図書室の幽霊だって青春したい

神崎涼

第1話 少年は幽霊と出会う

『図書室の幽霊』


 電車の中の広告に書かれているその文字を、少年はぼーっと眺めていた。太いフォントでそう書かれた隣には、小さい字であらすじが記されている。少年が好きな作家、阿川あがわコウの新刊の広告である。


 その少年、坂上太一さかがみたいちは幽霊なんて信じていない。幽霊は本や映画などではしばしば現れる存在だが、現実ではその片鱗すら見たことがない。あくまで架空の存在なのである。

 そして架空の存在だからこそ、想像は掻き立てられるものだ。


 太一は一番身近である自分の高校の図書室を思い浮かべた。

 高校という常にどこか熱に浮かされたような空間の中で、静けさを保つ異質の空間。うだるような暑い夏の日でも、キンと冷えた風が吹く冬の日でも、決して姿を変えずほっと落ち着ける居心地の良い場所。

 そんな場所に現れるとしたらそれはきっと、少し内気で可憐という言葉が似合うような女の子の幽霊――

 

と、太一はそんなことを考えていたのだが。


 実際に彼が図書室で見ることになったのは、そんな想像とはかけ離れた、自分と同じくらいの年齢の若い男の幽霊であった。



 ♢



「あーー、なんで俺には彼女できないんだよお」


 机に突っ伏して、太一が情けなく叫ぶ。右手に持っていた紙パックのオレンジジュースを勢いで軽く握りつぶした。


「ああもう、そんなんしてたらオレンジジュースこぼすぞ。なに腐ってんだよ」

「そりゃあ佳史よしふみはいいだろうな。可愛い彼女ができたんだから」


 太一は突っ伏しながら、目の前でパンを食べている友人をなじる。


「佳史だけじゃない、健太とか佐藤とかにも彼女ができたっていうのに、なんで俺にはできないんだ!」


 がばっと起き上がって、太一は佳史に向かって物申した。それに対して佳史はパンを頬張りながらさらりと受け流す。


「知らねえよ。何て言うか、太一は女子に幻想を抱きすぎなのが問題なんじゃねーの」

「な、別に幻想なんか抱いてないぞ」

「いーや、抱いてんだよ。太一、女子はみんなふわふわしたものが好きだとか思ってるだろ」

「え、女子はみんなふわふわしたもの好きじゃないのか?」


 それを聞いた佳史がはぁとため息をついてから、残りのパンを口に放り込んで立ち上がる。


「付き合ってられん。じゃあ俺そろそろ行くから」

「え、どこ行くんだよ?」

「サッカー部のミーティング。ったく、昼休みにまでやらなくてもいいのにな」


 じゃーな、と言って佳史は教室から出ていく。

 強豪サッカー部は大変そうだ、なんて考えながら一人取り残された太一はストローをくわえてオレンジジュースを吸った。時計を見ると昼休みが終わるまであと三十分ほど。図書室に行くつもりだったのだが、なんだか眠くなってきた太一は残りの三十分を睡眠に充てることにした。図書室は放課後に行くことにする。


 ジュースを飲み切ってから再び机に突っ伏して目をつぶった太一は、さっきの佳史との会話の内容について考えた。

 女の子って、皆ふわふわしたものが好きなのではないのか。彼が好きな漫画には、女の子は基本的にふわふわしたものが好きだと書いてあったのだが。

 真偽を確かめるためには実際に女子に聞くのが手っ取り早いのだが、生憎太一にはそんなくだらないことを聞ける女友達はいない。それどころか、ここ最近まともに女子と喋った覚えがない。

 彼女とかの前に、まず女子と話すことからだよなあと自分の不甲斐なさにうんざりしながら、太一は徐々に眠気に意識を委ねていった。



 放課後、太一は図書室に向かう廊下を歩いていた。借りていた本の返却期限が来たのでそれを返すのと、新しい本を探しに行くためである。

 太一は小説や漫画などの物語を読むことが好きで、休み時間に教室で本を読んでは、よく佳史に似合わないと言われていた。読んだ物語の内容を現実にまで混同してしまうことが、彼の悪い癖だったが。


「それにしても、二年生になって数学が急に難しくなったな」


 誰もいない廊下を歩いているせいか、太一は小さく独り言をこぼす。六限目の数学は先生の話していることが理解できなさ過ぎて、まるで呪文を唱えられているようだった。


 窓の外を覗くと、グランドではサッカー部や野球部が必死にボールを追いかけている。図書室に近づくごとに大きくなっているのは、図書室と同じ棟に入っている音楽室からの吹奏楽部の楽器の音だ。

 放課後の高校は、部活動をする生徒によって授業時間の何倍も活気づいている。


「お、佳史だ……」


 サッカー部の中に友人の姿を見つけて、太一は立ち止まってその様子を眺める。いつもはどこか力を抜いているように見える佳史だが、部活になるとそうではない。体の大きな先輩相手に激しくコンタクトを取っていた。


 太一は部活には入っていない。だからこそ、こんな時間にこうして図書室へと向かうことができている。

 少し胸がちくりとしたのを感じて、太一はグランドから目を離して図書室へと歩き始めた。



 図書室の中は、騒がしい外とは一変して静まり返っていた。入るとすぐ近くにカウンターがあって、部屋の手前側には机が、奥には本棚が何列にも並んでいる。机にはぽつぽつと人が座っていた。

 まずカウンターで本の返却を済ませてから、太一は借りる本を探すために本棚へと向かった。

 本棚に並んだ本のタイトルに、左から右へと視線を移していく。

 その中の一つに目が留まった。『少女の初恋』というタイトルに薄い桃色の背表紙の、やや古びた本だった。普段なら太一が選びそうではない、いかにも女子向けだと思われる本だ。それがなぜかは分からないが、太一の目を引いたのだ。

 佳史に女子に幻想を抱いていると言われたこともあって、たまにはこういう本も読んでみるかと思い、太一はその本に手を伸ばす。裏表紙に書かれたあらすじを読むに、どうやら同じ高校の男子を好きになってその人に気持ちを伝えようと努力する女子高校生が主人公の、まるで少女漫画のような恋愛小説らしい。


 本を開いてみようとして、そこで一つの異変が起こった。本が、開かないのだ。別にその本が少し変わっていて鍵がついているとか、そういうわけではない。ただまるでのり付けされているように、開こうとしてもびくともしない。


「なんだこの本……?」


 なんで本が開かないのか、なんで開かない本が図書室にならんでいるのかは分からないが、開かないのでは仕方がない。本棚に戻そうとしたその時、本が勝手に光り出した。


「え? ええ?!」


 図書館の中なので声は抑えたまま、太一は一人パニックになる。

 光り出した本は、自ら太一の手を離れ、宙に浮いた。そしてあれだけ開かなかった本が開いたと思うと、一瞬ぴかっと強く光った。

 太一は慌てて目をつぶる。

 光が収まって太一がゆっくり目を開くと、本は床に落ちてあり、その隣には見たことのない少年が立っていた。

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