第二章 変容、変貌、変更

 逆立さかだつ尻尾の先は鋭利に、こちらへ向けられている。

 低くせる体を支える四肢しし

 それらについている爪は、異常なほど伸びており、もはややいばそのものと言っても過言ではない。

 まるでさそりのように構え、こちらを威嚇いかくしているそれは。


「−−−−鎌鼬かまいたち……!」


 不可視の斬撃を持つとされている、幻想種。

 全国各地に残る伝承の内容を紐解ひもとけばその危険性がよく分かる。

 あの幻獣の兇刃きょうじんによって地にし、二度と立ち上がられなかった者は数知れない。

 鎌鼬も風に乗って現れるとされているが、風狸ふうりなど目では無い凶暴性、獰猛性どうもうせいを持つ。

かま太刀たち”とも呼ばれるそれは、普通の人間が手に負えるようなものでは無い。

 見れば完全に臨戦態勢に入っている。

 いつ襲われるか分からない状況。

 迂闊うかつに動けば、それだけで切り刻まれる可能性がある。


 ……まずい、どうする。ここで使うか?


 相手をかんがみれば、使うに値するだろう。

 けれど、懸念けねんは長期を見据みすえた場合だ。

 鎌鼬かまいたちの討伐のみを目的としていたなら、俺は間違いなく使うだろう。

 だが、今はまだ朝だ。

 太陽は未だ東から昇る最中、陽射しは更にきつくなるのだろう。

 それなのに、すでに二体の幻想種と遭遇そうぐうしている。

 この後、鎌鼬より危険性の高い幻想種が現れる可能性は十分にある。

 それを考えれば、今ここで使うのは早計ではないのか。

 決断を迫られ、俺は逡巡しゅんじゅんする。

 ……いや、迷ったら負けだ。

 祖父の訓戒の一つを思い出していた。


“迷うな。迷って判断を鈍った時点でお前の負けだ。”


