地下の世界のお姫様
グラウンドでの騒動の真っ最中、フィーアは何処かへ連れ去られたかと思うと、途中で地面に降ろされたと分かった。
学園にある図書館。その入り口の手前で降ろされたらしく、両手を魔術で縛られたまま中へと連れていかれる。
「……私をどうするつもり?」
ただ黙って連れていかれることに納得いかず、つい尖った口調で問いただす。自分が人質だと理解しているにもかかわらず。
しかしローゼンは歩みを止めず、ただ黙ったままで振り向こうとしない。
「何とか言いなさいよ。学園を裏切り、皆を巻き添えにしたのは何で? どうして私なんかを狙うのよ!?」
ピタリと、フィーアの声に反応したようで足を止める。その後ろ姿は泣いているようにも見え、笑っているようにも見える。
だが、突然ローゼンはフィーアの方へと振り返ると片膝を着いて頭を伏せる。
「申し訳ございません――ですがこれは全て、姫様のためなのですッ!」
「…………姫様? え? もしかして私の事を言っているの?」
「あなた以外何処にいるというのですか!? 地下の王の姫君!」
「は、はぁぁ? 何言っているのよ!? 私が姫って何かの間違いじゃないの!?」
突然の事に取り乱す。自分が姫? しかもここではなく、地下の姫といったのか?
そんなこと信じることが出来る訳もない。今までフィーアは地上で母親と暮らしてきた。その記憶があるというのに、地下の姫だといわれても信用に値しない言葉だ。
「あぁ……やはりお忘れのようなのですね。ここで生きてしまった弊害というものでしょう。でももう大丈夫です。すぐにまた思い出すことでしょう」
だがフィーアの声は届いていないらしく、ローゼンはただウットリと自分に酔い、フィーアの髪を撫でた。
それは本当にフィーアの事を想っているような仕草。しかし何も分からないフィーアにとってはただただその手が気色悪く感じるだけであり、頭を振るって払いのける。
「悪いけどそんな覚えはないし、思い出したくもないわよ!」
魔素を込めて捕縛の魔術を破壊する。両腕が解放された瞬間、すぐさま『コンセントレーション』を起動してローゼンへと拳を叩きつけようとする。
「はぁ……姫様とは言え仕方ないですわね。少しお痛が過ぎるようですわよ?」
しかし目の前に複数の穴が出現。フィーアが突き出した拳は穴の中から現れた異形な腕によって阻まれる。
異形な腕は大きさが人を簡単に掴めるほど。形は禍々しく、今まで見たことのない性質で出来ていると思われる。
驚く間もなく、フィーアは異形な腕一撃を防がれる。腕の指による一撃が来るが、身をよじって反転。咄嗟の事で受け身も取れず、地面へと叩きつけられる。苦悶の声を上げつつも、危険を察知して図書館の奥へと飛びのく。
直後、上空から現れた腕がフィーアを掴もうと覆いかぶさってくる。着地した瞬間、猛スピードで横っ飛びすることで避けることに成功する。
とはいえ完全に防戦一方。フィーアはローゼンの不可解な攻撃を避けるだけで精一杯である。あの穴から現れる異形な腕は、魔人の力量を超えており、一度捕まったら逃げられないだろう。
そうするとやることは単純。あの穴を使役しているローゼン自体を行動不能にすればいいだけの話。
「でも、私が使える魔術なんてたかがしれているし……」
フィーアが使える魔術はほぼ無いといってもいい。身体強化する『コンセントレーション』が第一で、もう一つは――
「――シルファ、ごめん。使うなって言われたけど、あの魔術を使わないとマズいかもしれない……」
脳裏に浮かんだのはシルファから禁じられた魔術。詠唱は全部暗記してあるため使用は可能。後は隙さえ見つけられれば発動できるのだが、如何せん威力が高すぎる。当たったらローゼンがどうなるかすらも正直分からないほどに。
だけど迷っている暇はない。今こうしている間にも学園内では魔人たちが溢れかえっている。全ての元凶であるローゼンを何とかすれば、魔人の出現も収まるかもしれない。
「姫様、私はあなたを傷つけたくはありません。どうか抵抗などせず、私に着いて来て下さりませんか?」
「あんな気持ち悪い腕をけしかけておいて、よくそんなことを言えるわね。それにそもそも私は姫様じゃないっての! そんな柄でもないし!」
