お揃いが良い

 

 別に紅茶なんて好きじゃなかった。

 とはいえ嫌いでもない。ただ、特別好んで飲んではいないだけだ。


 どこか甘い香りが立ち上る。透き通る赤い液体が、カップの中で湯気を立てている。嫌いな味じゃない……という程度。カーネリアンは時々この赤い紅茶を淹れた。

 理由は隣に座っている。ほっそりとした小さな手で、熱そうにカップを持っている。

 息を吹き掛けて冷ますのでもなく、熱いうちに口に含むのでもなく、ただ目の前の飲み物を眺めている。

 リナリアは、紅茶が好きなのだと思う。

 カーネリアンは紅茶が好きな訳ではない。好きなものを嬉しそうに見つめている、リナリアを眺めるのが好きなのだ。


 今まで聞いた事は無かったが、カーネリアンは戯れに、「リナリアって、紅茶が好きなのか」と尋ねてみた。

 じっと下に向けられていた豊かな睫毛が、静かにカーネリアンを見上げる。数度瞬きをする青を見返しながら、カーネリアンは答えを待った。


「カーネリアンは、紅茶好きでしょ?」


 当然、無邪気に「好き」と返ってくると思っていたら、意外にも聞き返された。カーネリアンは少しだけ返答に困る。好きなのは、紅茶そのものではないから。

 今さら恥ずかしがる事でもない。正直に「紅茶を好む君が好きなだけ」と言ってしまっても良かった。だが、リナリアと同じ物が好き、という状況も中々捨てがたい。


「どうして分かるんだ?」


 とりあえず、カーネリアンも紅茶が好きという体で、更に質問を重ねる。

 リナリアは口には出さないが、「やっぱりね」と言いたげな、得意気な顔をしてみせた。


「カーネリアンは、紅茶を見た時、凄く優しい顔をしているの。自分の事だから、気付いてないでしょう? だから、好きなのかなあって……」


 確かに、リナリアの事を見つめるのに夢中で、自分の表情など気にしてはいなかった。

 しかし優しい顔と言われても――それはまず間違いなく、紅茶というよりも、紅茶を飲むリナリアを見ていたのだと思う。

 何と返したものかと考えていると、リナリアは「私はね、紅茶って少し大人な味というか……もう少し甘い味の方が好きなんだけど」と続けた。


 リナリアは甘い味が好き。

 カップの中身は、香りは良いが、舌に乗る味はそれほど甘くはない。

 紅茶はどちらかといえば高価で、地元にいた頃は殆ど口にしていなかったと思う。飲み慣れないそれは、リナリアの好む味とは思えなかった。

 では話を詰めれば、実は彼女も紅茶自体を好きではないという事か。


(いやでも、紅茶を淹れた時に、リナリアが喜ぶのは事実だよな?)


 よく分からなくなった。だけどリナリアは、少しぬるくなった紅茶を口に運んで、「ふふっ」と嬉しそうに笑った。



 ※


「という事があったんですが」


「あ~、あーはいはい、なるほどね。カーネリアン君の鈍感は健在な訳だ」


 先日あった出来事を、何気なくオーキッドに話してみると、そんな反応が返ってきた。

 人伝に聞いただけで、リナリアの思惑が分かったらしい。

「俺のどこが鈍感なんだ」と言い返したい所だが、かつてランスにも「救いようが無い」と指摘されているので、黙ってオーキッドの解釈を待つ。


 オーキッドはつい今しがた帰省したばかり。それなのに、何故カーネリアンを差し置いて容易く見抜いてしまうのか。

 一方のカーネリアンは、鈍感と言われるほど、リナリアの心情に疎いというのに。


 幼馴染みとしてリナリアと過ごしてきた時間は、オーキッドとの交流よりよほど長い。それにカーネリアンは、ほとんど毎日、妻の居る家に帰っている。嫉妬というほどでは無いが、面白くはない。カーネリアンは仏頂面で無言の抗議をした。


「リナリアさんは結構分かりやすいけどなあ。それこそ今のカーネリアン君みたいに。何も分かっていない君の説明を聞いただけでも、彼女の様子が目に浮かぶようだよ」


「『鈍感』な俺でも分かるように教えてもらえませんか」


「ごめんごめん。うーん、そうだね、一つ分かりやすい情報を与えてあげよう。まあとっくに気付いていると思っていたんだけど」


 顎の下で手を組んで、もったいぶるような上目を向けながら、オーキッドは語った。


 オーキッドが、初めてリナリアを見た時の話だ。

 彼は「神様の恩恵を受ける街」で、噂の歌姫の噂を尋ねて歩いた。


「カーネリアン君と、リナリアさんの話を色々と聞いたよ。中でも印象に残っているのが……」


 道行くある一人の女性の言葉は、リナリアの事を如実に表している。


『昔の話なんだけどね? リナリアって、我が儘なようで、何が好きとか、欲しいとか、あまり言わないの。でも、カーネリアンが選んだ物は、リナリアも選んでいたわ。本とか、食べ物とかね。分かりやすいでしょう?』


「ってね」


 血の繋がりは無いはずなのに、以前リナリアが見せた得意顔とそっくりな顔をして、オーキッドは片目を瞑った。

 もたらされた情報に、カーネリアンは暫し考えた。そしてリナリアが言った事を思い返す。


『カーネリアンは、紅茶好きでしょ?』


 無様にも、顔に熱が集まるのを感じた。

 ああ、なんだ、つまり、リナリアも同じなのだ。

 好きな人の、好きな物だから、欲しかったのだ。



 だが、そもそもリナリアは、どうしてカーネリアンが紅茶を好きだと思ったのだろう。

 優しい顔をしている? いつから?