 判断を先延ばしにし、過ち、後悔するくらいならば。


「−−−−果琳かりん、後のこと頼めるか」

「……貴己たかみ? まさか−−−−」


 意味を数舜遅れて理解したのであろう果琳が何か言う前に俺は立ち上がり、鎌鼬の方へと歩いていく。

 歯牙しがしにして低くうなるそれは、俺が近づくのに合わせ、じりじりと後退していく。

 けれど、そうして鎌鼬が後退していく先は家屋の壁しかなく、袋小路だ。

 左右後方に逃げ場は無い。

 確かな勢いで俺と鎌鼬の距離は詰まっていく。

 ……動いた瞬間、仕留める。

 そして互いの距離が三畳分さんじょうぶんまで近づき、更に一歩踏み込んだ時。

 鎌鼬かまいたちが動いた。

 けれど、それは俺の予想を大きく裏切る行動で。


「なっ、逃げた!?」


 鎌鼬が行ったのは左右前後方向どれでも無い、三次元の逃走だった。

 猫科動物よろしく、タンタンッ! と、軽い身のこなしでへいり上がり、屋根に飛び乗ると、またたく間に東へけていく。

 それは、普段平面でしか移動を行わない人間であるが故の油断、失態しったいだった。

 このままでは見失い、取り逃がしてしまう。


「マジかよ……果琳!」

「わかってる、追いかけるよ!」


 けれど、それは俺一人だった場合の話だ。

 ここにはつい先ほど三次元移動をかました人間が一人いる。


翔歩アクセルフロー付与式エンチャント……飛靴タラリア


 隣に立った果琳は、呪文スペルとなえつつ、俺と自らの靴に触れる。

 劇的げきてきな変化などは無く、先ほどの様に鮮烈せんれつ扇風せんぷうが巻き起こる事も無い。

 それが起こるのは、これから。

 一歩、踏み出した瞬間−−−−俺は浮き上がっていた。

 果琳の魔法の効果だ。

 移動速度を物理的に上げる、緑魔法の支援バフ呪文スペル

 それによって数メートルの跳躍を行い、音も無くふわりと屋根の上に着地した俺は同じ様に隣へ着地した果琳に声をかける。


「場所はわかるか!?」

「ちょうど東山の方向! 今も向かってる!」

「わかった! 行こう!」


 東山を見据え、俺と果琳は走り出した。

 一歩、また一歩と足を出すたび、追い風を受けている様な感覚で、走る速度は加速度的に増していき、京都の街を疾風はやてとなって駆けていく。

 傍目はためからは凄まじいパルクールの様に見えているであろう。

 様々な屋根の上を駆け抜け、隘路あいろの上を何度も飛び越え、市街を横断していく。

 そうして駆けている先に十字路が見えた。

 人々や車がせわしなく道を行き来しており、とてもじゃないが走って抜ける事など出来ない。

 おまけに向こう側の屋根まではおよそ十メートルもの距離がある。

 しかし俺と果琳は足を止める事などせず、一層強く踏み込み、屋根のへりを蹴った。

 それは十メートル超の大跳躍。

 走り幅跳びの要領で、けれど速度は放たれた弓矢もかくやというほど。

 世界記録とK点を軽々越えて、しっかりと屋根を踏み締め、また走り出し、ものの数分で山際まで辿り着いた。


「見つけた! 山中歩道沿い!」


 果琳が鋭く叫んだ先を目で追うと、山中を駆け上がっていく鎌鼬の姿をこの目で捉える。

 鎌鼬は歩道を外れ、生い茂る草木と枝葉の中を跳ねる様に突き進んで行く。

 後を追い、俺と果琳は東山を駆け上がった先、目の前に見えてきたのは蒼龍殿そうりゅうでん

 元からいた観光客は、突然、山の中から俺たちが現れたのに困惑の声を上げているが、気にしていられない。

 と、蒼龍殿の目の前まで辿り着いた所で、果琳がはたと立ち止まった。


「…………」

「果琳? どうしたんだ、早く追わないと−−」

「−−鎌鼬の気配が消えた」

「は?」

「もっとヤバいのが向こうにいる!」


 果琳は顔面蒼白で唇を戦慄わななかせながら、それでも悲壮な表情のまま駆け出す。


「待てよ果琳!」


 俺には止める術など無く、ただ追いかける事しかできない。


 ……そんなもの、どうやって対処すればいいんだ?


 鎌鼬ですら、果琳が俺に逃げろと告げてくる程だというのに。

 焦燥しょうそうの中で考えるけれど、明確な方法などそう簡単に浮かびやしない。

 何も浮かばぬまま、蒼龍殿の裏側まで来てしまう。

 果琳が立ち止まり、気づかなかった俺は果琳にぶつかってしまった。


「いだっ! わ、わるい」


 しかし、果琳は俺の事など気にも止めず、虚空こくうにらみつけたままにしている。


「か、果琳?」

「消えた……どうして、こんな一瞬で消えるはずないのに!」

「落ち着け果琳、深呼吸だ深呼吸」


 荒れた息を抑えもせず、ひど狼狽ろうばいした様子でえる果琳を俺が必死でなだめつかせていると、後ろから静閑せいかんな声がかけられた。


「あれ? 貴己くんと果琳ちゃんじゃないか」


 予想するまでも無く、そこにいたのはノートとペンをたずさえ、相も変わらずにこやかにたたずしんさんの姿だった。


「静さん……どうしてここに?」

「それはこっちの台詞せりふだよ。蒼龍殿に何か用があったのかい?」

「それは−−−−」


 と、ここまでの経緯いきさつを話す。

 けれど静さんは然程さほど驚く様子が無かった。


「そうか。実はね、僕は大学でその土地が与える魔道的影響に関する研究をしているんだ。言ってみれば霊脈れいみゃくの研究なんだけれどね」

「……それが、今話した事とどう関係が?」


 俺がたずねると、静さんは眼下に広がる京都の街並みを眺めながら、話しだす。


「ここ、東山の蒼龍殿は、霊脈的に特に強い力を持っているんだ。それこそ、向こうに見える京都御所きょうとごしょ晴明神社せいめいじんじゃにも引けを取らない」

「……つまり?」


 話の核心が見えてこず、思わず結論をうながしてしまったが、静さんは特に気を悪くした風でも無く、笑って答える。


「つまり、今の状況、何が出てもおかしくないって事だ。今言った京都御所や晴明神社の他にも注意しておいた方がいい場所はいくつかあってね」


 言って、静さんはノートにサラサラと何かを書き込むと、そのページをビリリと破き、手渡してくれた。


「これは?」

「特に霊脈の強い所が書いてある。百鬼夜行の原因を突き止めるには、そこを重点的に回ると何かわかるんじゃないかな」


 書かれた場所を見ていくと、俺でも名前を知っている様な有名どころばかりが名を連ねている。

 やはりそういった場所に建てると加護やら何やらがあったりするのだろうか?

 と、俺が紙を見ながらウンウン唸っていると、


「まだ講義があるから僕は大学に戻るよ。何かあったら後で教えて欲しい」


 静さんはそう言い残し、去っていってしまった。

 追っていた鎌鼬は忽然とその姿を消してしまい、俺たちはやることが無くなってしまう。


「……とりあえず、ここに書いてある所回ってみるか」


 横にいる果琳に声をかけたが、心ここに在らずといった様子で譫言うわごとつぶやいている。


「何で……絶対いたのに……どこ行った……」

「どんだけ逃したのショックだったんだ。また現れたら仕留めればいいだろ」

「うん……」

「ほら、いいからいくぞ」


 未だ煮え切らぬ様子の果琳を促し、俺は紙に書いてある場所を一通り回って行った。

 けれど、手掛かりの一つも見つからず、幻想種とも出会わず、悪戯いたずらに時間だけが過ぎていき、日暮れになってしまった。


「今日はもう帰るか」

「そうだね〜、お腹も空いたし戻ろっか!」


 何も収穫を得られなかったのは心残りだが、帰る時にすっかり果琳の機嫌きげんが戻っていたのは幸いだった。

 そして、夜。

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