罵倒しつつ、思考はクリアに。冷静に考えた結果、一度距離を置くことにし、図書館内を一気に駆け上がる。最上階まで到達し、一息つこうとするも、既に目の前には穴から現れた異形な腕が待ち構えていた。
「くっ! 『赤説はここにありて、赤き蛇よ、彼の者を捕縛して』!」
咄嗟に詠唱し、通常の魔術を発動させようとするも、やはりというか魔素を込めすぎて不発。その場でボン、と軽く爆発が発生するだけに留まる。
完全に無防備になったフィーアの身体に、薙ぎ払われた腕が叩きこまれる。
壁に激突し、一瞬だけ意識が遠のく。が、すぐに視界が回復し、目の前の状況を理解する。
左右から襲い掛かる異形の腕。フィーアを捉えようと指をパッカリと開いている。
左右同時の攻撃。避ける場所はほぼないと一見思えるが、実は単純な場所こそが狙い目なのだ。
「本体ががらあきよ!」
フィーアが選択したのは前進。両腕が出現している穴の中央目掛けて突進する。
そしてその中央に居るローゼン目掛けて疾走。最上階に居座るローゼン目掛けて拳を振るう。
「誰が両腕だけだといったかしら?」
フッと、頭上が暗くなる。上空を仰ぐとそこには先ほど同じ穴が現れており、中から異形な足が出現する。
異形な足はフィーアの身体を最上階から一階へと叩きつける。叩きつけられた衝撃が後から追って発生し、図書館内の書籍がバラバラと落ち、辺りに粉塵が舞う。
「――ちょっとやりすぎてしまったかしら? おてんばな姫様とは言えども、ここまでやっても大丈夫だったかしら……」
少し不安そうな表情で粉塵が舞う方向を見やるローゼン。その様子は本当にフィーアの容態を案じているようではあったが、少し異様な感触も混じる。
だが、フィーアはその感情さえをも利用する。
「ええ、ちょっとやり過ぎよあなた!」
粉塵の中から突如として現れるフィーア。その姿をローゼンが認識したのは目の前に現れた時、すなわち完全にフィーアの間合いであるときだ。
「ハアアァァ――ッッ!!」
接近した勢いを殺さず、そのまま引き絞っていた拳を胴体目掛けて打ち抜く。
打ち抜いた拳は衝撃を背面へと飛ばす。その衝撃はローゼンの身体を軽々と吹き飛ばし、図書館の壁へと叩きつける。
「全く、私じゃなかった死んでたわよ!」
上空からの一撃は完全に意表を突かれていた。が、フィーアは地面に衝突する直前に全力の一撃を地面へと叩きつけ、衝撃を相殺したのだ。
流石に無傷とは言わないが、すぐに動ける程度の軽傷で済んだ。それがすぐさま反撃することが出来た理由なのである。
さらにローゼンの姿を認識する前に、止めと言わんばかりの魔術を叩きこもうとする。それはフィーアが今使える中の魔術で最強の威力を誇る、あの魔術。
「これで終わりよ! 『黒説はここにありて、滅殺の槍を、顕現せし――」
「素晴らしい奇襲ですわ。でも少し遅いですわよ?」
構えて詠唱をしている最中、突如正面から凛とした声が響く。
その言葉を認識する前に、フィーアは何かに締め付けられるような感覚を受けた。万力のような何かに抑えられ、閉めつぶされるような感覚。
数刻して、先ほどの異形な腕によって鷲掴みにされているとフィーアは理解した。
「流石にその詠唱は長すぎるわ。――まぁ姫様が使える魔術は限定されているから、仕方ないといえばそれまでですが」
つかつかと歩み寄ってくるローゼンは傷一つもなしで悠々と立っている。その力量の差にフィーアは悔しく、涙が溢れそうになる。
だがローゼンはその涙の意図をわかっておらず、指で掬い取ると妖艶な笑みで呟く。
「大丈夫です、姫様。すぐにあなたの記憶も元に戻して差し上げます。――ですからどうか、しばしの間お眠りになって下さい」
異形な腕がさらに締め付けられる。息苦しくなり、次第に意識が薄れて行く。やがてフィーアは意識を手放し、視界が真っ暗になっていった。
最後に思い描いていたのは、心配そうにこちらを見つめるルビカと、やれやれといった様子で呆れているシルファの顔であった。
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