42 雑貨屋
暗い話題を忘れるには、ミモザの提案は打ってつけだった。
同性の友人と買い物をすることに、リナリアは多少、浮かれてもいる。
(女の子の友達と出かけるの、初めて……)
リナリアは、使い切った手帳を両手で握りしめ、ミモザの少し後ろを歩く。
「商店街の裏通りに行きましょう。手帳を買うなら雑貨屋さんよね」
リナリアはこくこく、と頷いているのだが、前を向いているミモザには見えない。
声が出せないので、返事がないのは当たり前だが、ミモザは怪訝そうな顔をして振り返った。
「どうして後ろを歩くのよ。隣に来たらいいじゃない」
ミモザは、まるで普段からそうしているかのように、リナリアに対して、自然体だった。
一度友人と認めた相手には、一切気負わず接する質なのだろう。
リナリアからすれば、つい先ほど友人になったと思っているので、ミモザの態度に戸惑う。
だがそれは、嬉しい戸惑いだ。
リナリアはいそいそと、ミモザの隣に並んで、「これでいい?」と言うような目を向けた。
「……リナリア」
ミモザはリナリアの名前を呼んで、軽く溜息をつく。
悪い感情には思えなかったので、リナリアは不思議そうに続きを待った。
「やっぱり何でもないわ……」
ミモザは内心をあえて口にはしなかった。
(喋ることが出来ない分、一々行動が可愛いのよね……。でも、あんまり可愛い可愛い言うのも、どうかと思うし……)
言いかけた事を、リナリアが気にしているようだったので、別の話題を振る。
「リナリアって、昔はそんなんじゃなかったわよね? もっと、こう……何ていうか……」
自分から切り出しておいて何だが、我がままだった、とは言いづらい。
リナリアは、ミモザの言いたいことが分かったようで、苦笑する。
ミモザは隠し事が得意ではなさそうだ。
正直な言葉や感情を向けて来るのが分かるので、リナリアにとっては、非常に話しやすい。
リナリアは、相手にどう思われているのか悩み始めると、どうしても暗い思考にはまってしまう。その点、ミモザと居るのは気が楽だった。
もっとミモザと話したいと思う。
しかし、今は手帳が無い。
リナリアがもどかしい気持ちでいると、ミモザは一瞬、不安げな顔をした。どうやら、気を悪くさせたと思ったらしい。
だがすぐに、言いたいことが言えずに困っているのだという事に気付いてくれた。
「思うように会話が出来ないわね……。でもほら、もうすぐ雑貨屋さんに着くから。手帳が手に入ったら、リナリアの思っていること、たくさん教えてね」
リナリアは、自分よりもほんの少し背が高い、ミモザを見つめる。
今度はちゃんと彼女に見えるように、大きく頷いた。
雑貨屋には、女性が好みそうな可愛らしい小物が細々と置かれた一角があり、リナリアの目を楽しませた。
装飾品にも引き付けられたが、質素倹約を心がけているリナリアは、それらを見るだけにして、目的の物を探す。
文具が並べられた場所に、大小様々な帳面を見付けた。
目当ての手帳が目に付いたので、手に持ってみると、どうやら大きさも手頃である。
布で作られた、淡い紫色の表紙の隅に、小さな紅い花が咲いている。
(綺麗な刺繍……)
リナリアは、赤色が好きだ。
赤い実を煮詰めたジャムのような、深い色。夕空に混ざり合う、淡い色。この刺繍の花のような、鮮やかな色。
赤は綺麗な色だと、リナリアは思う。
(でも、一番綺麗なのは……)
また、考えてしまう。
目に映るもの全てが、引き金になり、忘れていることが難しい。
リナリアは思考を散らすように、買い物のことだけを考えた。
手帳は、紙の束に、布地のカバーをかけているため、取り外して何度でも使えるだろうと思う。
次に手帳を使い切ったら、今度は中に入れる冊子だけ買えばいい。
リナリアは購入を決め、ミモザも何点か品物を買って雑貨屋を出た。
まだ話し足りない二人は、自然な流れで公園に向かう。
示し合わせたわけでもなく、何となく歩いてきただけだったが、どちらからも異論はなかった。
歩きながらも、ミモザは話しかけてきたが、リナリアが律儀に返事を書こうとすると、それを制して、受け答えが難しい事は言わないようにしてくれた。
リナリアはただ頷くだけで良かった。
「ところで、カーネリアンのどこが好きなの?」
公園で腰を落ち着けると、ミモザはやっと本題とばかりに、リナリアに手帳を広げさせた。
考えないようにしていたことを聞かれ、一瞬動きが止まる。
リナリアの返事を待たずに、ミモザは矢継ぎ早に聞いてくる。
「カーネリアンのことがお気に入りだっていうのは、まあ何となく知っていたけど、リナリアは恋しているわけでしょ? いつからなの? 気になって仕方がないのよ」
ミモザの顔には、嘘偽りなく、「気になります」と表れていた。
リナリアは迷ったが、友人の期待を裏切りたくなかったため、やがておずおずと書き記した。
心の奥底では、誰かにこんな話を聞いてもらいたい、という気持ちもあった。
つい先日、隠さなければならないと決めたのに、やはり、一人で押しとどめておくのはつらいと思う。
信頼できる誰かに、知っていて欲しかったのだ。
カーネリアンのことを、どうして意識するようになったのか、リナリアにもよく分からない。
初めて目にした日から、彼の事が気になっていた。
気さくで、誰にでも優しいカーネリアン。
彼は、リナリアにだけは、少しそっけないけれど。
目に見えて好意を示してはくれないが、邪険に扱われたことはなかった。
カーネリアンは人気者で、彼の周りには人が集まる。
だが、リナリアは皆と一緒になって、カーネリアンの側に行きたいとは思わなかった。
カーネリアンただ一人だけ、リナリアのところに来てほしいと思っていた。
(私は……)
文字を書く手が止まる。
この恋が始まったのは、いつからだろう。
リナリアが書いた始めの一文を、ミモザも目で追った。
≪私は、初めて会った時からずっと、カーネリアンのことが好き≫
きっと、最初からだった。
リナリアは時々止まりながらも、最初のページを文字で埋めていく。
まるで恋文である。
書かせておきながら、ミモザは照れくさくなった。
(淡々と……随分書くわね)
文字の羅列を見れば、思いの程は一目瞭然だ。
一体どれだけ好きなのかと、何とも言えない気持ちで見守る。
リナリアの新しい手帳は、カーネリアンへの恋心が最初に綴られることになった。
ミモザが「それから、どうしたの?」「その時、カーネリアンは何て?」と、たまにする質問に、リナリアが無心に答えたために、内容は大分赤裸々に書かれている。
(何か、楽しくなってきた)
ミモザは、リナリアの本音をもっと聞き出そうとした。
リナリアがカーネリアンへ抱く恋心が伝わってくるほど、ランスに対する恋愛的な興味は無いようだと、安心した。
それに、恋愛の話をするのは楽しいものだ。
ミモザもそうだが、多分リナリアも、まだ恋愛に憧れを抱いている時期で、好きな人のことを考えるだけで、一喜一憂する。
街一番の美人で、歌声は天使のようなリナリアが、人並みに恋に悩んでいる様は、見ていると親近感がわいた。
遠巻きに眺めていた存在が、自分と同じような事で悩んでいる事を知って、ミモザは知らず張っていた気が抜けていくのを感じる。
(リナリアも、同じなんだわ)
早速一ページまるごと使った手帳には、一人に恋する気持ちが綴られた。
他の人との会話で使う際には、ページを変えなければいけないなと、ミモザは思った。
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