第46話 もうひとりの瑣末事

 午前0時。湿気と土草の匂いに包まれた都裏の花園にて、辺り一帯は静まり返り、人一人も他に見当たらない。


 高く掲げられた白い光の街灯が公園内を辛うじて足元が見える程度に照らしている。そのなかに一人。舞台のスポットライトを背負うように立つ男があった。


 男は花壇の前にありながら手に小さな鉢植えを抱えた奇妙な出立ちをしている。その男は虚空を見つめてその鉢植えに向けてなにかを呟いていた。


 端から見ればそれは狂人のように思えたかもしれない。一般人からしてみれば、間違いなく煙たいようすであっただろう。だが『こちら側』からしてみれば時間や場所のことを覗けば、特に不思議な光景でもないのだった。


「どうして、あのような嘘を着いたのですか?」


 虚空から透き通った声が響いた。女性の声だったが、それは普通の人間には聞こえないはずの声である。その声に対して男が答えた。


「僕は、ひとつの可能性を提示しようとしたんだ。彼らが、あまりにも悠長だったから。」


「だからって、急に私をだしに使わなくても。そもそも甘夏さんは勝手なんです。せめて私に予め相談してくだされば、協力して差し上げたのに。」


「ごめん。咄嗟に思い付いたことだったんだ」


 甘夏と呼ばれた男は後頭部に手を当てながら縮こまるようにして頭を下げた。


「それにしてもハナマイリがあれに話を合わせてくれるとは思いもよらなかった。どうして、僕の冗談だとはっきり言うものだと思ったのにまさか僕まで驚かされるなんて」


 ハナマイリは困ったように顔を逸らした。胸に手を当て、唇を結ぶ。もじもじと足を遊ばせながら、ハナマイリは少しいじけたように言った。


「内心、私も焦ったんです。とっても。いきなり彼女なんて言い出すんですから。それは私の生前縁のないものでしたので、小耳に挟んだ程度の彼女像と言うものを出任せに並べただけでした。」


「そう...だよね。、軽率が過ぎたね。土と花はここに返して行くから...」


 甘夏は花壇のもとあった場所に鉢の土をあけようとして、それをハナマイリが制止した。


「いえ...甘夏さん、もう少し話しませんか?」


 そう言ってハナマイリは甘夏をベンチの方へと促した。ハナマイリの言うとおりに甘夏はゆっくりと腰かけ、ハナマイリもそれに続いた。


 公園の花壇の間に溶け込むようにして設置されたベンチは花々と同じ色とりどりの塗装をされていて、人工的な建造物を自然の一部に見せる技巧が施されている。ハナマイリは何年も見続けてきたであろうその景色を眺めながら口を開いた。


「私、気づいてるんです。甘夏さんの気持ち。」


 うっと喉につっかえるような声を抑え、甘夏は黙ってハナマイリの言葉を聞いた。だからこそ聞いて欲しいと、ハナマイリは続けた。


「私は、生前の殆どを病床に伏せって過ごしました。戦後間もない頃のことでしょうか。私の症状は肺結核でした。今はもう大きな脅威とは呼ばれなくなった病ですが、私の時代では不治と言われた大病です。私は生まれつき免疫の弱かったので、病状隔離されていたこともあって人と会うこともありません。程なくして私は命を落としました。」


 ハナマイリは淡々として言葉を紡ぐ。表情は・・・しかし、柔らかいものだった。


 聞く限りでは短く、灰色のような人生であったように感ぜられる。にも関わらず、ハナマイリは充実した人生を送ったとばかりに笑っていた。


「ハナマイリ・・・君は・・・・」


「ええ、悔いはなかったんです。白い天井や窓から見える景色ばかりが私の世界でしたが、その他にもう一つだけ、愛でられるものがありました。私の症状が悪化し、夜も眠れない日々がありましたが、夜中に起きるといつも、隣には花瓶に花が一輪添えられていたんです。来る日も来る日も新しい花が送られました。親からでも友人からでもありませんでした。看護婦さんに聞いたら、教えていただけました。見ず知らずの男性からの贈り物だというのです。どんな素敵な殿方だろうと思って、一度だけ窓の向こうに姿を拝見することが叶ったのですが・・・・どんな方だったと思います?」


「それは・・・・きっと、紳士的な方だったんじゃないかな」


 甘夏は言いながら、座ったまま足元の小石を蹴った。手元の鉢に視線を落とし、小さくため息を吐く。


「そうですね、少なくとも甘夏さんのように勝手に彼女呼ばわりする人ではなかったかもしれません」


「その節は本当に。」


 甘夏は言われて、眉間にしわを寄せて額に手を添える。胸も耳も痛くてたまらないというように無意識に貧乏揺すりが起こっていた。


「正解は・・・・ふふ、なんと私よりもずっと若い小さな男の子だったんです。その子のお兄さんがまた別の病気のようで、お見舞いついでに私にも花を届けてくれたのだそうです。」


「それは、とても素敵なことだ。今も生きていたら、きっと立派な男性になっていることだろう。」


「私はね、甘夏さん。」


 ハナマイリは遠くを見る目をしていた。ハナマイリは霊としては新しい部類だ。地縛霊は祓われない限り、或いは依代を人為的に移さない限りはずっと同じ場所に居座り続ける。生前の記憶は生者と同じで時間とともに摩耗していくが、半世紀前の記憶でも、比較的鮮明に残っているのだろう。


 20代ほどに見える彼女の人生は短いものだが、その思い出は彼女にとって唯一の青春だったに違いない。掛ける言葉を見つけられないまま、甘夏はハナマイリの言葉を待った。


「私は、あなたを見るといつもあの男の子のことを思い出すんです。」


「え・・・?」


 甘夏は顔を上げ、ハナマイリの方を見る。ハナマイリは同じ笑顔を甘夏にも向けていた。甘夏は手を震わせ、その手で自分のシャツの裾を握りしめた。


「あの子は私に喜びをくれた。それは、あなたも同じなんですよ、甘夏さん?この場所はとても好きですが、都裏から動けない私にとってここは病院とさほど変わりません。話す相手もなく、外へ出ることも出来ないのですから。けどそんな中、話しかけてくれただけでなく、ここから外へ出るための足をくれました。これはあの男の子や病院の先生方も叶えてくれなかった私の夢でした。だから、私はすっごく感謝しているんです。私はあなたに願いを叶えてもらった。意地悪を言うのは、これで最後。あなたの嘘を、私は本当にしたい・・・・。私はもう喋り疲れてしまったので、あなたから言葉にして伝えてくれませんか?」


それは事実上の愛の言葉であった。霊からそんな言葉を先に言わせてしまったことを、甘夏は恥じ入る。そして自分の卑怯を許してほしいと、ハナマイリに対して言った。


 まっすぐに見つめられた甘夏は一度咳払いし、落ち着かない様子で立ち上がる。手に持った鉢を大事そうに抱えたまま、高鳴る胸に正直に答えた。


 甘夏が何と口にしたかは、その場の2人が知るところのみである。


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