(子供たちのお話)番外編・神様の国へはまだ行けない
カトレア・レユシット
レユシット家に生まれた待望の男児は、『サイネリア』と名付けられた。
母譲りの美貌と、亜麻色の髪。瞳は父と同じ宝石のような赤色。
最愛の夫とお揃いの瞳を大層気に入ったリナリアは、サイネリアと目を合わせる度に、うっとりと愛しそうな溜め息を溢す。
サイネリアは溢れるほどの愛情を受けて、健やかに成長した。
まだ幼いながら、貴族の子息らしく、丁寧な振る舞いを身に付けつつあったが、父に対しては少し生意気な口をきく。
それが彼なりの甘えかたであることを知っているので、父親のカーネリアンは言動を直させる事はしなかった。
リナリアは時折、サイネリアの柔らかい髪に顔を寄せ、頬をくりくりと擦り付ける。するとサイネリアは、「擽ったい」と笑う。
母の子供っぽい仕草を、照れ臭そうに享受するサイネリア。
彼らを見た周囲の者は、誰もが微笑ましげに相好を崩した。
ーーただ一人を除いて。
「サイネってば、もう大きいのに、赤ちゃんみたい」
どこか不貞腐れた、甲高い非難の声を上げたのは、サイネリアより幾らか年下の幼女だ。
幼女は、周りにいる誰とも似ていない。
誰から見ても美しいリナリアや、それと良く似た顔立ちのグラジオラス、凡庸な容姿のカーネリアンとも。母の美貌を受け継いだサイネリアは、言わずもがな。
「カトレアも、おいで」
リナリアはサイネリアをぎゅっと抱きしめながら、片腕を広げて、「こっちはカトレアの場所よ」というように、幼女を誘った。
『カトレア』と呼ばれた幼女は、まごうことなき、リナリアとカーネリアンの娘だ。そして、サイネリアの妹でもある。
カトレアは頷かなかった。
眉を寄せて、言葉を飲み込むように下唇を噛んで、両手で服の裾を固く握りしめた。
母や兄の容姿に比べて、カトレアの外見はあまりにも平凡だ。人並みな顔立ちの父親とも、また違う。
両親の特徴のいいところばかり遺伝したサイネリアに対して、カトレアは両親どちらとも似ていなかった。街を歩けば埋没してしまうような、希薄な印象しかない。
決して醜い訳ではない。だが美形のレユシット一族の中で、その容貌はかえって異質に見えた。
両親は分け隔てなくカトレアの事も愛してくれる。何も分からなかった時は、カトレアもただ嬉しかった。だが今になって、カトレアは見窄らしい自分の容姿を恥ずかしく思う。
家族の誰からも愛される、明るく美しいサイネリア。生まれた時から間近で、天使のような兄を見ながら育った。家族から、兄の容姿と比べられるような言葉を言われた事は無い。いつも、サイネリアと同じくらい、可愛い可愛いと言ってくれる。
「私は、いい。もう赤ちゃんじゃないから」
だけど、素直に甘えられない。
「サイネみたいに、はずかしいこと、したくない……」
また、意地の悪い事を言ってしまう。
頑なに側に来ないカトレアの様子に、リナリアはしゅんとなって、寂しいと顔に顕に見せた。手だけはまだ、「おいでおいで」と揺らしている。
カトレアがそっぽを向いてしまって、リナリアは今度は悲しそうな顔になって、すがるようにカーネリアンを見上げた。
妻にめっぽう弱いカーネリアンは、弱ったリナリアの表情もまた堪らないものがあったので、涙さえ浮かべそうなその顔をもっと見たいような、嗜虐的な思考が一瞬過った。
だがおくびにも見せずに、頼れる夫然として、もっともらしく頷いて見せる。
カーネリアンはカトレアの側へ寄って、しゃがんで目を合わせようとしたが、彼女はむっつりと黙ったまま。
ご機嫌斜めというより、どこか元気がない。
カーネリアンは特に、「赤ちゃんじゃなくても恥ずかしい事では無いよ」と諭すだとか、「何が気に入らないんだい」と尋ねるだとか、そういった事はせずに、無断でカトレアを腕に囲んだ。
リナリアがサイネリアにするように、ぎゅっと抱きしめてやると、無抵抗でぴったりとくっついている。嫌な訳では無いのだろう。
カーネリアンは、好きな人にほどそっけなくしていた、過去の自分を思い返した。
もしかしたら、この子の性格は父親に似たのかもしれない。
素直じゃない娘を、そのままひょい、と持ち上げて、黙ってリナリアのもとへと運んだ。
※
カトレアの脳裏に浮かぶのは、いつか聞いた知らない大人達の、ひそひそとした話し声だ。
レユシット家の子供が聴いているとは知らずに囁かれた、心ない噂。
『リナリア様によく似た面差しのサイネリア様は、あんなに見目良い子供なのに……それに比べると、カトレア様は……』
それらを偶然耳にしてしまったカトレアは、大好きな両親にも、優しい兄にも、誰にも言えず、抱え込んでしまった。
外に出せないまま膨れ上がった疑念が、甘える事を止めさせる。
本当は、母親に抱き付きたかった。
何度後悔しても足りない。留守番が嫌だからと、夜会へ付いて行かなければ良かった。そう何度も思った。
あれからカトレアは、家族とどう接していいか、分からないのだ。
※
『レユシット家は、養子をもらったのだったか』
『オーキッド様の話か?』
子供の自分より背の高い人混みに揉まれて、迷子になってしまった時の事だった。
サイネリアがとても懐いている大叔父……オーキッドの名前が聞こえて、知り合いだろうかと、カトレアは足を止めた。
『いや、そんな昔の話じゃない。当代の子供の、二人目……ご息女のカトレア様の事だよ』
『ああ……、“綺麗じゃない方”ね』
自分の事を話している、と気付いた直後の言葉が、ずきりとカトレアの胸に刺さった。
ーー綺麗じゃない方。
確かに、サイネリアの事は、とても綺麗だと思う。でもカトレアも、家族皆から可愛がられていたから、特に自分の容姿に引け目を感じた事は無かった。
『カトレア様は、グラジオラス様やリナリア様とは、似ても似つかないな』
『レユシット家のご息女は、どこかから貰われてきた子供なのではないか』
『もしくはーー不貞の子か。美貌のレユシットの血を継いでいるとは、とても思えない』
くちさがない連中は、どこにでもいるものだ。
だがカトレアにとっては、初めて触れる悪意だった。
いや、噂を話す本人達にとっては、何とはなしに呟いた事だったのかもしれない。決して良い感情から出た言葉では無く、軽率ではあっても、そこにレユシット家を貶める意図は無かったのかもしれない。
それでも、自分のせいでーーカトレアが美しくもなく、誰とも似ていなかったせいで、家族まで悪く言われているのだということは、何となく分かった。
カトレアは誰かに面と向かって悪口を言われた事は無い。両親も大伯父達も、他人の陰口を溢す事は、少なくとも子供達の前では無かった。だから、全く耐性が無かったのだ。
本人の居ないところで、密やかに交わされる会話。
まるで隠された“本当の事”のように感じた。
カトレアは、「不貞」の意味はよく分からなかったが、「貰われてきた子供」の意味するところは察する事が出来た。
(わたし、もらわれっ子なんだわ)
大好きな両親の、本当の子供では無い。その“事実”に、カトレアは酷く動揺した。
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