高嶺の花・ビオラ十六歳

 


 ビオラ・レユシットは、女学校時代、近隣の学生から交際を申し込まれることがあった。

 貴族も通う名門女学校の在学生では、ビオラの身分が最も高い。学校内でも、その身分と教養の深さ、容姿から、羨望の的となっていたが、学校を出てもそのような眼差しを向けられる。

 凛と澄ませた横顔に、伸ばした背筋。物静かな彼女は、大人数で連れ立って歩く事は少なく、外出時も馬車移動か、徒歩でも護衛を連れていた。何処に居ても近寄りがたい雰囲気で、彼女の周りには、侵しがたい清廉な空気があるようだった。

 それでも、隙をみて、声をかけてくる男性がいる。多くは近くの学校に通う学生だったが、彼らは護衛に阻まれて相手にされないか、幾らも話せないで終わる事が殆どだった。

 教室で読書をしているビオラに、無闇に話しかけてはいけないという暗黙のルールがあった。ビオラに憧れを抱く生徒達は、皆遠巻きに彼女を見つめ、長い髪を耳にかける仕草や、読書中の伏し目、その横顔、本の頁を捲る細い指に見惚れた。

 ビオラ様は今日もお美しい、何の本を読んでいるのかしら、きっと詩集よ、素敵だわ……そんな囁き声が、ビオラの耳にも入る。ビオラはいつも聞こえないふりをしてやり過ごした。


 誰が見ても、ビオラは名門の名に恥じない生粋の令嬢だった。

 それは女学校としてもそうだし、レユシット家としてもそうだ。彼女はどこに出しても恥ずかしくない。レユシットの家名がなくとも、ビオラと婚約を結びたいという貴族は多かっただろう。

 正式な話が来ても、レユシット家は断っていた。周りの友人達が婚約していくなか、ビオラは在学中に婚約者を決めることは無かった。

 あれだけの令嬢なのだから、理想が高いのかもしれない、それでいて、レユシット家に釣り合う人がなかなか見つからないのだろう。そのように噂されていた。

 真実を知るのは、本人のみだ。

 完璧に見えるビオラの、その内面を知る人は少ない。





 レユシット邸で、ビオラは溜息を吐いた。

 学生寮に入ることも可能だが、義務ではない。ビオラは毎日屋敷に帰ってきていた。そうしていた理由も、今では消失してしまったが、寮に自室が無い以上、帰って来るしかない。

 憂い顔のビオラを見て、兄のグラジオラスが声をかける。


「ビオラ、浮かない顔だな」


 ビオラは眉を寄せると、じっとりとした、恨みがましい目でグラジオラスを見上げた。唇の中央を吊り上げて、不服を顕わにする。

 無言で不満を訴えてくる妹に、グラジオラスは苦笑した。


「オーキッドがいないのが寂しいか」


「当たり前です」


 八つ当たりでしかないが、ビオラはきつく言い返す。

 ビオラの義兄、オーキッドが不在であることが、彼女の不機嫌の理由であった。

 寮に入らず、実家から学校に通っていたのは、毎日オーキッドに会いたかったからだ。しかし、そのオーキッドが、商人になると言って家を出てしまった。

 ビオラは最初から最後まで反対した。毎日オーキッドに会いに帰ってくるのだとまで言った。それに対するオーキッドの反応は、「せっかくの学生生活なんだし、寮に入ってみたらいいんじゃない。友達作るのも大事だよ」と、ビオラの気持ちなど、まるで気に留めない様子だった。

 それでは意味が無い。寮が駄目なわけではないが、オーキッドが居ないと駄目なのだ。

 説得も空しく、成人したばかりのオーキッドは家を出て、彼が戻ってきてくれるのを諦めきれないビオラは、寮には入らなかった。

 居ないと分かっていても、もしかしたら……と、淡い期待を胸に帰宅して、毎度落ち込む。

 グラジオラスは、理由など分かりきっているのに、毎回律儀に声をかけるのだ。彼なりの気遣いなのだろう。


 感情を剥き出しにするビオラは、外での彼女とは別人である。彼女は別に内弁慶というわけではない。だた、弁えているだけだ。本人は比較的付き合いやすい性格ではあるが、そのまま素で人と接すると、面倒事も増えるだろうと、ビオラはよく理解していた。取り入りやすいと思われると困る。対処できないわけではないが、一々相手にするのも面倒なのである。


 オーキッドの前で見せる、跳ねるように快活なビオラが、本来の彼女だ。



 ビオラが座るソファの隣に、グラジオラスも腰掛ける。目で兄を追いながら、ビオラは要望を口にした。


「ジオ兄様、キッド兄様を呼び戻して下さらない? 兄様も寂しいでしょう、お二人は親友ですものね」


「私とて、弟には家に居てもらいたいが……あれはのらりくらりとして見せて、その実頑固だからな。いくら説得しても駄目だ。時間をおかないと無理だろう」


「もう、時間ってどれくらいですの? レユシット家の次男が、商人なんてする必要はありませんのに」


「まあ、そうだな……」


 オーキッドの思惑が、グラジオラスには何となく分かっていた。

 恐らく、ビオラが結婚するまで、最低でも婚約しなければ、彼は帰って来ないだろう。

 二人が離れる理由など、何も無い。グラジオラスはそう思うのだが、オーキッドは決して本心を語らず、話を逸らしてしまう。

 ビオラを見れば、オーキッドを好いているのは明らかだ。あの鋭いオーキッドが、それに気付いていないとも思えない。

 ビオラを避けるということは、彼には返す気持ちが無いということだと、グラジオラスは判断した。だが、はっきり拒絶しなければ、ビオラの気持ちが消えてなくなるのを待つのは無謀である。


(難儀だぞ、オーキッド……)


 グラジオラスは、オーキッド以外の男性と寄り添う妹の姿が、どうしても想像できないのであった。






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