その距離のあやうさに、テオは大きく息をつき、ついで怒鳴った。


「ぼんやりしてんじゃねぇよ! 死にたいのか!」

 だが、肩を揺さぶられたベスの目はまだ焦点があっていない。言っても無駄かとテオが舌打ちすると、それを合図にしたかのように目の異様な光が消え、もとの緑色に戻った。


「分析結果が出ました」

 くるりと首を向けて、ベスは言った。催眠状態にでもあるかのような淡々とした声だった。

「18の指標が二度ずつ確認されました。

 89%の確率で、デーグルモールの兵士イオはリアナ陛下と血縁関係にあると証明できます」

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