猫のあくびは春のはじまり

まめつぶ

冬の終わる頃

 猫のあくびは春のはじまり、といつか聞いたことがある。

 もう、冬が終わる頃だ。庭に立つ梅の木に、白い蕾がぽこぽこと膨らんでいる。

 数年前に結婚した彼女と、僕が住む家。僕は両親を早くに亡くしたから、実家がそのまま僕と彼女の生活の場所になった。僕が仕事に出て、彼女は家事をする。それはあまり今どきのスタイルではないかもしれないけれど、ゴミ出しや風呂掃除は僕の役目で、それ以外にも分担できるところは分担している。時々週末はお互い家事も何もしないでぐうたらに過ごす日を決めて楽しんでいた。忙しいけれど充実した生活。そこに猫という生き物が増えたのは、数か月前のことだった。

 彼女は猫が好きで、僕はそうでもない。かといって嫌いというほどでもないので、まあ居てもいいかなと思う程度だ。家族となった猫は雌で、自由奔放で、気分屋。それ以外には、三毛猫で、黒が少し多めなことくらいしか、僕はその猫のことを知らない。彼女と猫は仲良しで、よくこそこそにゃあにゃあと内緒話をしている。

 猫が来たばかりの頃は、やはり猫も人間もお互い慣れなくてぎくしゃくしていたけれど、そこは人当りのよいーーこの場合は猫当たりがよい、だろうかーー彼女の出番だ。数日もしないうちに猫と打ち解けてからは、おもちゃで遊んだり膝に乗せて撫でてやったり頬ずりしたり、まるで彼女を溺愛する彼氏のような有様だ。

 僕の方はというと、特別遊んでやったりはしないけれど、膝を貸すくらいはしてやった。猫の方も貸そうというなら乗ってやらんでもない、という感じだし、僕も乗ってくるなら撫でてやらんでもない、という風だ。案外うまくやれていると思っている。そりゃあたまには僕が猫の尻尾を踏んでしまったり、寝ている僕の顔を猫がずいずいと通行していったり、そういうこともあるけれど、ご愛敬。

「コウちゃんはね、こう見えて猫が好きなのよ」

 ある休日の昼下がり、窓際に寝そべった一人と一匹は、まるで噂話をするかのようにひっそりと顔を寄せていた。猫の方は目を細めて喉を鳴らすだけだったが、その反応は彼女にとってはそれで十分すぎるくらいなようだった。

「うーん、好きっていうか……嫌いじゃないってくらいだけど」

無粋にも二人の内緒話に首を突っ込んでしまった。彼女がちらっと僕を見て、また猫を撫でた。

「ふふ。あんなこと言ってるけど、ねえ」

楽しそうに、嬉しそうに、そうやって彼女は二人と一匹の暮らしを味わっていた。

 猫のあくびはーーとはいつかどこかで聞いたけれど、猫なんてだいたいいつも寝ているんだから、あくびだってたくさんする。かぱ、と開いたその口からのぞく小さな白い牙やちくちくとした舌が一瞬見える。結局猫に季節なんて関係ないのだと、それらを眺めながら思っていた。

 猫があくびをした。くあ、と開く大きな口、きらりと光った小さい白い牙。

「あ、もうすぐ春だね」

隣に座る彼女の頬が綻んだ。

「ああ、きみだったの」

梅の蕾も、もうすぐ開くだろう。

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