第四章 かける


 おぼろに照らされた山道が、俺たちを深淵に誘い込む様に構えていた。


「見えたぞ! あそこの門を左だ!」


 俺は寄ってきた髑髏どくろを叩き斬りながら、先行するのぞみのぞむに叫ぶ。


「わかりました!」


 希が馬鹿でかいカエルを吹き飛ばしながら返事をした裏では、望が半魚人を地に叩きつけていた。


 ……何メートル走ったかも覚えてねぇ。


 どれ位の距離なのか地図でも見て確認しておけば良かったか、と後悔の念が頭を過ぎるが、この際関係無いだろう。

 絶え間なく襲いくる妖怪どもを前に、俺たちは一度も立ち止まらず走り続けていた。

 かわし、斬り伏せ、殴り飛ばす。

 誰か一人がたおされればその時点で全滅。

 自分の命を希と望に預けていると同時に、俺も彼女たちの命を預かっているのだ。

 今まで背負ったことの無いような重圧に、何もしていないのに膝が笑いそうになる。

 だが、それ以上に負ける気がしなかった。


 ……命を預けている存在が頼もしすぎる。


「希、いぬいの六ととりの三を先に叩こう。うさぎの方はあとでやるよ」

「ん、わかった!」


 希たちは十二支の方角で敵の位置を正確に把握し、撃破するべき敵の優先順位を決めていく。

 妖怪たちの攻撃を掻い潜り、望がそのただ中に躍り出た。

 それ以上動くこともままならないような、密度が一番高い場所で叫ぶ。


「止水!」


 瞬間、周囲にいた妖怪たちの動きが止まる。

 それだけで無く、浮いた瓦礫がれきや木の枝なども空中に留まったまま。

 まるで望の周りの世界だけ時の進みが遅くなったようだ。

 そして、動きを止められた妖怪たちが驚愕や困惑の表情でうめく頭上に、人影が一つ。

 妖怪たちの頭上を跳んだ希はふわり羽のように、望の隣に降り立つと、呟いた。


「破天」


 妖怪たちが宙を舞う。

 空に落ちる、という表現を用いたくなるほどに冗談みたいに弾かれて空の彼方へ消えていった。

 良くて落下死、悪くて空中分解だろう。

 そうして集団を一網打尽にした後も二人の動きはよどむことなく、残った妖怪を迅速に倒していく。

 短い呼びかけのみで相手の意思を理解し、互いに補助し合う様子は正に阿吽あうんの呼吸。

 そんな希と望に触発され、意気込んだ俺も続こうとしたのだが、どうやら祓魔剣というのは伊達ではないらしく、ただ刀を構えただけで大抵の妖怪に逃げられてしまった。


「……」


 やり場のない気持ちを抑えつつ、俺は希と望の取りこぼした妖怪を辻斬りに近い形で処理する役となっていた。


 □ □ □



「はぁっ! 抜けた……」


 大通りを抜けた俺たちはいよいよ山道に入り、十数メートル駆け上がった辺りで一度立ちどまった。

 このまま走り続けていては流石に体力が持たないため、後ろを振り返って妖怪が来ていないかを確認する。

 まだ何匹か残っていたはずだが、妖怪どもは追ってきていなかった。

 それでも万が一のため、俺が荒れる息を鎮めようと必死に心がけていると、


「それにしても貴己さん。百鬼夜行の妖怪のこと、なんでそんなに詳しいんですか?」


 未だ肩で息をしながら、希が問うてきた。


「なんで、というと?」

「最初だけですけど、わたしには名前も顔も分からない妖怪の弱点だったり、対処の仕方を教えてくれたじゃないですか」

「途中から必要ないって気づいて、言うのやめたけどな……」

「でもでも、貴己さんって記憶を失くしたはずなんですよね? 妖怪に対しての知識はこの一年で覚えたんですか? それとも少しは覚えてることがあったり?」


 小首を傾げる希の瞳には悪意は感じられない。

 純粋に、気になったのだろう。


「あー、なるほどな」


 俺は希の質問にどこまで答えるべきかをしばし考える。


 ……本当のことを言う必要はないだろう。


 言っても、後の行動に支障が出るだけと判断し、軽く伝えるのみに決めた。


「いや、記憶を失くした後だよ。記憶失くした直後はほとんど喋れなくて、代わりに色々読み漁ってたって感じかな。その中に百鬼夜行絵巻の文献があったんだ。あと、辞書とかも読んだりした」

