掌中の珠・ありふれた幸せ

 

 結婚して数年経つが、ビオラは、オーキッドの事を、昔のまま呼ぶ事が多い。まだ慣れないのだと言う。兄様と呼ばれるのも嫌いではないが、オーキッドは、関係が変わった事を、名前で実感したいとも思っていた。


「キッド兄様!」


 オーキッドを見つけた時に、嬉しそうに呼ぶのは、昔から変わらない。身重の体で、ビオラはオーキッドの体にしがみつく。彼女はいつも、離されまいとするように、抱きつく時は、強く力を込める。


 絶対に離さないで。そう言われているようで、オーキッドは満ち足りた気分になるのだ。もう離すものか。オーキッドも、妻の髪に頬を寄せた。


「あら、突き放しませんのね?」


 ビオラは、何か思うところがあるようだ。過去の行いを責めるような口調で、オーキッドの背中を、すっと撫でた。


「……突き放した事なんて、無いだろう……」


 彼女には頭が上がらない。この先ずっと、こうやって責められるのだろう。彼女が隣にいるのなら、それも構わないのだが。

 ビオラは気持ち良さそうに目を閉じて、体を預ける。そして、彼女は小さく溜息を吐いた。その口から、非難が漏れるのだろうと、オーキッドは覚悟した。


「受入れてくださるまで、随分時間がかかりましたわ。キッド兄様は、根性が足りないのよ。そんな所も好きですけれど。全部が可愛くて仕方がありませんの」


 ――だから、全部許してあげる。


 ぱちりと目を開けて、彼女がオーキッドを見上げる。髪色と同じ深い紫が、優しく細められた。


「わざわざ、私に見せ付けるために恋人を演じさせた女性の事も、忘れてはいませんけれど。あの方以上にキスしてくれれば、許しますわ」


 ビオラは、オーキッドを沢山許してきた。彼女の提示する条件は、快く引き受けなくてはならないだろう。


 ――全部が可愛くて仕方ないと思っているのは、俺の方だ。


 ビオラが再び目を閉じて、合図をしてきた。オーキッドはそれに従って、彼女の許しを請うのであった。










<番外編・終わり>

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