39 可愛い姪

 

 グラジオラスへの苦手意識は、もうほとんど消えていた。

 リナリアは腕を弛め、顔をあげる。

 グラジオラスはまだ濡れている瞳で、リナリアを見つめていた。







(思わず抱き締めてしまった……)


 そう思ったグラジオラスは、次にどうすればいいか分からないでいた。

 意外にもリナリアは離れようとしなかったので、今も至近距離で見つめあったままだ。


 グラジオラスの戸惑いを感じ取ったらしいリナリアは、控え目に微笑んでくれた。

 それだけで良かった。


 会話が無くても、二人の心の距離は同じだと、お互いが理解できたから。







「アザレアは、どんな母親だった?」


 ガラス張りの部屋にある椅子に、二人で並んで腰掛ける。

 グラジオラスから、ぽつりと、母の事を聞いてきた。

 一度聞きだすと、とめどなく溢れてくるようだった。

 彼の知らない、リナリアが知る、母親としてのアザレアの事。

 彼に乞われるがまま、母の事を話した。

 とはいえ、リナリアは筆談なので、普通に喋るよりも時間がかかる。

 それでも父は、根気強く、いつまででも待っていてくれた。

 グラジオラスは、母の事だけではなく、リナリア自身がどう過ごしてきたのかも知りたがった。

 自分自身を見てもらえることを、リナリアは嬉しく思う。

 彼の話も少しずつ聞いた。

 しかし、グラジオラスは自分のことを話すよりも、リナリアの話を優先させたので、まだ多くは知ることが出来なかった。



 それからは、驚くほど早く、日は過ぎた。

 既にリナリアは、グラジオラスを父と認め、家族として心を開いている。

 とても温かい気持ちだった。


 瞬く間に滞在最終日がやってきて、その頃には屋敷の人達とも随分親しくなっていた。

 グラジオラスは言わずもがな、世話係の少女は特に、リナリアが帰るのを惜しんでくれた。


「リナリア様! また、すぐ戻って来て下さいね!!」


 すぐには無理だと思ったが、気持ちは嬉しい。

 意外だったのが、グラジオラスの妹の、ビオラの反応だ。


「ジオ兄様のあんな笑顔、かつてないわよ? 貴女って本当にすごいわ、リナリア!」


 リナリアのことを、大変好意的に捉えてくれていたようである。

 初対面の時は、オーキッドの婚約者だと誤解されたこともあり、騒がしかった。仲良く出来ないかもしれない……と密かに思っていたのは秘密だ。

 ビオラの様子に、オーキッドは、「俺が彼女と打ち解けた時と、パターンが似ているよ」とリナリアにだけ呟いた。

 一緒に育った兄妹なのに、打ち解けたとはどういうことかと、少し疑問に思ったが、オーキッドは含みのある笑みを見せただけだった。


 隣街に戻る際は、オーキッドが同行する。

 父は名残惜しげに、馬車に乗り込むリナリアの手を握った。


「リナリア、文通しよう」


 父があまりに真剣に告げるものだから、何だか可笑しくて、笑ってしまった。

 リナリアは笑顔のまま頷く。

 そして、沢山の人に見送られながら、レユシット邸を後にした。



 馬車に揺られながら、行きとは違い、リナリアは窓の景色を眺めた。


(楽しかった……)


 後ろ向きな気持ちで行ったにも関わらず、楽しい旅行になってしまった。

 呪われた身であることを、忘れそうになる。

 今回のことで色々と考えたリナリアは、決心していた。


(近いうち、あの街を出よう)



 帰りは街まで眠らずに過ごしたので、時間が長く感じた。

 馬車が止まり、見慣れた景色が窓の外に広がる。

 神様の恩恵を受ける街に、帰ってきた。


「俺はこのまま、王都に戻るよ」


 御者が扉を開けた際、オーキッドが言う。

 御者に手を貸され、頭を下げたリナリアは、オーキッドを振り返る。馬車から降りたのはリナリアだけだった。

 オーキッドは真面目な顔で、感謝の言葉を告げてきた。


「本当にありがとう、リナリアさん。いつでも歓迎するから、是非また、レユシット邸へ」


 オーキッドを見つめながら、リナリアは思う。

 彼とも沢山話をして、随分親しくなったのに、謎が多いままだ。

 まだまだ、言い足りないのだ。

 リナリアは言いたい事を急いで手帳に書きはじめた。オーキッドは律儀に待っている。

 少ししてオーキッドに見せると、彼はそれを受け取った。

 こう書いてある。


≪今度は、オーキッドさんのことも沢山教えてください。 ビオラさんとのこととかも≫


 オーキッドは僅かに目を丸くして、何処か複雑そうに、苦笑した。


「そうだね。俺も、リナリアさんに聞いてほしいかな」


 オーキッドには、感謝の気持ちで一杯だった。

 リナリアは背伸びして、オーキッドの体に、軽く腕を回した。

 グラジオラスが父ならば、オーキッドも家族だ。これくらいは許されるだろう。

 一度、ぎゅっと力を入れて抱き締める。

 大人しく、されるがままの彼が呟いた。


「……可愛い姪だなあ」


 オーキッドも一度抱擁を返してから、体を離した。

 リナリアと顔を合わせて、彼は破顔する。

 それから、少し眉を下げた。


「別れが惜しまれるよ……」


 オーキッドは囁くように言うので、心底寂しげに聞こえる。

 でも本当は、またすぐに会えると思っているようにも感じる。

 今度はリナリアが満面の笑みを見せた。


 "ありがとう"

 "またね"


 リナリアの唇の動きを正確に読みとったオーキッドは、全く同じ言葉を告げて、今度こそ二人は笑顔で別れた。



  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る