【IF】あったかもしれない戦う死神参謀閣下
ずしゃ、と切り捨てられた魔物が、肉塊となって崩れ落ちた。切り捨てたのは、未だ幼さ残る風貌の人物だ。少年か少女か判別を付けるのが難しい。首の後ろで結わえた黒髪は背の中頃まで届き、魔物の死骸を見つめる双眸は闇よりなお深い漆黒。白シャツに黒のベスト、スラックスという至ってシンプルな装いの彼の人は、細腕に似合わぬ
キラリ、とその耳元で、白銀の台座にガーネットをあしらったイヤリングが揺れた。よく見れば、細い手首にも同様のデザインのブレスレットが煌めき、性別を感じさせない首元にも同系統のペンダントが煌めいていた。そういった装飾品を目にしてしまえば、彼の人の性別が女であるかも知れぬ、と思うことは可能だろう。ただし、スラックスを穿いた女性などそうそういないので、誰もが初見では、彼女を少年と見間違える。
「次」
小さく、変声期を迎える前の少年のような澄んだ声が響いた。無造作に振った剣で、彼女は眼前の魔物の一団を示した。倒す、ということなのだろう。その言葉少ない命令に、周囲に居並んでいた兵士達は声を上げて魔物へと突撃を開始した。その先頭を行くのは、無論のこと、少年めいた風貌の少女に他ならない。
雄叫びを上げて襲いかかる魔物の動きを、まるで全て予知しているとしか思えないほどに完璧に見切り、彼女は無造作に魔物を切り捨てていく。振り返りもしない。己が切り捨てた魔物の死骸など、見向きもしない。ただ見据えるのは、眼前の、魔物達の長と思しき巨躯の個体ただ一つである。アレを討つ、討たねばならぬ、という並々ならぬ決意だけが、その横顔に浮かんでいた。
少女の細腕が構えた剣が、魔物の喉を狙って動いた。だが、相手も長と思しき個体だけはある。有象無象とは格が違うと言うことだろう。少女の攻撃をはじき返し、細い肢体に向けて鋭い爪を繰り出す。だが、己に向けて繰り出される攻撃を前にして、少女はにんまりと笑った。その笑みは幼い少女の風貌に不似合いな、少年にしても不似合いな、老成した戦士のような不可思議さを纏っていた。
「少しは俺にも獲物を残しておけ」
低い薄笑いが響いた次の瞬間、魔物は肉片へと変貌した。無造作に振われたのは、籠手に覆われた豪腕だ。赤毛の獅子、その巨躯を甲冑で包んだ偉丈夫が、にぃと唇を歪めて笑っていた。炎のように、血のように赤い双眸が、魔物の攻撃から身をかわすために後転した少女を視界に納めて、実に楽しそうに笑んだ。
「早く片付けた方が良いかと思ったんだ」
「どこの世界に、最前線で魔物を討伐する参謀がいる」
「ここに一人」
「……まったく、困ったヤツだ」
軽快に言葉を交わす間も、彼らは周囲の魔物を掃討していた。少女は小柄な体躯を生かすように身軽に飛び回り、無造作に剣を振り回し、襲いかかる魔物を全て切り捨てている。男は、巨躯と豪腕に物を言わせ、目につく全ての魔物を掴み、殴り、粉砕している。小さな渦と、大きな渦。二人を中心に魔物を屠る風が吹き荒れるが、味方すらそこに近づくことは出来なかった。
周辺に動く個体がいなくなって初めて、両者は動きを止めた。返り血で汚れた甲冑を無造作に拭う男と、殆ど返り血を浴びていない美しい装いのままの少女。対照的な二人は当たり前のように並び、互いの顔を見て笑んだ。その笑みは共犯者のそれで、深い絆を感じさせた。
荒涼とした戦場を、二人がゆるりと歩いて戻る。その周囲を、徐々に兵士達が囲んでいく。覇王と呼ばれる皇帝と、死神と呼ばれるその参謀。誂えたように美しい調和を誇る主君の姿に、兵士達は皆、憧憬と畏怖を捧げるようにその背を追った。
「これでしばらくは魔物も大人しくなる」
「それは《予言》か」
「まぁ、そんなところ。大量発生の源はここだから。ここを叩いておけば、不測の事態は起こらない筈」
くつり、と楽しげに少女が笑った。これといった特徴の無い面差しだが、黒髪黒目という稀少な色彩ゆえに人目を惹く。そして、浮かべる不敵な表情が幼い少女らしさを払拭して、誰もが目を見張らずにはいられないほどの輝きを放つのだ。そのか細い身体を、男は当然のように抱き寄せた。肩を抱くように腕を回せば、返り血に塗れた籠手が少女の頬を汚した。
魔物の返り血と体液がこびりついた籠手が、少女の色の白い肌に触れる。冷たい籠手と、そこに付着した液体の冷たさに、少女は軽く眉を寄せた。けれど、男の腕を拒絶することはせず、当然のように引き寄せられ、その逞しい体躯に身を委ねる。男が少女のつむじに労るように口付け、そうして、細い身体をそのまま抱き上げた。片腕で抱き上げ、逆の腕に乗せる。胸の前でL字にした太い腕に、少女が腰掛ける形になった。
実に仲睦まじい姿だ。魔物の死骸に囲まれた戦場には不似合いな、微笑ましい姿。だが、同時に頬を男の籠手に付着した魔物の返り血や体液で汚した少女の、不敵に笑う表情は死神の呼び名に相応しかった。全てを喰らう覇王と、その傍らで全てを屠らんと笑う死神。周辺諸国に恐れおののかれるその呼び名を、彼女はむしろ面白がっているようだった。
ガエリア帝国皇帝、アーダルベルト・ガエリオス。覇王と名高きかの皇帝の傍らに、参謀として少女が姿を見せるようになったのはこの一年ほどの間であった。異世界からの召喚者。この世界の人間には真名を発音することすら難しいらしく、通り名としてミューと名乗る少女。この世界の《未来》を《予言》して見せた稀代の参謀は、同時に華奢な体躯に似合わぬ戦闘能力を保持していた。そうして覇王と共に戦場を駆け抜け、何時しかついた呼び名が、死神であった。
異世界からの召喚者であるが故なのか、少女はひどく強かった。その肉体こそ、か弱き人間の業を宿してはいたが、武芸にしても魔法にしても、一定水準以上の素養を持って現れ、それを磨き上げた今となっては、もはや一個師団ですら止められないほどの存在となっていた。彼女が好んで使うのは両刃の剣。斬ることも叩くことも出来るからだと笑いながら、細い腕でその身の丈ほどの
また、小柄な体躯に似合う俊敏で身軽な身体能力は、恐るべき脚力を有して常人の倍ほどの跳躍を可能にしていた。不敵に笑いながら、ただただ無造作に敵対者を屠っていく姿は、彼女を側に置く覇王と良く似て、味方には畏怖を、敵対者には絶望を与えた。だからこそ彼女は、他国からその深謀遠慮と英智と戦闘能力と、容赦の無い性質を合わせて、死神と呼ばれるのだ。
年若い少年のような少女。その幼く華奢な見目に似合わぬ圧倒的なまでの戦闘能力は、周辺諸国にとって驚異と呼べた。ただでさえ、皇帝アーダルベルト一人に手を焼いている状態であった。そこに、《予言》を可能とする希有な能力と、覇王と肩を並べるほどの戦闘力を保持した存在が現れたのだから、悪夢以外の何でもあるまい。だが、牙を剥かねば襲いかかってこないところは、よく躾けられた獣のようですらあった。少女は、
「これでしばらくは、ワタシも城でゆっくり出来るかな」
「別段、此度もお前についてこいと言った覚えはないが?」
「んんー?水くさいことを言うなよ、我が
「嬉しいことを言ってくれる。……お前はまるで勝利の女神のようだな」
「ははは。本当の勝利の女神が聞いたら怒るぞ。……ワタシは死神で十分」
にんまりと少女は笑った。その笑みはとても楽しげで、男はその顔を見てそれはそれは嬉しそうに笑った。そうか、と告げた言葉は実に嬉しそうで、周囲には何が皇帝をそこまで喜ばせたのかはわからなかった。ただ、皇帝と参謀の間には、誰にも解らぬ絆があるのだと、再確認しただけである。
後世、歴史書に名を刻まれる名参謀、死神の化身。いずれの表記においても彼女は、皇帝の忠実な魂の伴侶として記されることになる。
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