探す

かものはし

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死にたくてたまらなくなった。

思えば、幸せとは言えない人生だった。

自分は、周りに比べれば裕福な家庭で育った。それ故、幼い頃から、親に定められた人生を歩むことを強いられ、息苦しい日々を過ごした。友人もいたが、親の財産のみを見た者に指示され近寄ってくる者ばかりであった。恋人も決められており、恋愛などもまともにしたことが無い。

少し、自由に呼吸をしたくなった。


家を抜け、下の町におりた。最初に入ったのは小さな喫茶店だった。カラン、コロンとベルを鳴らして入店し、注文した珈琲の香りに身を任せ、窓際の席で少しづつ口に含んだ。初めて外で飲んだ珈琲は、嫌に美味しく感じた。これが、最期の飲物でも構わないだろう。

「美味しいですか?」

隣のテーブルに座っていた女性がクツクツと笑いながら声をかけた。

「ええ、とても。」

自分は素直にそう答えた。

「私も、好きなんです。ここの珈琲が。私はこの店に、救われたから。」

「それは、僕は聞いてはいけない事ですか?」

「いいえ、どうか聞いて下さい。丁度、珈琲をもう一杯頼もうと思っていたのです。」

その女性はミナコと名乗った。

ミナコは、ここの珈琲を飲んで自分の汚れた心が洗われたのだと話した。詳しい話は訊かせてもらえなかったが、容易に想像がついた。きっと、ミナコも自分と同じ、この世を嘆き、近いうちに死のうと思っているのだ。そうでなければこんな他人に話すわけがない。


「ごめんなさいね。話したくなってしまったの。あなたは、私と同じ気がして。」

嗚呼、やはり。彼女は、自分なのだ。ミナコは、自分に訴えかけているのだ。

「……話しても、よろしいですか?」

「あなたも、話したくなったの?」

「はい、僕も。あなたと、同じです。」


そうして、自分は語った。生い立ち、境遇、家系に人間関係。自分の全てを赤裸々に語った。

ミナコは相槌をうち、偶に驚き、偶に怒った。

話していて心地よかった。

心が踊り、感じたことの無い胸の高揚を確かに抱きながら、ミナコに提案した。

「今夜、一緒に死にませんか。あなたと共になら、僕は、死んでも悔いが残らないだろう。」

ミナコはクスリと微笑み、自分の手を握った。

「私も今、そう思っていたところです。」


夜になり、ミナコと自分は海へ入った。

せめて死ぬならば、美しく死のうとミナコが言ったからだ。

「死ぬ前に、聞いてくださらない?」

「聞きましょう。僕が。どんなことでも。」

「私は、幼い頃から─……」

それは酷い話だった。

産まれた瞬間に親に捨てられ、孤児として保護された。愛も知らずに育ち、恋愛の心がわからない。成長し、引き取られた先で汚され、その時の恐れを忘れられないまま、誰にも知られずに汚され続けた。大人になり、家を出て1人で暮らし始めるが、その時には、もう、この世を憎む心が産まれてしまっていた。

そんな時にあの喫茶店に出会い、ようやく安らぎを手に入れたのだと話した。


自分なんかよりも、よっぽど不幸なミナコの話を聞いて、一気に熱が冷めるのを感じた。

ミナコに対して憎しみを感じた。しかし直ぐにそれではいけないと思い直し、ミナコを見つめた。

「いきましょう。」

ミナコに手を引かれ、深いところへ行った。

そして自分は、ミナコに最期に話をした。

「僕は、ミナコよりも幸せだったのだな。」

「優劣なんかないわ。」

ミナコは少し黙り、口を開いた。

「ところで、出会った頃から聞きたかったのだけれど。一つ、いい?」

「なんだ?僕に答えられることなら。」

「あなた、女の人よね?なのにどうして僕と──…………」


そこから先は、覚えていない。

だが、一瞬にして抱いたことのなかった程の怒りと恐れと焦りを感じた事だけ覚えがある。

気づけば、自分はミナコの細い首を絞めながら、ミナコを海に沈め殺していた。

ミナコを殺したのは、本当に自分なのだろうか。

だが、そんな事はもうどうでも良かった。


帰路を歩む間、帰ったら父に怒られるのを不安に思いながら、喫茶店の美味しい珈琲を思い出していた。

共に死ぬ相手など、また探せばいいのだ。だがあの珈琲は、唯一無二なのだ。

自分は、やけに冷たい風を受けながら帰るべき家に帰った。

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探す かものはし @kanekane

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