「じ、辞書ですか?」

「自分の知識量の無さに辟易へきえきとしてね。でも、おかげで語彙力なんかも結構ついたんだ」


 ……一層の無力感にさいなまれたけどな。


 などとは言わず、その言葉は心の中にしまい込む。


「あと、思い出したことなら、静さんとの約束だな」

「えっ」


 俺の言葉に、今度は望が反応する。


「湯船で逆上のぼせてぶっ倒れた日に約束をした時の夢を見たんだ。まぁ起きた直後は色々ありすぎて、俺自身も完全に忘れてた」


“兄さんは、約束の約束をしていました”


 あの時は言葉の意味が分からなかったけれど、今なら分かる。

 だが、分かったところで最早どうしようもない。


「思い出したってことは、約束は……」


 期待に満ちた眼差しを向けてくる望に、俺は言った。


「約束、果たせなかった」


 長い沈黙。

 希も望も大きく目を見開いたまま、固まっていた。


「…………え?」

「俺は、静さんとの約束を果たすことは出来なかった」

「嘘。だって、そしたら、兄さんをどうやって」


 信じられないと首を振り、望はうつむいてしまう。


「本当に、果たせなかったんですか?」


 悲痛な表情を浮かべた希がたずねてくるが、俺は肯定する他ない。


「ああ、ダメだった。……でも、というか。だからって言ったほうがいいか」

「……?」


 言葉を探して言い淀む俺の様子に、望が顔を上げる。


「俺は、静さんに言わなきゃいけない事があるんだ。だから行くよ」

「それは、どんな……」

「流石に今は怖くて言えないな」


 言ってから気づく。


 ……ああ、そうだ。俺は怖いんだ。


 彼らを呪縛から取り払おうとして、その関係性を根本から瓦解させてしまうことを恐れてる。

 きちんと考えて出した答えのはずなのに、今になって日和ひよってしまう。


 ……こんな時、果琳かりんがいたら。


 そう思った時だった。


「あああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっっっっっっっっ!!!!!!」

「なんっ−−−−」


 振り向いた瞬間、猛烈な風が吹き付ける。


「あっつっ」


 あまりの温度に、喉がける様に熱くなる。

 咄嗟とっさに腕で口元を押さえ、伏せる様に前方をうかがうと、炎が逆瀧さかだきの如く天へ昇っていくのが分かった。


「果琳……?」


 既に二十分は経っている。

 だから、最悪の状況も想定していた。

 それでも、力強く響いてきたのは、紛うことなき果琳の咆哮。


「まだ、戦ってるのかよ」


 鬼門の鬼二匹を相手にしているはずなのに、と思わず笑ってしまう。


「貴己さん! あれ!」

「なに−−−−は?」


 望に激しく肩を揺すられ、顔を上げた俺は、目の前の光景に思考が停止した。

 真っ赤な炎の波が、すぐ目の前まで迫っているのだ。

 山肌をめる様にして駆け上がってくるそれに、俺たちは逃げる間も無く飲み込まれる。


「あっつ! 熱い死……あれ?」


 死を覚悟したが、一向に肌を焼かれる感覚がやってこない異常に俺は目を見開いて、理由を悟った。


「……そうか」


 誰に言われずとも、炎に包まれただけで分かる。


「た、貴己さん。これって?」


 俺と同じ様に死を覚悟したのであろう希が、半泣きの状態で尋ねてくる。


「これは、カミカガリ。前に一度だけ果琳が話してくれた、果琳の全力だよ」


 それは、焼却する対象を意のままに選ぶ悪魔じみた炎を生み出すことができるという。

 先の叫び声と炎の逆瀧は、その全力を発動した際のものだろう。


「ってことは、今まで全力じゃなかったんですか……」


 望の半分呆れたような声に、俺は頷く。


「果琳曰く、本気と全力は別物らしいからな。ようやく体が温まったんだろ−−−−って、そうだ! こんな話してる場合じゃない、果琳のカミカガリが終わる前に急がないと!」

