飲み歩き日記

@Icecandydoll

第1話  ユリ

 それは、不思議な夜だった。

仕事からの帰り道。仕事を変えてから、帰宅時間が早くなったこともあり、身体が比較的楽な日は、自宅まで歩いて帰ることが多くなった。

駅から家まで、直線ということもあり、夕食の買い物の都合で、コースを変えていた。

 以前は早く帰れる日は、ちょっと一杯、ということが多くて、行きつけのスナックが多かった。だけど最近は身体を壊したこともあって、週に一回一軒だけ。そう決めていて、なるべく繁華街や行きつけのお店の前は通らないようにしてた。

あの日は、まだ早いからやってないから、まあいいかと、そこのお店の横を通りかかった。

 店の前でママが、掃き掃除をしていた。

したを向いているから、黙って通り過ぎればよかったのに、つい声かけてしまった。

「ママ、久しぶり」

「あら本当、元気だった?」

「なんとか」

「最近は夜オケに変えたのよ。、だから夕方の六時から、開店するの。昼オケの延長よ、その方が女性が来やすいから。」

「そうなんだ。」

「少し寄ってく?」

「早いから、少しなら。」

と、入店。

「いつ以来かしら。」

「一年ぶりかな。会社変わる前だから。」

「そう、そんなに来てなかった。最近は何を歌ってるの?」

「あんまり歌ってなくてね、休みの前の日にしか飲みに出ないんだ。」

「そうなの。」

と言いながら、烏龍茶を出してくれた。

お店の中は、相変わらず、色んな歌手のサイン入りポスターが貼ってあった。

「この頃は、少し昔の歌うたってる。戦後すぐの歌とか。例えば、”港の見える丘♬♬~~。”」

「あれは、少しジャズぽっくて、新しく聴こえるのかもね。」

何曲か歌って、いつも通り、

「この曲は4上げのほうがいいよ。男性の曲だから、その方が歌いやすいでしょ。」とか。

「あの人たちは元気?」とか。

「あのお店は閉めたよ。そこも閉めたよ。」

「じゃあ、あそこは行ってる?」

「そこは、今は経営者が変わって、でも、元の従業員が働いてる。」

当たり障りのない会話。

そのうちにママが、カウンターに活けてあった、ユリの花をいじりだした。

「今日、庭から切ってきたのよ。」

「きれいですね、五つ花がついてるから、五年か六年ものだね。ユリって一年たつたびに、花が一つ増えるって言うから。」

ふっとママが笑って、

「これ憶えてない?」

私、

「?」

「これは、あなたがくれた鉢植えよ。何年か前にくれたでしょ?」

少しして思い出した。あの頃は鉢植えを買っては、人にあげたり、自宅で育てたり、確かにそんなことしてた。確か、カサブランカを二鉢買って、ここに持ってきて、飲んだ帰りに、一つ置いて帰ったような気がする。

自宅に持って帰ったほうは、ほどなくして枯れてしまって、記憶の中から消えていた。第一あの細さでは、花は咲かないと。

ママが、

「すぐに自宅に持って帰って、庭に植え替えたの。毎年咲くわよ。」

花瓶の中のユリは、居心地悪そうに、体をひねってなかなか、ママの思ったほうには向いてくれない。

「偶然今日持ってきて、さっき活けたのよ。」

しばらく、ユリを見つめながら

「この子が呼んだのかな?いつもはそこの道通らないから。コンビニに寄りたくて、こっち側の道を歩いてて。でもコンビニがまだ開店してなくて。」

ふっとユリを見ると、こっちを見ているように、お行儀よく花瓶に納まっている。

「忘れてたから、すねてこっちを見てくれなかったのかな。漸く思い出したから、こっちを見てくれたのかな。」

「そうかもね。私は花を見るたびに、あなたに貰ったんだなって、思い出すのにね。」

笑いながら言った。

「そう、あれから五年も経つんだ。」

心の中で、ユリを見ながらごめんね、忘れてて。


いつものように、常連さんが顔を出し始め、もう一、二曲歌ってから、帰り支度。


ちょっと飲み過ぎて、ビール三本も飲んじゃった。


夏の夜のちょっと変わった出来事でした。

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