第3話 放擲
こうしてバスジャックが不幸にも昇天した以上、マヨネーズ撲滅という大義を果たすこと叶わなくなったわけなので、私は当初の予定どおりに総合病院に行くことにし、プルプルってる運転手に言った。
「私、総合病院に行きたいです」
「ふんぢゃらえめだこれら」
運転手は快諾してくれた。
人間は死ぬ、簡単に死ぬ、生きていても死ぬ、大切なものを落っことしてしまったとき、人間は死んでしまうんだ、だから大切なものを抱えたまま死ねたバスジャックはもしかしたら幸福だったのかもしれない。
「ねえ、運転手さん、幸福ってなんでしょうね」
「あびゃびゃびゃびゃ、びゃば!」
全くの同感だった、人生というくそ長ったらしい一本道に見える逃げ水こそが幸福なのだ。
総合病院の前でバスが停まるので、私は行かなくてはならないが、それってつまり運転手とはもう二度会うことはないだろうってことで、たとえどんなに喜ばしい偶然でも終わってしまうってことで、なんだかとってもとってもなって、私は何故だか涙してしまった。
「思うにそれはね、悲しいってことだよ」運転手がハードボイルドな所作で煙草に火をつける。「君はいつだって笑っていいし、泣いたっていい。いいんだ」
「いいのですか?」
「いいよ。感情に許可はいらないんだ」
どうしてだか救われたような気分になったので、もしかして私のような人間でも、社会貢献とか野良猫レベルな私でも笑ったり泣いたりしていいんだ、いいんだね、ああ、見て、お空が青くてとっても綺麗よ。
そうして私は総合病院で検査してもらおうと受付で保険証を出すと、受付のおばさんが尋ねるのだ。
“Would you like beef or chicken?”
「いいえ、ケフィアです」
「それではアンケートを記入して、三階でお待ちください」
「わかりました」
私は性癖に関する詳細なアンケートを記入して、アンケートをおばさんに出して、金属バットを振り回しながら三階に行って、廊下に並んだ椅子の死体に座って自分の名前が呼ばれるのを待つと、ほどなくして名前が呼ばれたので、とうとう医師と邂逅したたたた!
「今日はどうなさいましたか?」
「レイプされて処女を失ってしまいました、色々と痛いです」
「なるほどですね、それは死ねば治ります。毒薬出しておきますね」
毒薬!
そう、人生に伴う問題の最良の特効薬こそ死である、が、色々と準備やコストがいるのでもっと温存療法を試みたかった。
ただ、忘れないのでほしいのは、死にたいってのが生きたいって思いの裏返しであることは否定しないけれど、死にたいって気持ちも嘘じゃないんだ。
「先生、先生はどうして医者になったのですか」
「権力です」
権力、と私はオウムした。
「社会的地位と言ってもいいです」
社会的地位、と私はオウムした。
「権力や社会的地位というのは自分の身を守る最良の道具なのだよ。たとえ普通から外れるような性格だったり趣味があったりしたとしても、あの人は優秀だから普通の人とはちょっと違うところがあっても当然だとアンポンタン共が勝手に納得してくれる。悪事をなしたときだって役に立つ。権力をもってきちんと既得権益を握りしめておけば、権力の傘に入っていた奴らを使って揉み消せるし、そうでなくとも彼らは与えられていた飴惜しさに擁護したり口をつぐんでくれたりしてくれるものさ」
私はそれを聞いて、大事にしていたガラクタを目の前で踏みにじられたような悲痛と手の届かない高潔な幻想が大型スーパーマーケットに入荷されたような安堵を覚えたので、ウキューウキャーと金属バットを振り回してみたけれど、医師は華麗にそれを避けてしまったので、まるで私が頭のおかしい莫迦みたいだと思ったら、そういえば私は頭のおかしい莫迦なので、全然間違ってないじゃん正しいじゃん私天才じゃん頭おかしくないじゃんヒャッフーで明日もきっと晴れるはずだ。
末期的精神病患者が暴れまわったかのような診察室で、きっと私はひとりだったし、今までもひとりだった。
「 」と医師は言った(鍵括弧内は精神状態に著しい欠陥がない人間には視認できないような悪辣な真実が述べられています)。
「それなら」
私は――――
なんかもう度重なる茶番に疲れたよ。
あー、チャーハンが食べたい。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます