【IF】世界の特異点な参謀閣下が好きな人々のお話。
「さて、陛下のお墨付きも貰ったことじゃし、盛大にやろうかのぉ」
カラカラと楽しげに笑う幼女の姿はどこか愛らしく、けれどその姿に不似合いなほどに、張り巡らされた魔力の網は膨大だった。魔法として発動する以前の段階で、既にその場を掌握するほどの魔力が充満していた。愛らしい妖精族の姿をしていながら、そこにいるのは紛れもなく殲滅者であった。
「随分と楽しそうだな、ラウラ」
「うん?いやいや、どうせならば楽しもうと思っただけのこと。……何じゃ、お主随分とご立腹じゃのぉ」
「むしろ、何故そうやって笑っていられるのかが聞きたいものだな」
愛用の大剣を無造作に肩に担いだままで、アルノーが不機嫌そうに呟いた。ぶわりと立ち上るのは殺気だ。人間という弱者でありながら、ガエリア帝国の歩兵遊撃隊長を任される男は、随分と久しぶりに、本気で怒っていた。怒るというのはこういう感情であったか、と当人が感慨深く思うほどに、それは随分と久しぶりの、腸が煮えくりかえるほどの、憎悪だった。
からり、からりと笑う幼女の傍らで、殺気を振りまく男という取り合わせ。けれど、それを異常だと思う者はいなかった。居並ぶ仲間達はそんなことを気にしていない。そして、敵対者は。彼らに屠られるだけの、愚かな存在達は。
……そんなことを気にしている余裕など、どこにも存在しなかった。
「……参ります」
低く、低く、地を這うほどに低く、けれどそうでありながらどこまでも澄み切った声音が、静かに宣言をした。俯いて、瞼を伏せているのでその表情をうかがい知ることは誰にも出来なかった。じわり、じわりと立ち上るのは紛れもない怒気や殺気といった負のオーラである筈だというのに、アルノーのそれと比べてどこまでも温度が低く感じられた。アルノーの怒りを燃えさかる炎と例えるならば、こちらは極寒地獄。吹き付ける吹雪のように、鋭利に皮膚を引き裂く雹のように、温もりの一切合切を捨て去った何かが、あった。
その声の意味を理解する前に、居並ぶローブ姿の者達から、苦痛の悲鳴がこぼれ落ちた。静かな宣言者はただ、走り抜けただけだった。お手本のように美しい構えで剣を手にしていた青年は、目にもとまらぬ速さで男達の間を走り抜け、そして。
……急所をわざと外して、致命傷にならぬギリギリの、けれど決して軽くはない傷を負わせていた。
「ライナー」
「……邪魔だ、エレン」
「ライナー」
「邪魔だと言っている」
「私心で濁った心で剣を振るうな」
「……ッ!」
とん、とライナーの肩を叩いた後、エーレンフリートは自分より体格の良い相棒の肩を掴んでいた。動くな、と言いたげな行動だった。それを忌々しそうに振り払おうとしたライナーは、淡々と、日常会話のように続けられたエーレンフリートの言葉に息を飲んだ。凍り付いたような、……まるで叱られた幼子のような反応をする相棒に、エーレンフリートはため息をついた。
ライナー、ともう一度呼ぶ。年上の相棒が、今回の襲撃の件を誰より重く受け止めているのを彼は知っていた。《彼女》の側にいながら守り切れなかったことに、懊悩していることをエーレンフリートは知っている。知っているが、だからこそ、彼は相棒を止めたのだ。彼らは近衛兵だ。ガエリア帝国皇帝、アーダルベルト・ガエリオスの剣であり、盾でもある。その振るう剣に、個人としての己を乗せるなとかつて告げたのは、ライナーだったのだから。
「……俺、は」
「俺達は陛下の命令通りに、こいつらを殲滅すれば良い」
「……エレン」
「そうだろう、ライナー?これは、
詭弁めいたことを口にするエーレンフリートに、ライナーは瞬きを繰り返した。そして、困ったように笑う。慣れないことをさせていると解っていた。エーレンフリートは皇帝の忠実な臣下である。二心も私心も無く、己の全てを皇帝アーダルベルトに捧げて生きている。その彼に、こんな回りくどいことをさせた自分を、ライナーは確かに恥じた。年長の友として、兄代わりのような相棒として、今までずっと生きてきたがゆえに。
「すまない。情けないところを見せた」
「別に。さっさと終わらせるぞ」
「了解だ」
ぶっきらぼうに答えた後、エーレンフリートは剣を構えて走り出す。相棒の照れ隠しを素直に理解して、ライナーも同じように駆けた。
阿吽の呼吸で走り抜ける近衛兵二人とは対照的に、手にした大剣を無造作に振るっているアルノーの動きはどこか無作法だ。急所だ何だの考えもせず、手当たり次第に切り捨てている。無造作に、一撃で、ただ、斬ることだけが目的であるように。腕を、足を、顔を、腹を、胸を、斬られた男達が悲鳴を上げて崩れ落ちていくが、気にした風もない。むしろ、より一層激しく武器を振るう姿があった。
