掌中の珠・オーキッド②
――あのさ、遅過ぎた自覚はあるよ。でも、やっと都合がついたというか、覚悟を決めたんだ。リナリアさん達の、幸せにあてられたというか……。
俺は、自分の事しか考えて無かった。俺がする事は、全部逆効果で、君を傷つけるだけだった。
君の事を、幸せにしたくなったんだ。
俺は君に、求婚するつもりだった。まだ俺を、好きでいてくれるなら……そうしようと、思って……。
ああ、駄目だ。口が動かない。声が出ない。
何て言えばいい? 俺は、君に、何て伝えようと思っていたんだっけ。
「……あのさ」
抱きしめたまま、オーキッドは思い浮かべた言葉を音にしようとした。
「ビオラに、渡そうと思った、婚約指輪……買ってしまったのだけど……ど、どうすればいい? どうしよう? どうすれば、君は幸せになれる……?」
我ながら、何を言っているんだと、オーキッドは思った。彼女に逃げられてしまうような気がして、軽く触れるだけだった腕に、力を入れて、閉じ込める。
聞きたいのは、ビオラの方だろう。突然指輪だの言い出して、困惑するに決まっている。オーキッドは、こんな自分を想定していなかった。
自分はきっと、情けない顔をしている。今は顔を見られたくない――そう思った時、ビオラは顔を半分埋めたまま、上目でオーキッドの表情を窺った。
顔を隠すための腕は、ビオラを捕まえるのに使っている。オーキッドは、完全に見られてしまったと、冷や汗をかいた。
ビオラの目に、期待と不安が見える。揺れていた。オーキッドの言葉の真意を、探ろうとしているようだった。
「ビオラは俺に、どうしてほしい……?」
もはや、男らしく自分の意志を告げる事など出来なくなっている。オーキッドの次の行動は、ビオラの返事次第だった。
そんなの、決まっている。
そんな声が聞こえてきそうだった。
「キッド兄様が、私の夫になってくださるのなら……私は、世界で一番幸せな花嫁になれるわ」
ビオラは、どこか夢見がちな表情で、囁くようにそう言った。
考えていた通りには、ならないものだ。
随分格好のつかないプロポーズだった。
オーキッドは、ビオラにはいくら謝っても、謝り切れないと思った。待たせ過ぎである。絶対に逃げ切るつもりだったというのに、結局自分から捕まえに行ってしまった。オーキッドにとっての障害など、何でもないような事なのだ。決心してしまえば、すぐに解決してしまう程の。
婚期が遅れたと、罵られても仕方が無い。ビオラが結婚できなかったのは、間違いなくオーキッドのせいなのだ。彼がレユシット家に引き取られた時点で、この問題からは、目を背けてはいけなかったのだから。
心無い仕打ちをする使用人も、もういない。居場所もある。許しは得られた。生まれは、ビオラさえ、受入れてくれるのならば、もう、それでいい。
オーキッドは多幸感に包まれた。自分よりももっと、彼女にも感じて欲しい。この先の人生全て、彼女を幸せにするためだけに生きたいとさえ思った。
「父上に、会ってきたよ。報告してきた。もうあの人に遠慮はしない。ビオラ、兄妹じゃなくて、夫婦になろう」
上着を弄り、掌にのる大きさの、小箱を取り出す。オーキッドは、引っ込みのつかない、照れた顔で、質の良いその箱を開けた。指輪を取り出して、ビオラの手を取る。
「ロマンス小説じゃ、ありきたりなんだっけ? こういうの」
オーキッドは、いつかビオラが使った言い回しで、茶目っ気を含めた笑みを浮かべた。
おまけとばかりに、たおやかな貴族令嬢の指先に口付ける。
いつもの調子に戻ってきたが、オーキッドは唇を離したあとで、赤面した。
ビオラの無言が恐ろしかったので、そっと見ると、彼女も顔を真っ赤にしていた。赤い顔同士で向き合うと、ビオラは、涙声で言い返す。
「あら、よくご存知ですのね?」
泣いてはいたが、それは、オーキッドの見たかった笑顔だった。
お互いに照れてしまって、無言で見詰め合っていると、突然、固いものを引きずる音が響いた。
何かと思い、音のした方を見れば、温室風の、ガラス張りの部屋からだった。壁の一部に思われた所が、扉になっていたらしく、ぎぎぎ、と煩く音を立てて、押されている。
オーキッドは、屋敷で十年以上暮らしてきて、そんな仕組みになっているとは、全く気が付いていなかった。
音を鳴らす犯人は、はっきりしている。つい先ほど、ある場所で別れたばかりの美しい男が、錆付いた扉を押し開けていた。
「話は聞かせてもらった」
聞き耳常習犯、グラジオラスだった。
ちなみに、オーキッドが勝手に思っているだけである。
「……水を差さないでよ、兄さん」
何処から聞いていたのか。知りたくもないが、この男の事だから、最初からだろう。
オーキッドが呆れて、やっぱりこうなる……と呟いていると、可愛らしい声がグラジオラスの背後から聞こえてきた。
「あの、私もいます……オーキッドさん……」
「リナリアさん!?」
グラジオラスの後ろから、リナリアがひょっこりと顔を出す。眉を下げて、申し訳無さそうにしているが、好奇心を隠しきれていない。
「ごめんなさい、この部屋から、思いつめた顔のビオラさんが見えたから……お父さんに相談したんです……」
「リナリアに誘われれば、断れまい。おお、オーキッドの照れた顔なんて貴重だな?」
