第76話ジジイの涙


    ◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 オスワルドたちの家へと向かう途中、アイーダや他の村人たちとすれ違ったが、まだ今の状況を知らない彼らは見送るだけで、とめようとはしなかった。


 森の入口まで来た辺りで、後ろから「カシアを捕まえろ!」と怒鳴るランクスの声が聞こえる。

 村人が事態に気づいた頃には、カシアは川のほとりの家にたどり着いていた。


 ノックもせずに扉を開ける。ちょうどルカとオスワルドは外出中らしく、家の中に人の気配はなかった。

 躊躇なく家に入って繭の部屋まで行くと、カシアはその前に立って呼吸を整えた。


 使えば死ぬと分かっていても、不思議と心は落ち着いていた。

 こうして考えてみると、なぜ自分がムキになってギードを見返そうと躍起になっているのか分からなくなってくる。しかも自分の命までかけて。


 ただ悔しいだけで命を捨てるなんて、本当に割に合わない。

 頭では分かっている。

 けれど理屈ではなく、胸奥が無性に騒いで、こうすることが一番いい道のように感じられた。


 ギードたちは遅延の呪いを解き、待ちわびていた子供を取り戻せる。

 そして親に見放された自分は、世界一の剣豪を見返し、勝ち逃げすることができる。

 初めて自分の人生に価値を見出せた気がした。


 ゆっくりと杖を繭に近づけると、玉虫色の石がぼんやりと光る。それに合わせて繭も淡く青白い光を放ち始める。


 もう後戻りはできない。

 カシアは目をつむり、深く息を吸った。


(わざわざ魔界に来て、アタシを手伝ってくれてありがとう、ランクス、エミリオ、リーンハルト……せっかくアタシの舎弟になったのに、強くしてやれなくてゴメンな、シャンドたち……それに――)


 頭の中へ村人たちの顔が浮かんでくる。


 たった数ヶ月しか住んでいない村。

 でも、気恥ずかしくて気づかないフリをしていたが、村人たちは家族のように接してくれていた。


 盗賊仲間たちといた時とは違う、ほっとできる温かさがそこにはあった。


(ギードのガキ……アンタは大勢に望まれて生まれてくるんだ。アタシなんかとは違う、いい人生を送れよな)


 胸の奥にとどまっていた熱が、杖へ流れ込んでいく感覚が体中に広がる。

 杖がカシアの手から、魔力を、生命力を吸い出していることが伝わってきた。


「……さよなら、アタシ」


 カシアは小さな声でつぶやく。と、


「「カシア!」」


 家にランクスとギードが上がり込み、同時にカシアの名を叫ぶ。

 部屋へ入った瞬間、二人して息を引く音が聞こえた。


「ま、まさか……カシア、もう杖で解呪を始めたのか?」


 声を震わせてランクスが尋ねる。カシアは振り返り、「ああ」と大きくうなずいた。


「こうでもしないと、アタシは一生ジジィを見返す機会がなさそうだからな。どうせ今まで身内に必要とされなくて、ロクでもない人生を送ってきたんだ。だから――」


「馬鹿野郎!」


 唐突にギードが話を遮り、その目から涙を滴らせた。

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