「ふぅむ?ライナーもアルノーも、血の気が多いのぉ」
場違いなほどに楽しげに笑うラウラであるが、その彼女にしても、えげつない攻撃をしていることに変わりは無い。様々な属性の魔法を使いこなす魔道士であるラウラは、まるでお手玉でもするかのように数々の魔法を生み出し、無邪気な微笑みを浮かべたままで投げつけている。炎が、氷が、風が、雷が、周囲で荒れ狂う様を楽しげに見つめる姿は、幼く愛らしい妖精族の姿形をしているからこそ、恐怖を誘った。
あわあわと命からがら魔法の雨あられから逃げた男は、かつん、と何かにぶつかって顔を上げた。這うようにしていた彼は、自分が触れたのが靴であることに気づくまでが遅れた。顔を上げればそこには、にんまりと唇を歪めて笑う眼鏡の男が立っている。常日頃仮面のように浮かべている温厚な人物を装う笑みを綺麗さっぱり消し、本性であるガラの悪さが剥き出しになった笑みを浮かべているのは、ヴェルナーだった。
その服装を見れば、彼が神職であることは把握できただろう。一瞬の半分、男の顔に浮かんだのは安堵だった。剣を振り回す三人よりも、魔法を乱舞させる幼女よりも、幾分御しやすく見えたに違いない。……だが、それは誤りである。恐らくは、最大の。
伸ばされたヴェルナーの掌が、男の頭をわし掴む。
「……え?」
何が起きたのか解らないのだろう。男は、優男の掌が、自分でも理解できないほどの力強さで頭を掴んでいることだけは、理解した。だが、それだけだ。それ以上、その先を、男の脳は思考することが出来なかった。
何故ならば。
「さっさと朽ちろ、クズが」
まるで生ゴミでも捨てるかのような口調で言い捨てて、ヴェルナーは掌に魔力を込めた。ばちん、と何かが弾ける音がした。次いで、彼が掴んだ男の身体が先端から一気に崩れ落ちる。腐敗するように、ぐしゃりと。けれどすぐさま砂のように砕けて風に流れ、残ったのは男が身に纏っていたローブだけだった。
こきこきと手首を鳴らしながら、ヴェルナーは無造作に腕を伸ばし、別の男の腕を掴む。そしてまた、同じように魔力を流し込む。ばちん、という音と共に、その男もローブだけを残して消え失せた。……文字通り、塵一つ残さずに。
「ヲイこら、てめぇら!虫の息だの取りこぼしだの残すんじゃねぇよ!」
「お主も光魔法でも撃てば良かろうが」
「うるせぇぞ、ババア。攻撃魔法はてめぇの担当だろうが。……そこの武器三人!きっちり殺しきれや」
すたすたと、凄惨な戦場をまるで職場のように平然と歩きながら、ヴェルナーが罵声を口にする。ラウラが相変わらずの口調で答えれば、打てば響くように返るのは罵倒だ。回復魔法に特化した天才であるところのヴェルナーであるが、光系の攻撃魔法だけは例外で、扱うことが出来る。しかし彼の魔力の質は攻撃には向かず、威力はそこまで高くは無い。……無論それは、彼の基準値が妖精族の魔道士であるラウラになっているからこその認識であるが。
なお、ヴェルナーが行っているのは、回復魔法の逆に当たる行動だった。癒やしの力で肉体を再生させるのが回復魔法ならば、その逆も可能である。ただし、回復魔法と違って、対象に直接触れなければ出来ない。しかし、凄腕の暗殺者にでもなれそうなその技は、使えるものが限られていた。回復魔法の才と、人体を熟知する知識と、魔力を過不足無く扱うセンスがあって始めて成立する。……ヴェルナーは、その、数少ない使い手だった。
「今日は珍しく荒れておるのぉ」
「……うるせぇぞ、ババア」
「お主はアレじゃな。まことに、素直でない」
「うるせぇ」
「内に入れたものにだけは、本当に、甘いのぉ」
「……てめぇも朽ちるか、ババア」
「お断りじゃわい」
楽しそうに笑う幼女に、ヴェルナーは苛立ったように殺気を向ける。彼の神経を逆なでするだけ逆なでしたしたラウラは、ふわりと上空に浮かび上がると、隠れている男達に向けて魔法を投げつけていく。容赦など存在しなかった。
……なお、時折敵を斬り捨てている三人に当たりそうになるのだが、いずれも優れた反射神経で難を逃れていた。その後に続く文句に関しては、右から左に聞き流す、自由人な妖精魔道士であった。
「まぁ、各々、思う存分潰せば良かろうよ。……何せ此度は、陛下の仰せじゃからのぉ」
からりと笑うラウラの言葉に、返事は無かった。だが、答えるように男四人は思うさま戦いを続けている。それを見て、妖精魔道士は楽しそうに、笑った。
全てが終わった後、彼の地一帯が更地になったと聞いて、頭を抱える皇帝がいるのだが、それはまた別の話。
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