41 使い切った手帳

 

 ミモザがリナリアと会話したことは、ほとんどないと言っていい。

 ミモザはリナリアのことを、遠くから見ているだけであったし、リナリアもカーネリアンしか見ていなかった。

 ミモザは久しぶりに間近で見る美少女に、どぎまぎとする。


(近くで見るとより一層美人よね……)


 それに、状況はわからないが、リナリアが泣いている。

 ミモザはリナリアの手を取り、立ち上がらせた。


「リナリア、大丈夫?」


 もう一度、怪我が無いか確認する。

 普段なら気安く話しかけようとは思わないが、驚きすぎたのもあり、ミモザは気負わず声をかけていた。

 リナリアは小さく頷いたが、泣き止まない。

 明らかに、転んだせいではないような気がした。


「何かあったの?」


 ミモザがそう聞いたとき、カーネリアンの居る病室から物音が聞こえた。恐らく、自分達の話し声に気付いたフリージアが、椅子から立ち上がった音だろう。

 物音に反応するように、リナリアが肩を揺らした。

 慌てだしたリナリアを見て、ミモザは察した。


(あ、もしかして、目的は同じなのかしら)


 ミモザもカーネリアンの見舞いに来たのである。

 何か病室に入りづらい事情でもあったのかと考えて、一つ思い当たった。


(やだ、フリージアったら、カーネリアンといちゃついてたんじゃないでしょうね!)


 二人の逢瀬を目撃してしまったために、リナリアは取り乱しているのではないだろうか。


(リナリアは純情なのね)


 だがいくら初心なリナリアとはいえ、泣くほどとなると、病室内ではよっぽどのことをしていたのでは……とあらぬ想像をしてしまう。


「もう、場所を考えるべきよね。リナリア、気を遣わなくていいから、邪魔してやりましょう」


 ミモザが軽く手を引くと、リナリアは激しく抵抗した。

 首を振って拒否の意を示し、遠ざかろうとする。

 ただならぬ態度に困惑して、ミモザが手を離すと、リナリアはじりじりと後ずさる。彼女はそのまま体の向きを変えて、立ち去ろうとした。


「あ、ちょっと!」


 ミモザが呼び止めても、リナリアはどんどん病室から遠ざかっていく。

 事情が違ったのだろうか。気に掛かったミモザは、リナリアについていくことにした。


(どうしたっていうのよ……)


 リナリアは病院の廊下を、とぼとぼと進む。

 急いで問い詰めるものでもないので、ミモザはリナリアが立ち止まるまで、ゆっくりと後ろについて歩いた。

 進行方向からして恐らく、この時間に出入りが自由になっている中庭へ向かうつもりだろう。


(あんなリナリア、初めて見たわ)


 ミモザは、リナリアのことをよくは知らない。

 噂ばかり聞いて、本人と実際に接する機会は少なく、リナリアがどのようなことを好むのかも、本当はどういう性格をしているのかも、想像するしかなかった。

 リナリアの長い髪を見ながら、リナリアのことを考えた。

 何故泣いていたのだろう。

 先ほど、嫌がっているように見えたのは、病室に入る事ではなくて、実はミモザが嫌だったのではないか、という考えに至った。

 思い当たる節はある。ミモザは、リナリアに嫌われる理由を自覚していた。

 無かったことにした訳ではない。

 リナリアが呪いを受けたことを、最初に広めてしまったのはミモザだ。呪いの件はいずれ露見しただろうが、それでも噂の発端になったのは自分なのである。

 呪いだなんて、隠したいに決まっているのに。

 気分が暗くなった。

 ミモザは、リナリアの気持ちを深く考えたことは無かったが、恨まれているのかもしれないと思うと、自分の仕出かした事を後悔した。

 ミモザも、最初はリナリアと仲良くしたかったのだ。

 面と向かって嫌いだと伝えられるのは、嫌だと思った。


 中庭につくと、リナリアが振り返った。

 ミモザがついて来ていることは、分かっていたようだ。

 リナリアが緊張した面持ちで見てくるので、居た堪れなくなったミモザは、中庭に置かれた木の椅子を指し示した。


「取り敢えず、座らない?」







 リナリアは、泣き顔を見られたことが、単純に恥ずかしかった。

 ぶつかって申し訳ないとも思ったが、ろくに謝罪もせずに逃げてきてしまったので、それも気まずい。

 ミモザは気遣うように、リナリアに事情を聞いてきた。

 最近は何だか、誰もが優しい気がして、リナリアは後で反動がくるのではないかと、密かに怯えた。







 リナリアは首を縦か横に振るだけなので、ミモザはある程度当たりをつけて尋ねなければならなかった。

 だが冷静に考えれば、正解に辿り着くことはそんなに難しいことではない。

 ミモザは質問を重ねていくうち、正しくリナリアの心情を理解した。


(まさかの、三角関係なの……?)