 リナリアが絡まないなら、紅茶などさほど興味も無い。

 リナリアの好物だと思ったから、カーネリアンも頬を緩ませたのだ。でもリナリアも、カーネリアンの好物だと思ったから、嬉しそうにしていた訳で……。

 事の起こりはいつからなのか、考えても平行線を辿るばかり。


 どうでもよい事に頭を悩ませているカーネリアンを見かねてか、オーキッドはもう一つ意見を追加した。


「まあそれは別として、リナリアさんは紅茶そのものも気に入っていると思うけど」


 カーネリアンは観念して、「何故?」と素直に聞き返す。


「君、頭は良いのに、恋愛事……いや、リナリアさんの事になると、とんと疎いよね」


「それはもう分かりましたから」


「そんなんだから、からかいがいがあるんだよ……ごめんって、睨まないで。難しい話じゃないよ。リナリアさんは赤色が好きなのさ。後で本人にも聞いてみなよ」


 リナリアは赤色が好き。

 確かに、最近レユシット家で出す紅茶は、琥珀に近い赤だ。

 淹れた紅茶をすぐには飲まず、見た目を楽しんでいる節はあった。

 カーネリアンの好物かは置いておいて、単純に色が気に入っているという事かもしれない。


 ひとまず納得して頷く。そんなカーネリアンの思考も読んだように、「言葉で伝えるって大事だよねえ」と他人事のオーキッドがしみじみと呟いた。

 まだ何か見落としているぞ、と言いたげな彼の態度に、出し惜しみせずに全部教えてくれと視線で訴えたが、陽気な鼻歌が返ってくるだけだった。


 ※


「リナリアって、赤色が好きなのか」


 本人に真正面から尋ねてみた。

 今度は、「カーネリアンも好きでしょ」とは返ってこない。

 リナリアは、何故そんな事を聞くのだろうと、単に不思議そうな顔をして、「うん」と答えた。


「どうして赤色が好きなんだ?」


「どうしてって……」


 リナリアが、カーネリアンの瞳を覗きこんでくる。

 カーネリアンの瞳に、薄明の空色が映った。赤と黒の境界の、透き通るような青。


 紅茶を見詰めていた時みたいに、いつまで経っても飽きがこない眼差しで、少しずつ距離を詰めてくる。

 いつものリナリアなら、そろそろ顔を赤らめて視線を反らしてしまうのだが、今日は頑張っていた。

 具体的に言うと、今にも触れそうな頬は熱を帯びていたし、湖面が揺らぐみたいに目は潤んでいたが、それでも何かを訴えかけるように、カーネリアンと目を合わせ続けている。


「本当に分からないの?」


 見詰められると、何も考えられなくなる。


「わか、らない」


「……本当に?」


「ごめん、ちょっと待って」


 精一杯背伸びしているリナリアに合わせて、無意識に屈んでいたカーネリアンは、勢いよく姿勢を正した。

 背を反らして、顔も背ける。ついでに片手で己の口も塞いだ。


 目線だけリナリアに戻してみると、少しやりきったという顔をしている。台詞をあてるなら、「勝った!」といった感じだ。

 何となく、この勝負に乗ってみたいカーネリアンは、必死で頭を働かせた。自分で正解しないと負けな気がする。


 リナリアは赤色が好き。

 カーネリアンが好物だと思っている、紅茶が好き。


 リナリアは、昔からずっと、カーネリアンが好き。


 閃くものがあった。口は自然と動いて、答えを導き出す。


「リナリア、実は俺も、青色が好きなんだ」


 なんだ、こんな事だったのか。

 連想していくうちに、なんて簡単な答えなのだろうと、同時に、鈍感と言われても仕方がないとも思った。難しく考えすぎていたらしい。

 解答を聞いたリナリアは、一瞬きょとんとした。それから、カーネリアンの好きな色をいっぱいに見開いて、抱きついてくる。


「私の瞳の色だから?」


 太陽の光が満ちた海の色。冴えた群青の空の色。感情によって見えかたが変わる、深い青。

 リナリアの瞳はよく宝石に例えられた。

 彼女の持つ光彩より美しいものは他に無い。だからカーネリアンは、自分の瞳の色など、気にする事も無かった。


「俺の目って、最近たまに飲む紅茶の色に、似ているかな」


「少し似てる。あの紅茶はね、王都で見掛けてから、ずっと気になっていたの。凄く綺麗な赤色だったから……」


 リナリアが紅茶を目で楽しんでいる時、それは、カーネリアンの瞳の色を思っていたのだろう。


「でもね、カーネリアンの目は、紅茶よりずっと綺麗。宝石みたい。凄く好き」


 それは君の方だ。

 なんて言っても、きっとどちらも譲らないだろうから。

 カーネリアンは、「お揃いだな」と笑っておく事にした。




 〈終わり〉

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