18 アザレアの死

 

 何日も目覚めない患者が、白い病室にひっそりと横たわっている。

 傍らにいる美しい少女の母親だ。

 少女は十四歳になったばかり。

 毎日通って、顔を見に来るが、母は一向に目を開けてくれない。

 母に触れる。

 覆い被さるようにして、抱きついた。

 温もりがある。

 少女は声を出せないまま、泣いた。


 体はまだ温かいのに。


 心臓の音がしなかったのだ。



 ノックの音とともに、部屋に医者が入ってくる。

 目覚めないまま、母の体は衰弱していった。

 そして光の差し込む朝、穏やかに永遠の眠りについた。

 急な別れではないのかもしれない。

 覚悟はしておいた方がいいと、言われてはいた。

 最後の会話も思い出せない。

 何でもない一日で、記憶にも残っていない。

 突然倒れて、それきりだ。







 リナリアの母が死んだのは、病室での一件から一月ほど後のことだった。

 リナリアが病室で歌った日から、ランスは病院での出来事を積極的に触れ回っている。

 その事で、今では少しずつ、リナリアへの風当たりが緩和されてきていた。

 街の住人のなかには、リナリアにきつく当たったことを後悔する者もいたようだが、納得できずに、リナリアへの反抗心を抱く人も少なくなかった。

 加護が失われていなくても、呪い持ちであることには変わりないのだ。


 カーネリアンは誰とでもそつなく付き合うが、ランスの場合は歳上によく好かれる。

 彼が一生懸命、リナリアの評判を良くしようとするので、年配の人達は段々ほだされていった。

「ランスが言うなら、噂ほど悪い子でもないのかも」といったところだ。

 少数派だが、「見た目が綺麗だからって、ランスをたぶらかして!」と思う人もいる。

 どちらにせよ、状況は少しずつ変わってきていた。


 そんな、リナリアのために走り回るランスを、ミモザは遠くから見つめる。

 出来心で、呪いの事を母に言ってしまったが、ミモザの思うようにはならなかった。

 リナリアから、一番遠ざけたかった人は、リナリアを避けるどころか、味方になっている。

 やるせない気持ちになってしまう。

 無意味なことだったと後悔したところで、どうにもならなかった。


 リナリアの母親が亡くなったことは、人々の同情を誘った。

 リナリアが、母の亡骸にすがって咽び泣く姿は、これ以上彼女に何も強いてはいけないという気持ちにさせた。

 もともと、リナリアは、人前で泣いたりしなかったのだが、最近は泣いてばかりいる。

 昔は強気で、自信に溢れているように見えたのに……と、実際は内面が現れるようになっただけなのだが、街の住人は、リナリアがすっかり反省し、改心したとみなした。







 遺体が運ばれていく様子を眺めている。

 最後まで見つめて、立ち尽くすリナリアは、感情が抜け落ちような気持ちだった。

 母親がリナリアの歌を聞くことは、二度とない。

 何の音も耳に入らないまま、リナリアは歩き出した。

 カーネリアンは家まで送ってくれたが、彼は一言も喋らない。

 空虚なようで、重苦しい感覚がリナリアにまとわりつく。

 足下から絡み付いて、動けなくされる。

 もう家は目の前だが、どうしても足が重たく感じる。

 きっと家のなかは薄暗くて、今のリナリアにとっては、凍えそうに寒いだろう。

 この先もずっとそうだ。

 今日から誰もいないのだから。

 立ち止まったリナリアに合わせて、カーネリアンも歩くのをやめた。

 これも願望かもしれなかったが、心配そうにリナリアを見ている気がした。


 カーネリアンは、いつまで一緒に居てくれるのだろう。

 彼まで離れていってしまったら……想像して、また喉の奥が痛んだ。


 部屋で一人きりになった時、リナリアはもう一度泣いた。



 一人で暮らし始めたリナリアは、教会で歌うようになった。

 神様に祈るように、母を思うように、教会へ足を運んだ。

 歌声は悲しみに包まれていたが、以前よりも深みを増し、人々は天使の美声に再び心奪われる。

 毎日ではないが、教会で歌う日々は続く。

 リナリアの新しい日常の始まりだった。






 ※

 賑わう商店街で、王都からきた商人は噂話を聞いた。

 この小さな街には、美しい歌姫がいるらしい。

 街の住人で彼女を知らない人はいなかった。

 教会で歌う彼女は、とても無口で、人と話さないという。

 愛想がないというよりは、控えめという印象だ。


 商人は呪いや加護の件の詳細は知らない。


 もともと、口数が少ない人なのだろう、と思う。

 噂が独り歩きしているだけで、実際は大したことはないのだろうと、あたりをつける。商売をしているとよくあることだ。

 商人は王都を拠点としているので、美しい女性も数多く見てきたし、時に話題となる歌姫も知っている。

 流行は移ろうもので、長く人々の話にのぼる歌姫にはあまり出会わない。

 小さい街であるし、今だけの華だろう。


 最初は話半分で聞き流していた。

 ただ、誰もが歌姫の話をするので、少しだけ興味が湧いたのだ。

 歌姫の特徴で、亜麻色の髪と、青の瞳というところが気になった。

 商人の身近にも、同じ色彩を持つ人が居るからだ。

 関係があるとは思わないが、何となく見てみようという気持ちにはなる。


 商人の名は、オーキッド・レユシットという。

 こうして商人をやっているが、家名があるのは、ある程度の身分があるということだ。

 オーキッドが思い浮かべるのは、彼の兄である。

 青年というよりは、中年寄りの、いかにも貴族然とした、眉目秀麗な男性だ。


(まあ、あの人並みの美形は、そうそういないだろうけどな……)


 オーキッドは道行く人から場所を聞き、ゆったりとした足取りで歩き出す。

 向かう先は、噂の歌姫がいるという、教会だ。





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