5 調査班の旅

5-1. 餞別と出発


 出発の日は薄曇りだった。冬の訪れがはやい王都タマリスでは、あと数日もすれば雪が降ると予想されている。


 旅立ちにふさわしい天候とはいいきれないが、隠密の任務にはぴったりだろう。旅装に身を包んだ大柄な女性貴族、セラベス卿はひとしれず鼻息を荒くした。デイミオン王の命を受け探索の旅に出るという大抜擢とあっては力も入ろうというものだ。掬星きくせい城の、目立たないコーラー用の竜舎に、旅のメンバーが集まっていた。といっても、ベスとファニーのほかは、護衛兼ガイドだという〈ハートレス〉の男が一人だけで、すでに全員が出発の準備を終えていた。


「ベス。道中気をつけてな」

 見送りに来た兄、ロギオンが声をかけてきた。「忘れ物はないか?」


「お兄さま」

 ベスに似ていない兄はスイセン色の長衣ルクヴァを着て、長い銀髪もきっちりと結い上げ、すっかり城勤めの高官らしくしている。しかつめらしい顔を作ってはいるが、顔だちのせいで麗しい男装の女騎手のようにも見えるのは、本人には言わないであげるのが妹の優しさというものだろう。


「食事は三食きちんとって、夜は早めに休むんだぞ。本に没頭して夜更かししないように。容色の良い男に声をかけられても、うかつについていってはだめだぞ。おまえはお人よしで、情にほだされやすいところがあるから……」


「はいはい」兄のいつもの小言なので、セラベスは荷物を確かめながら適当に聞き流している。

 老母のごとくと注意点を並べ立ててからロギオンが去ると、入れ替わりにデイミオンがやってきた。立ち去るロギオンをちらりと見て、「いいご兄弟を持ったな」と言う。

「そうでしょうか……」


「ああ」デイミオンはさらりと言った。「自分が城に出仕する条件として、私があなたに土下座して謝罪するようにと申し入れてきた」


「ひいっ」セラベスは頬をおさえ、柄にもなく甲高い声をあげた。あの兄が? まさか、そんな。いや、でも、しかし。

「も、申し訳ありません、陛下! たいへんなご無礼を……なにぶん世渡りの下手な兄で……貴族議会でもそれで煙たがられて……でも、出仕のお話をとても喜んでいたのですが……」

 しどろもどろで擁護すると、王は軽く手を振って『気にするな』というジェスチャーをした。

「五公十家は腹の探りあいだから、ああいう素直な男は貴重だろう。それに、私があなたに謝罪しなければならないのは事実だ」


 そう言うと、デイミオンは目線を下げた。「繁殖期シーズンの件は、私の至らなさのせいだった。本当にすまなかった……土下座は勘弁してもらえるとありがたいが」後半はいたずらっぽく微笑んでみせる。


「デイミオンさま、そんな……」

 ベスは羞恥というより困惑から赤くなった。地味でとりえもない、大貴族の家名だけが魅力の売れ残りという自覚があるセラベスだ。繁殖期シーズンの最中に相手の男性が通ってこなくなるという不名誉は、なにもあれが初めてのことでもないし、残念ながら最後でもないだろう。


「謝罪を受け入れてくれるか?」

 真剣な青い目に見下ろされ、腰にくるようなあの低音でお願いされては、抵抗できるオンブリア女性などいないに違いない。彫刻のごとき美貌に魅入られて、ベスはほとんど考えることなくうなずいていた。


(竜騎手団の濃紺の長衣ルクヴァもお似合いだったけど、漆黒のもいいわ)

 ベスの胸中を見通したわけではないだろうが、デイミオンは形のいい口をあげて笑みを深めた。

「では、これを受け取ってくれ。餞別だ。旅の成果を期待している」


 ハンサムな若い王からの贈り物が、そっとベスの手の上に置かれた。大きな手が彼女の手をくるむように一瞬だけ触れて、離れていった。ベスはうっとりした目でデイミオンの背中が見えなくなるまで追っていたが、ふと我に返った。贈り物はなにかしら。


  ♢♦♢


 二日後には、ファニーとベスは南の国境近く、モレスクに到着していた。ケイエから数マイルの距離にある町で、そこからアエンナガルへ入ろうという計画だ。アエンナガルがあったとされる場所は、セメルデレ遺跡群とも呼ばれている。そちらに入るのには、ケイエで準備をするほうがいいのだが、そこは南の領主エサルのお膝元である。それで、情報収集の任務に長けた護衛役のテオという〈ハートレス〉の男が、この町で前泊するように決めた。ベスもファニーも素直にそれに従った。


「竜には乗ってみるものね!」

 褐色の飛竜から荷物を下ろしながら、ベスが言った。はじめての空の旅ですっかり興奮してしまい、自然と声が大きくなる。


「閣下は竜がはじめてでしたかい」

 テオが荷物を受け取ろうとしたが、ベスは笑って手を振り、断った。「本箱を抱え慣れていますから、大丈夫よ」

 実際、本箱に比べれば旅行鞄など、洋服と靴と衛生道具くらいしか入っていないのだから、軽いものだった。


「希少な〈乗り手ライダー〉なのに、もったいないことで」

 中途半端な長さの金髪を一筋だけ編み込みにしていて、なかなかおしゃれで、いかにも世間慣れしたくだけた言葉を使う青年だ。


「我が家のつてではどうせ古竜なんて飼えないからと、騎竜術については本で読んだだけで練習したこともありませんでした。あなたのおっしゃるとおりね。見ると聞くとは大違い」


「それはけっこうなことだね」

 真っ青な顔でよろめきながら、ファニーが降りてきた。テオが腕を貸すのにつかまってなんとか着地するさまは、ベスよりもよっぽど深窓の令嬢らしい。

「んで、こちらは空酔いの〈乗り手ライダー〉さま、っと」


「飛竜に乗るのに〈乗り手ライダー〉も〈ハートレス〉も関係あるもんか」

 〈乗り手ライダー〉の資質があっても、全員が騎竜訓練を受けるわけではない。才能とやる気と実際の能力は、ぜ・ん・ぜ・ん、別もの。先だってリアナと外遊に出た際にもそう主張したファニーだったが、今回も同様の事態に陥っているようだ。


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