 遠目から見るだけでは、リナリアはツンと澄ました美人に見えたので、カーネリアンに恋愛感情を持っているとは思っていなかった。

 リナリアほどの美人なら、好意を持った相手がいれば、すぐものにしているだろうと思ったのだ。

 二人が恋人同士では無いという事を知っていたので、ミモザは勘違いしていた。


 リナリアは、出来れば気付かれないようにしたかったようだが、ミモザが的確に質問していくと、結局観念したように答えてくれた。


(なんて言えば良いのかしら……)


 フリージアを応援している手前、励ましづらい。

 ミモザはフリージアとカーネリアンが両思いだと思っている。つまりリナリアは片想いなのだ。急に可哀想になる。

 場を持たせるような気持ちで、ミモザはずっと心に支えていたことを吐露した。


「リナリアは、私のこと、恨んでいる……?」


 リナリアは何のことか分からなかったらしく、首を傾げてミモザを見つめ返してくる。


「あのね、私、ランスのことが好きなんだけど……」







 リナリアは突然の告白に驚き、そして高揚した。

 これは、同世代の女の子たちがする、恋話というものではないか。

 思いがけずそれに加わることが出来て、少し嬉しくなる。

 思わず身を乗り出すように、耳を傾けた。


 ミモザは、あの日のことを語った。

 リナリアが神仕えから聞かされた話を、盗み聞いていたこと、そして、それを噂好きの母に話してしまったこと。

 ミモザの中には、ランスの羨望を集めるリナリアへの、嫉妬があったこと。

 本当は、リナリアと仲良くなりたい気持ちがあって、許されたいから、今話しているのだということを。

 話しているうちに、ミモザはすっかり落ち込んでしまった。


「ごめんね……身勝手だよね……」


 リナリアは穏やかな気持ちでミモザの話を聞いていた。

 ミモザのことを恨んでなどいないし、自分以外の誰が悪いという気持ちも無い。

 怒りなどは微塵もなく、あるのはミモザへの尊敬と、仲良くなりたいと言ってくれたことに対する喜びだった。


(ミモザは、すごい)


 リナリアは、フリージアから逃げてばかりだ。

 自分の非を認めて、素直に謝罪出来るミモザを、立派だと思った。

 リナリアはその気持ちを、手帳に綴る。その文字を、ミモザは横から追っていた。


「……リナリア、この手帳、もう文字でいっぱいね。いつもこんな風に会話していたの?」


 こくりと頷くリナリアを見て、ミモザは微笑を浮かべて、「可愛い」と呟いた。


「綺麗な字ね……」


 二人の間の空気は、親しげな雰囲気に変わっていた。

 ミモザに書くものを貸して欲しいと頼まれ、リナリアはすぐに自分が使っていた筆記具を手渡す。

 手帳は、あと一行で埋まってしまうところだった。

 ミモザはそこに、一文書き足して、ページを埋める。


「使い切ってしまったわ。リナリア、これから、貴女の新しい手帳を買いに行かない? 用事があれば別だけど……」


 ミモザの提案に、リナリアは顔を綻ばせた。







(可愛いわね……こんな笑顔を向けられたら、カーネリアンなんてコロッと落ちてしまうわよ……)


 フリージアのことを思うと、複雑だった。


「リナリア……私ね、フリージアのことを応援するって言ってしまったの。貴女にも都合のいいこと、言いたくはないわ。だけど、悩みなら聞くわよ。泣くほど思いつめる前に相談して。フリージアにライバル宣言してみるのも、いいかもしれないわよ?」


 ミモザは正直な気持ちを告げた。

 カーネリアンとフリージアが、既に恋人同士なら、かき乱すのは良くないと思う。

 どうしても諦めがつかないなら、フリージアに正面から気持をぶつけるのも、一つの方法だ。

 リナリアに新しい恋が見つかれば、それが一番いいのだが。







 リナリアは神妙に頷く。

 真剣に考えてくれるミモザの気持ちを、有難いと思った。

 同時に、もっと早く、声が出なくなる前に、話しておけばよかったとも思う。

 カーネリアンのことしか考えていなかったのだから、友人が出来なくても当然だ。


「じゃあ話がまとまったところで、行きましょうか。病室には寄りたい?」


 リナリアが緩く首を横に振ると、ミモザは「そう」とだけ言った。

 二人で中庭を出て歩きながら、リナリアはそっと、手帳の文字を確認した。

 一つだけ筆跡の違う字で、≪友達になりましょう≫と書いてある。


 リナリアは大切に、手帳を閉じた。




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