「な、なにか時間制限があるんですか?」

「ある。あれはカミにえカガリとして神憑カミガカるからカミカガリなんだ。髪が燃え尽きたら、次は身体が燃える。だから急がないと」


 カミカガリはその絶大な力相応に、代償を必要とするため、果琳は身体の一部である髪を捧げている。

 それについて、悪魔の契約と何ら変わりないじゃないか、と俺が言った時、果琳は笑って言った。


“それで守れるモノがあるならいいじゃない”


「……怖いなんて言ってらんねぇよな」


 もう今更だろう。

 俺は山道へと向き直る。

 一寸先すら覚束おぼつかなかった道を覆っていた闇は、炎によって暴かれた。

 炎の続く先は、今はまだ見えぬ蒼龍殿に続いている。

 まるで、果琳に急かされているようだ。

 大きく深呼吸を一つして、刀を持ち直す。


「行こう! 二人とも!」

「「はいっ!」」



 ける、ける、ける。

 疾風はやてって、その身でって、命を張って。

 希と望の魔法によって軽くなった身体で、俺はただ上を目指した。

 炎にすら追いついて競う様に走っているうち、遂に門が見えた。

 それは蒼龍殿への入り口である福徳門。


「あの門の先、庭園を抜けたら蒼龍殿だ! 急ごう!」


 言って、一気に通り抜けようとするが、現れた妖怪たちが俺たちの行く手を阻んだ。

 それらを炎の波が一掃するも、尽きる事なく妖怪は現れて、炎の中を突き進んでくる。

 身を焼かれ、ただれた肌を垂らしながらも何かに取りかれた様に吶喊とっかんしてくる様は、常軌を逸していた。


「何なんだこいつら、数が多すぎる……!」


 奇行もさることながら、その数に呻いてしまう。

 それは大通りで目にした妖怪の数に匹敵する程だ。

 自らの体力や状況をかんがみても、まともに相手にしてはいけないということは分かる。


「それでも、やるしかないよな」


 ……迷ってる暇は無い。全部叩き斬って先に進む!


 妖怪どもを引きずってでも、このまま一気に蒼龍殿まで駆け抜ける。

 そう覚悟を決めて刀を抜こうとした瞬間、望が制止してきた。


「貴己さんは先に行ってください。僕と希で道を作ります」

「……できるのか?」

「やります、迷ってる暇はありませんから。……希」

「うん、いつでもいけるよ」


 希と望が俺の前に進み出た。

 通るべき門の前には、炎に焼かれて断末魔をあげる妖怪が未だ数多く跋扈ばっこしている。

 望はそれらを前に浅く息を吐き、動いた。


「希、合わせて!」


 真っ直ぐ左腕を突き出し、掌を上に向けて開く。

 そして、掌に右拳を思い切り叩きつけ、叫ぶ。


怒鎚いかづち!」

 それは無形の槌。

 呼応するように、妖怪たちが不明の力によって重力から切り離されていく。

 全ての妖怪が地面から引き剥がされた瞬間、希が拳を振りかぶり、


「はぁぁぁぁぁぁっっ!」


 真っ直ぐに放つ。


「−−−−穿空せんくうっ!」


 それは不可視の衝撃。

 音もなく、希の拳に穿うがたれた妖怪たちがすべもなく吹き飛んでいく。

 そうして道をひらくと同時に、希と望が俺の方へ振り返る。


「「行ってください!」」

「ありがとう、二人とも」


 背後で妖怪が湧き上がる気配がしたが、かまわない。

 俺は蒼龍殿に向かって、全速力で駆け出した。



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