グラジオラスにしては珍しく、人をからかうような笑みを見せた。
この父と娘は、そろって悪友から影響を受けているようである。
「ビオラさん、おめでとうございます! 本当に良かったです……!」
リナリアはビオラに目を向け、祝福の言葉を贈った。
嬉しそうな様子に、ビオラも柔らかい表情で、「ありがとう」と返す。
「いやいやいやいや……普通に聞き耳立てるのやめようよ、恥ずかしいんだけど」
一部始終を、二人ともに見られていたのかと思うと、オーキッドは顔から火が出そうだった。
「兄さんもいつまでにやけているんだ……」
「そうは言うがな、オーキッド。お前達が遅いから、呼びに来たんだ。しかし二人は取り込み中だった。だから待っていただけだ」
「引き返すとかさあ! 別の場所で待つとかさあ! ああ~無性に恥ずかしい! 頼むから二人きりにしてくれ!!」
二人きり、という言葉に、オーキッド以外の三人ともが反応する。それぞれぼそぼそと言い始めた。「さっそく惚気か」「ビオラさん愛されていますね」「あのキッド兄様が……」オーキッドは堪らなくなって、熱さを増すばかりの顔を覆った。
四人でつくはずだった食事の席に、カーネリアンがいた事で、オーキッドは完全に閉口した。何故ここにいるのかと問えば、「俺のいない所でリナリアが笑顔を振りまいているのが面白くないから、早めに切り上げてきた」と言う。大人気ない。あけすけな物言いにも、もう慣れたものだが。
話が収束したかと思えば、カーネリアンも事情を聞いていたらしく、「なるほどね」と言って、にやけている。
食事が進むまで、オーキッドは、ビオラ以外の三人に囃し立てられてしまったのだった。
「……と、まあ、これが六年前の話よ」
両親の馴れ初めよりも、オーキッドとビオラの話が聞きたいと言われたため、ビオラは聞かれるままに話した。
リナリアとカーネリアンの息子である彼は、何故かオーキッドの事を知りたがる。「プロポーズの言葉はなんだったのですか」「二人は昔から好き同士だったのですか」と矢継ぎ早に質問してくるので、結局出会いから全部話す形になってしまった。
「……ビオラさんのお父様は、オーキッドさんの事が嫌いだったのですか」
子供が、少し悲しげに呟いた。質問というよりは、独り言のような声音だ。
「いやそれがね、あの人、性格がジオ兄様と似ているのよ! ジオ兄様だって、特定の人には対応が優しいけど、他の人にはつんとしているじゃない……て、貴方は知らないわよね。ジオ兄様、貴方にでれでれだものね……まあ、そうよ。だから、あの人は結局、素直じゃないだけらしいわ。ずっと床に伏せっているふりして、子供達に見舞いに来させようとしてたんだから! キッド兄様が、結婚のお許しをもらいに行った時、久しぶりに会えたのが嬉しかったらしくて、すぐに許してくれたって言っていたわ。何なのかしらね、あの人、そんなの私だって誤解するわよ! もう! 大体、先は長くないような事言っておいて、今も健在じゃないの。病気かたるのも無理があるわね、本当」
過去の出来事を思い出し、少し声を荒げて、ビオラは不満を口にする。
子供はきょとんとして、「あの……」と、片手を上げた。
生徒を指名する教師のように、ビオラは「はい、なんでしょう」と、子供の発言を促す。
「ビオラさんのお父様って、お元気なんですか……?」
「え? とてもお元気よ。貴方も会った事あるじゃない」
「……?」
難しい問題を解く時の様に、黙ってしまった。どうやら覚えていないらしい。
「生まれたばかりの頃、貴方を抱き上げていたわよ。泣きながらね。三歳くらいの時も、確か会っていたと思うけれど」
「覚えていないです……」
「じゃあ、今度会いに行ってあげて。泣いて喜んでくれるから。素直じゃないのは相変わらずなの。自分からは行けない人なのよ。長年染み付いた癖は、なかなかなおせないみたい」
「はい。あの、ビオラさんも」
「何かしら?」
「旦那さんの事を、兄様、とは呼ばないと思います……癖ですか?」
「……そうね、もう、キッド兄様じゃなくて、ちゃんと呼ばないとね」
「良かった、オーキッドさん気にしていたから……あ、いえ、何でもありません」
子供が最後に、何か呟いていたが、独り言だったようだ。
素直に頷く子供は、ビオラの前では、可愛らしい見栄を張っている。貴族としては普通のことかもしれないが、殊更丁寧な言葉遣いで、失礼がないようにと接しているようだ。
父親の前では、平民も貴族も変わらない。カーネリアンに甘える時は、彼は全てを受入れてもらえると、既に知っているのだ。
抱き上げられて出て行く子供を見て、ビオラは羨ましくなった。
「はやく会いたいわ……」
「俺に?」
いつからいたのか、ビオラの体を、夫が背後から抱き寄せていた。
当たり前に、抱き合える幸せ。
ビオラは、溜息が出るくらい、幸福だった。
「間違ってないけれど、違うわ。早く会いたいのは、貴方の子よ。でも、私の事は、いつも抱きしめに来てくれないと嫌。この子にも、一番に会いに来てね。オーキッド」
愛しい人の子供は、きっと世界で一番、可愛らしいのだろう。
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